238.衣装着せても憂鬱だった
アグリッパの街角。
騎士以下三人『Λ』の字に並んで人の流れを遮る。
雑踏の中にぽっかりと隙間が出来る。
そこに父娘が向き合っていた。
身長差が些か大き過ぎるため、娘は背筋を伸ばして見上げ、父は屈み込む。その黒い修道士のマントが娘を包み込むように覆い被さり、それは恰かも巨大な魔物が少女を捕食する状のよう。
それで父が目線を合わそうと膝を折る。
娘の頬を伝う涙を認めて其の両掌を寄せるが、頬の僅か手前で躊躇い停まる。
その手を娘の両掌が左右から包み込んだ。
授封の儀式にも似た光景だった。
後方の騎士以下三人、跪く。
礼拝するが如き仕草。
街角の雑踏の中、行き交うひと誰も気づかぬうちに、然乍ら神聖な儀式のような何かが執り行なわれていた。
◇ ◇
同市内、冒険者ギルド。
ギルマスのマックス・ハインツァー、アナ・トゥーリアを伴って戻る。
「グレッグは?」
「あれが呼んで直ぐ来る男だとでも?」
ウルスラ肩を竦めて見せる。
「お聞きのとおり『若干』問題児だ・・児って年齢じゃないけどな」
「はぁ」
「やつを飼い慣らすのが仕事の八割だと思ってもいい」
「それが出来たらアナちゃん当協会の幹部候補生だけどね」
「つまり未来のウルスラだ・・って、嬉しくねぇか」
彼女、嫌そうにマックスを見る。
「亡くなった男爵のご落胤だと名乗る行き遅れ女が騒いでトラブルを起こしそう;という話なんですね?」
「いや、亡くなった男爵の異母妹だと名乗ってるそうだ。親父が死んで跡を継いだ異母兄が『再婚なんてしてない。単なるお手つきメイドだ』って言って押し通して近くの村の村長にお下げ渡しで娶らせたんだ! ・・って言ってるそうだ」
「それじゃ『婚姻の証拠は消されてる』って自分で言ってるわけですか」
「なんか隠し球持ってんのか? って話よ」
「なんだか漠然としてますね。女の年齢さえモヤっとしてると、一体もう何年前の記録を当たって良いのかすら判らないし」
「だから百デュカ。ぽんと払って必要なら追加もアリって条件よ」
「ほぉ・・」
ざっと、腕利き職人の年収より多い。
「先代男爵が死んだのは二十年前だったそうだが」
「それじゃ『行き遅れ』じゃ無いですね」
拘泥るアナ。
この世界、女性の平均初婚年齢は十六、七。農村部だともう若干高い。
ようやく一人前の働き手になった途端嫁がれるのは惜しいとか、半人前貰っても発情息子しか喜ばんとか、農村には農村の思惑が有るのだろう。
都市部の家庭だと、相続財産にあり付けぬ次男坊以下の穀潰し共から誘惑される前に早々と嫁がせたい。
このように婚姻は親の欲で決まる。
そういう意味では、ギルドの親方という社会的地位ある自由市民が後見人になるアナたちは、条件的に可成り恵まれていると言える。
相手がいれば、だが。
「まず、彼女の母親は先代男爵と婚姻関係にあったのか? 二つ目、彼女の母親の出生身分は? 三つ目、村長は騎士になれる身分か? どう考えても、この三つは調査が必須ですよね」
「法律、詳しそうだな」
「以前の仕事で教わっただけです」
「あ、言い忘れてたが其の男爵・・彼女の異母兄の事だが、死んだ時に何か大きな問題を起こしたらしくって『不行跡』の廉で男爵位を剥奪されて封地の没収処分を受けてる。だから残ってるのは私有地の所有権だけだ。それでも相当広いけどな」
「何やらかしたんです?」
「詳しくは知らんが、若い息子ふたり連れてあの世に旅立った」
「穏やかじゃないですね」
「一門が絶えるんだから、穏やかじゃない方が普通だろ」
「それも・・そうですね」
◇ ◇
国都某所。
カッツホフのグンター司教、露骨に機嫌が悪い。
灰色の僧衣を着た若い男が直立して戦々恐々。
「それで、聖ホイヒェル寺院のなんとかいう下男を警察が追っている?」
若い頃は騎士だった彼、畏まった場でないと口調がフランクだ。
「『よからぬ連中』と交わっていたのは事実かと」
「それで、失踪中のメルダース司祭との接点は?」
「べったり」
「べったりか・・」
「べったりです」
「老害司祭など消えて大結構だが、はて何し腐っての逐電か?」
扼腕。
「会計官コルネイユの失踪と関係あると思うか?」
「十中八九」
「『よからぬ連中』絡みか・・」
「御意」
「会計官に『脅迫』やら『度の過ぎた嫌がらせ』やら執拗に為ていた連中の頭領がメルダースの所の下男だとして、しまいに会計官が逃げるのは心情として理解る。だが、なぜ老害司祭も逃げる?」
「会計官が消息を断つ前、最後に目撃されてのは『冒険者ギルド』で、とのこと」
「なんだ、その風俗店みたいなのは」
「風俗店ではなくて、ボディガードとかの斡旋所みたいな物かと」
「うむむむむ」と唸りながら考える。
「つまり『よからぬ連中』を返り討ちにしたら、やり過ぎて終って逐電?」
「そして、メルダースも報復を恐れて逐電、と」
「有りそうな話では、ある」
そこへ息急き切った助祭、駆け込む。
「司教さま! こんなものがっ」
手紙を見たグンター、見る見る裡に顔が真っ赤になる。
「りょ、慮外者がぁっ」
◇ ◇
アグリッパ、侯爵邸。
夫人ら帰宅する。
「おかえり。気晴らしになったかい?」
「・・・」
「どうした?」
「お父さまに・・出会いました」
「話せたかい?」
「わたくし、泣いてしまって・・ひとことも」
「そうか」
侯、優しく彼女を抱く。
こういうところ、年の功である。
◇ ◇
同市、冒険者ギルド。
縮れた黒い長い総髪の男がいる。
隈のある奥まった両眼の底は溝泥のよう。
少し酒臭い息。
「グリゴリー司祭さまだ。本当はもと助祭だが」
「なるほど、美男の対極ですね」
「おめぇも、胸がたいらで最高だぜ」
「それ、当て擦りじゃないからな。この男の本音だから。本人、失敬な積もりじゃ無いから」マックスが補足。
「俺ぁ、平らな胸と小さい尻が好きなんだ。女ぁ抱いた事ぁ無ぇけどな。何故だと思う? 俺ぁ司祭さまだからだよ」
「調査対象は東マルク、ヨードル川西岸オックル村のガリーナ・ガンター。出生を洗え」
「年は?」
「二十年前には胎ん中だった」
「村長アロイス・ガンターの娘だけどパシュコー男爵パトリスの異母妹と名乗って私領の相続を要求してるんだって」
「御落胤ってかい」
「訴訟になりそうだから裁判所が先回りして下調べを依頼して来たんだって」
「へっ! お役所にしちゃ仕事早いじゃねぇか」
二人、調査に発つ。
◇ ◇
国都某所。
私室に戻ったグンター司教、腹立たしい手紙を再た読み返す。
「グンター様参る。高原州グランボスコ司教区ナルセス司祭、アグリッパ市内にて風俗壊乱罪で逮捕。買春現行犯として男娼とともに法廷まで市中引き回しの途上で宗教裁判所が身柄を押さえたため、世俗裁判所による断罪と公開尻叩き刑の執行は行われなかった。アヴィグノ派であることも公開されなかった。ヨカッタデスネ。ご存知より・・」
拳を握る。
「なんだこの『ご存知より』って!」
意外なポイントに切れていた。
「だいたい悪いのは此方だ。アグリッパは庇って呉れたのだ。逆恨みで妙な事する奴が出ぬよう手を打つ可きだな」
敵よりも、無能な味方が怖いグンター。
◇ ◇
北の浮き橋を渡る驢馬二頭。
「グレッグさん、もう少し目立たない服装に着替えられない? 教会に残っている記録を見に行くんだから、その・・」
「見るからに破戒僧ってか? 中身どおりだが」
「でも迫めてその、服と髪型を市民風か・・村民風か・・」
アナ、嫌がるグリゴリーをヘスラー城下で古着屋に押し込む。
あちこち解れた僧衣を無理矢理剥ぎ取り、普通のスモックと股引きを穿かせる。長い髪を力任せに頭髻に結って頭巾を被せて出来上がり。
「うぇぇ・格好悪い」
お前が言うなと思うアナ。
続きは明晩UPします。




