225.棚牡丹でも憂鬱だった
アグリッパの町、侯爵邸の居間。
ツァーデクに派遣していた騎士二名が帰投した。
ヨードル川の濁り水問題に対処する為に、侯爵が持つ水源地の堰を開きに行って首尾良く任務を果たしての帰還である。
ただ、下流域で少々障りが有った。
河川敷にキャンプを営んでいた高原州からの難民を疎んだ領主パシュコー男爵が悪意で彼らに避難勧告を伝えなかった為、死傷者が出たのだ。
これを救済しようとした東方騎士団の修道士たちと、パシュコーの私兵が揉めて武力衝突に発展した。
公式には、そういう話になっている。
実際、少々深刻な障りが有ったのである。
おさわり事件の真相は今は省くが、少なからぬ死者が出た。
「パシュコーの痴児め。爵位剥奪して何処へ飛ばすか・・」
侯爵不機嫌そうに呟く。
「いや・・彼、死にました」と司祭、しらけ気味に言う。
「ふん、詰め腹切らす手間が省けたか。息子は庶人に・・」
「二人の息子も死にました。独り身なので御家断絶でござりまする」
「さっぱり?」
「ええ、さっぱり」
◇ ◇
玄関前。
「此処か」
「此処です」
来客、扉を叩く。
「どちら様ですか?」
執事アントンが迎える。
よその家の、だが。
「旦那さま、ご来客です」
「侯爵さまに御目通りでき、光栄に存じます。ツァーデクの参審人ザンドブルグと申します。
脇に控えたヘンドリクと與に最敬礼。
「ご報告申し上げます。東方騎士団の修道士たちが渡河して難民の救済に当たって居ったところ、何をとち狂ったかパシュコー党が夜討ちを懸けて返り討ちの全滅。男爵以下全員が川の流れに消えました」
「噫今その話をして居った」
「その後、空留守と為った男爵居館を領民が略奪し、恰ら一揆でも起きたかの如き散々な有り様に」
「パシュコーの不徳が致せる所じゃ」
参審人さらに言う。
「領民は口裏合わせ『難民どもが襲って来た』と言い逃れするも、略奪した品々は平然と蔵した侭で恥知らぬ物言い。暴徒が犯せる罪を見逃す訳に行かぬ。然りとて厳罰を以て臨み、新領主殿ご着任のときに領民が半減しておっては、其れはそれで困った事に成り申す」
「なんと、第二報が更にとんでも無い事態とは」
「お上が其れと知りつつも諸々の悪事を見逃しては、真に困るのは次の領主殿ではござりますまいか」
意外に司祭さまが厳しい。
◇ ◇
この世界、みなが蛮族だった頃の遺風というか、暴力づくで奪うのは堂々として漢らしいとか狐鼠り盗みや言い逃れは卑劣だとか、妙に歪んだ所がある。強盗より泥棒が厳罰だったりするのである。
まぁどっちも死刑には違いないが。
後者を不名誉犯罪と称して卑しむ嫌いが確かに有る。
パシュコー領、不名誉大行進と相成って始末ったのである。
「ねぇ旦那さま、宜しいでしょうか」
侯爵夫人・・に数日後には成る予定のマティルダ嬢言う。
「新たな男爵、ツァーデク伯が領するのは如何でしょうか」
ちなみに、目的語が土地で『領す』という場合、これは領有するという意味だ。目的語が官職の場合だと、上位者が下位の職を兼任することを言う。『市長が中央区長を領す』とかいう使い方だ。『伯爵が男爵を領す』と言うと、どちらの事だか判らない。
どっちでも良い気もするが。
「おまえ、伯爵に、その・・隔意を抱いて無かったかい?」
「国家の事。私情は別ですわ。東方騎士団との州境には其れなりの軍を擁する者を置くのが宜しきかと」
「良いのかね。重責だよ?」
「それに、今の侭ですと妹は騎士身分ですから、先ざきの甥には男爵位を継がせてあげたいのです。あ、我儘を申し上げて仕舞いました」
「もっと我儘を言って御覧。なんでも叶えてやろうぞ」
「其れでは、親の代で喪失して了った男爵世襲領の一部でも、取り戻させて上げて下さりませ」
「ならば、パシュコーが返上する知行地を、改めてスヴェンの奴に授封し、加えて相続人曠欠となったので伯爵職に帰属する事になったパシュコーの私領を、あやつ個人のものになるよう取り計らおう。なぁに儂の私領と交換してから結納の追加で贈れば良いのだ」
「なんとお優しきお嬢様・・」
参審人ザンドブルグ感激の面持ち。
「侯爵さま! この朗報、一刻も早く主君のお耳に入れたう御座います」
「うむ。スヴェンには、良きに計らうゆへ一層奮起せよと伝えよ」
ふたり、再拝して帰って行く。
◇ ◇
「うふふ・・旦那さま。はやく子供を産みたう御座います。ひとり目は旦那さまの御跡取り、ふたり目は次のツァーデク伯爵」
「よしよし。あやつにも隠居先を作ってやるか」
治安維持に波乱含みの最前線。引出物の腐ったお菓子は美味しいであろうか。
小男の騎士、同僚に耳打ち。
「イザベルお嬢、いい仕事なさいやんしたね」
継母ぶくぶく沈んで、姫ぎみの溜飲も下がった模様。実の娘に功徳を遺した。
◇ ◇
旧パシュコー男爵居館。
代官ブールデル、亡き元男爵の執務机で残った書き付けなど紐解きながら溜め息吐く。
「なんにも無いな」
金目の物は舐めた様に綺麗に消えているが、名簿や記録類など暴徒の略奪者には興味なかろうから今少し有っても良さそうなものだが。納税期にだけ教会関係者の会計係とかをバイトに呼んでいたのかも知れない。
「どうすんだ此の領地・・」
あちこち、どう見ても見紛う余地ない略奪品が山積みで『えーと、男爵さまから拝領の品でぇ』なんて言い訳は不可も不可だから、不入権ある村落共同体にだって御用御用と踏み込める状況だが、いまそれやって良いのか微妙である。
残って居たという近習と住み込み下男の行方も杳として知れない。
「うーん、前にアグリッパの『冒険者ギルド』って所に人探しを頼んだとか何とかヘンドリクが言ってたな」
・・信用の置ける業者なんだろうか?
お嬢さま探しに依頼したら、先に侯爵さまから結納が届いたんだっけ。
「駄目かな」
◇ ◇
アグリッパ東門。
最近は市庁警備局の入市管理課から正規職員にと勧誘も来るアナ・トゥーリア、ちょっと気になる人物を見咎める。
先日は、お小姓姿の美少年を見掛けて琴線に触れるものが有ったが、彼氏っぽい美青年も一緒だったので眼福だけで我慢した。そもそも彼女、情交を願望するとかではなくカップルを見ては想像を楽しむ派なので『我慢した』ことが訝しいのだ。一種の状態異常だったのだろう。それほどの美少年であった。
今般は、若し彼女の数学にマイナスの概念が有ったならばマイナス方向へ琴線に触っちゃったと表現しそうな感じの、お近づきに成りたくない人物。
特に穢ないでも醜いでも無いが、接触したくないタイプであった。
それでも職業的な勘が働いたのか、血風隊の少年に追尾を指示した。
それがパシュコー元男爵の夫人が逃げた原因の人物であると、この時は彼女未だ知らない。
◇ ◇
旧パシュコー男爵居館から遠くない集落の村長宅。
「まだ兵隊が彷徨いとるのか」
「でかい顔して門外に立ってます」
騎士身分の相手には平伏するくせ一般兵など下男と同じと思っている人は多い。喧嘩したら袋叩きにされるのを理解できないのだ。
村では最下層民を暴力装置に雇うから、そんな連中は村長が一喝すれば畏まると錯覚する。だが実際は、その連中の親分が偉いと殴られるのは村長の方だ。
元男爵の私兵に殴られた経験など、とっくに頭から消えている。
そんな『学習しない男』であった。
実体験した現実よりも己の『常識』を優先する人種は意外に多数いるものだ。
警備している兵隊の目を掻い潜り、村境の垣根の穴に忍び込む男がいた。
兵隊は略奪の証拠である蔵匿品を持ち出さぬよう見張っているので、乞食の様な男が入り込んでもノーチェックだったのだ。
そして冒険者崩れの男カシュパーも、忍び込む仕事はお手のものであった。
「しめしめ・・」
続きは明晩UPします。




