232.歌って踊って憂鬱だった
アグリッパの町、侯爵邸。
配膳室。
執事アントンと新人メイドのエルダが世間話。
「侯爵さまって、息子さんに先立たれてから世捨て人っぽくてさ、お城も手放して今はこの集合住宅のワンフロア住まいなんだって」
「十分広いけど」
「それが、若奥さま見えたら大復活」
「うひょ」
「お前『うひょ』って何だよ。乙に澄ましてる時とは別人だな」
「アントンのまえ以外じゃ正と出来てをりましてよ」
「エルダっちの『をります』って訛り、クレアと一緒だな。おまえら同郷?」
「かも。あの人も黒髪だしねー」
「そう言やぁ口の減らないとこも似てるかな」
と言いつつ、末の弟と年恰好が同じな娘に懐かれて嫌そうでない。
おい、そいつ暗殺者だぞ。
「アントンも侯爵さまに気に入られてるねー。ずうっと居てくれたら良いのにって仰ってた。行っちゃうの?」
「うん、実は他所の伯爵さんとこの執事なんだ。出張で来てるんだよ」
「近く?」
「乗り合いの川舟で一日」
「行っちゃったら寂しいなぁ」
「奥さまと仲良く成れそうじゃないか」
「うん!」
「でも、エルダっち見てると、奥さまは随分と大人びて被居ゃるな。初めてお目に懸った時は未だ子供に見えたのに」
「それはほら『奥さま』だもん」
「覗くんじゃないぞ、クレアみたいに」
「まさぁか。正と定位置で待機するもん。奥さま旦那さまと営みなさいました後の身支度は大事なお仕事だし」
「うひぇ、そうなのか?」
・・そう言や、御側室にお胤を残されるか如何かとか指示してたのは俺だった。具体的に何してるのか知らんかったわ。思えばあの頃子供だった。
今の主人?
独身のポルトリアス伯爵は外でしか女遊びしない人だから、完全に忘れていた。
◇ ◇
コリンナ代官所。
ザイテック伍長ら帰営し、逃亡近習を入牢させたら晩飯に間に合わなかった。
厨房に行くと、女が居る。
「新しい賄い係さんかい?」
「体僕村から来ただよ。ここで働くと家族は課税免除って言われて小躍りだべ。残り物も持って帰って良いって、ええお代官さまが来てくれたもんだに」
下人農村で税額相当稼ぐ女って言えば、亭主が手ぇついて拝むだろう。
古典古代的奴隷は対自的に解放されるのではなくコストパフォーマンスで、より賃労働者に近い体僕ら下人農村に淘汰された。家内奴隷は労働の質の差という点で年季奉公人に取って代わられた。
かつて奴隷に注がれたような差別の目は、今では自由農村や荘園の日雇労働者に向けられている。体僕は、彼らの住居にも農地にも世襲の排他的占有権を持っているからである。
寧ろ自由農村に絶対的なボスが生まれた了った場合の村民の方が不幸だろう。
◇ ◇
賄い小母さんが帰る前に温めてくれた夕食にあり付く騎兵七人組。
誰かが気付く。
「なあ、この辺って農家ばっかりで、ナンニモナイナ」
「廃業した馬具屋にブルサ草生えてたっす」
普通なら直営地があって、近隣にもインフラを提供しているものだ。
「アグリッパから行商人でも来てて、それで十分だとか?」
「もしかして前の領主って、税金とる以外なんにもして無かったりして」
いや。余計なことは絶対してる。
◇ ◇
代官所、地下牢。
オックルウィックのアロイス・ガンナー村長、通称アロガン。ぶつぶつ恨み言を言い続けると思えば突然怒鳴り出す。
正直やかましい。
燭台を手に、代官ひとり下へ降りて来る。
怪しいおかま近習に話し掛ける。
「あれ、まだまだ続く。いや、ひと晩じゅう続くぞ。お前は眠れんだろうな」
牢内で近習、膝を抱えて泣いている。
「手鎖付けたままなら、元の自分の部屋で寝ていいぞ」
代官、鍵を開ける。
近習泣き止んで、黙って随いて来る。
隠し扉を抜けて、真っ暗な大広間を横切る。
「実は既う男衆がだいぶ死んどるのだ。この上また何人も絞首刑とか、正直あまりやりたくない。お前、見逃してやっても良いぞ。ただし・・」
「売れば良いんですか?」
「そうだ」
近習、唾を飲む。
「盗品を隠し持っておらぬ者はお構い無し、目に余る者の幾人かだけ処刑し、その余は所払いで許したい。その目安が欲しい。正直に歌うならば貴様はアグリッパに引渡して条例違反で裁いて貰う。微罪で済むだろう」
「は・・い」
二人、代官の執務室に向かう。
◇ ◇
アグリッパ下町、『川端』亭。
例の常連の飲んだくれ不良老人は『大小コンビ』とか、或いはそれに似た通称で呼ばれているが、それを誰だか知る者が無い。
大きい方の名がマックスなことは若干数名の知る所だが、何処のマックスだかは知る由もない。
「どしたんだ、クルツ」と小さい方に。
「どうもせんわい。今夜もパーっと裸踊りでも為っかのう!」
「あれは止めとけ」
止めるマックスが居ない日は、クルツ局長妙にエスカレートすることが多い。
よっぽど憂さが溜まってるんだろう。
「今日の心配事・・何だ?」
「教会主流派の現役司祭が風俗にハマってて逮捕された」
「げっ」
マックス、怪しいトンスル男の話は聞いていたが、もろ現役とは知らなんだ。
「条例改正して風俗店を廃業させたろ? いくら探してもやってる店が無いもんで個人の客引きに引っ掛かったらしい」
「ばかかそいつ」
当局だって、近郊の色街まで御足労頂く前提で規制強化した訳で、そんな闇雲に禁止したのでは無いのだ。
つまり、名刹の門前町でえろえろすんじゃねーよ。精進落としなら隣り町行け!
という条例である。なんで一寸の我慢が出来ないか。
「好き勝手やってきたホームグラウンドが南岳教団の手に落ちて、やっと中立派のアグリッパまで逃げ込めたとこで気を抜いちまったんだろうなぁ・・って、よその教区で羽根伸ばしてんじゃ無ぇよ。自分らの会派の教区まで逃げてっから勝手ヤれってぇの」
これはアヴィグノ派聖職者が、よその教区の宗教裁判所で裁かれる初の例になるかも知れない。所属する教区に送還しようにも、送り先が無い状態なのだ。
「救いは、その坊主が高原州司教区所属なんで、アヴィグノ派が黙って切り捨てるかも・・って、とこ」
「そうであって欲しいな」
高原州司教区は、ボスコ大公の独裁時代に俗人司教を捩じ込まれたりした関係で人脈がぐちゃぐちゃだと聞く。同じ会派の者だからってアグリッパと喧嘩してまで助けないかも知れない。
「まぁ此方もアヴィグノ派が強く出られんだろうと足元見て挑発してるような所は有るかも知らん。そもそも『南岳の皆さん、都に何のご用か知りませんが、どーぞどーぞ、お通りください』って言ったら、あいつら泣き喚くもの」
「それはそれで、見てみたいかも」
「王党派支持の南岳から僧兵がぞろぞろ上洛したら、アヴィグノ派の政治力は消し飛ぶだろ。寺の柱の蔭から蔭を鼠みたいに歩くようになるぞ」
「じゃ、首都方面各位は大人しくマウント取られて沈黙・・か」
「跳ねっ返りがでなきゃ、な」
◇ ◇
アグリッパ、侯爵邸。
クレアとエルダ、やっぱり覗いている。
侯爵夫妻(予定)、相変わらず睦まじい。
” 星の綺麗な夜だから 僕はキタラを爪弾いて ♪
ひと節歌ってあげようよ ♪ ”
「しっ! クレアさん、声出しちゃダメだからぁ」
” フィニッシュしたら おやすみなさい それは指輪を嵌めてから ♪ ”
「ダメだったらぁ」
「いや、いいんだよ。お式の前に御夫妻いちゃいちゃし過ぎてたら、わざとらしく咳払いでもしてくれ! って頼まれてるんだ」
「とかとんとん?」
「とかとんとん、さ!」
二人、歌い踊る。
” トカトントン トカトントン ♪
フンデコット*だよハンナさん ♪ ” *:Hundekot:犬の糞
咳払いの域を超えているようだが・・
続きは明晩UPします。




