216.水に流して憂鬱だった
ツァーデク城、伯爵夫人の私室。
修道女姿のイザベル、夫人の話を聞く。
「アグリッパの町に嫁いだ上の娘が財産を独り占めしてるの。下の娘には無しって絶対に承服できないわ」
いや、下の娘って被相続人と血が繋がって無いんだから、それで普通です。
「アグリッパの町の何殿に嫁がれたのですか?」
夫人、いかにも言い難そうに・・
「スールトの・・侯爵さまです」
「それは御良縁ですわね」
しれっと言う。
「今は主人が娘の相続人ですが、嫁いで子を産せば孫が相続人になって終います。下の娘は何も相続できないんです」
いや其れが普通です。
「娘には御夫君の婚資贈与も有るのだから、下の娘に相続財産が無いなんて余りに不公平です」
先妻さんの子には先妻の固有財産が行くものですわ。そして嫁いだら御夫君から婚資が贈られます。どちらも、血縁関係のない貴女の娘さんにはまったく関わりの無いものです。
イザベル表面上否定せず、心の中だけで逐一異論を呟く。
血族集団から財産が漏れ出ぬよう、配偶者には相続権のない世界の法理である。
「あの娘が嫁いでも子の無いうちに死なないと、財産が此方に戻って来ないのよ。わかるわね?」
はい。お言葉いただきました。頂いちゃいました。
「相手が侯爵家という事になりますと、仕事の難易度を実地調査しないでは料金の見積もりが出せません。少々お時間を頂戴致しますわ」
イザベル音も無く消える。
◇ ◇
使用人の控室に行く。
年齢と服装を頼りに、執事を探し当てる。
人影のない礼拝堂に呼び出す。ちょうど修道女の格好なので。
なにかもう察している執事、問わず語りに述べる、
「先代様が死の床で、あれを私めに託されたのです。旦那様に渡すようにと」
「伯爵さまに?」
「そして、こう仰ったのです。これを使うと死ぬのだ。言うなよ・・と」
なんと。可成りの曲者とは聞いていたけれど・・
「しかし旦那様は封も切らず、仕舞い込んでお忘れになって了っておられました。それが・・」
「貴方が改めて夫人に渡したのですね?」
「はい。お嬢さま母子が亡くなられた時、私めは強く疑いを抱きました。あの女が何か悪さを為たのでは、と」
「それが確信に変わったのですね?」
「はい。あの女と連れ子の内緒話を竊み聞いて知りました」
「先代から託された封筒の中身を知っていましたか?」
「いえ、呪物がどんな形の物だかは存じません。首に掛ける鎖付きらしいとは音で察せられましたが」
・・呪物?
「あれで貴女さまは地獄から召喚されましたのでしょう?」
「・・大過ござりませぬ」
イザベル苦笑しながら消える。
◇ ◇
城下の高台。
ルテナン・ルドルフ呵呵大笑。
「成る程、先代伯爵聞きしに勝るおお曲者であるな」
「婿殿が悪心を起こした時は私達に始末させる気だった訳ですわ。いえ、起こすと思って・・ですね」
イザベルも苦笑いが止まらない。
「『本人以外使用禁止』の契約条項を盾に取って、自分の死後の計画を立てるとは何とも大した狸ですこと」
「その執事も傑作」
「わたくしが地獄から来た者ですって」
「大当たりである」
「割り符は回収したので、後は先代伯爵の手紙の始末ね。置き場所は確認したわ。次手に硝子玉の欠片も部屋の隅に置いて来ましょう」
二人、何処かへ立ち去る。
◇ ◇
東の山の端より、一条の煙が立ち昇る。
放水作業開始前に余裕を持って合図する手筈である。
城より騎馬一番隊が上流へ疾走を始める。扇状地上流側高台の見附からも別動の露布隊が出立した頃だ。
露布隊:布告を記した大旗を掲げて巡回する広報部隊。
二番隊も下流域へと出発した。
流域で烽火が次々と連鎖する。
万全とは言わないが、安全対策に出来るだけの事はした。
日頃あまり高くは評価されてはいないが、今回の伯爵、為政者としては合格点の出来である。
侯に放水を陳情した時から色々考えては居たのだろう。
即応で快諾される事までは予想外だった様であるが。
「あれを嫁に出した功罪の『功』の方かな」
伯爵、自嘲する。
◇ ◇
「じいさん侯爵って、やること早いのね。なんだかイヤな気分」
銀髪ぱっつん我儘お嬢さまの何気ない言葉に、むらむらと突っ込み入れたくなる傍らのお付きメイド。
・・それ、『気分』じゃなくて『予感』ですよね?
散々『姉』を苛ってきたお嬢さまの行状の目撃者であり、当事者でもある。
命の危険をひしひしと感じる。
何せ、あの『姉』さまのこと、夫人常々『大人しそな顔して蛇だよありゃ」とか仰ってた。
出来るものなら宝物庫に収蔵めた金塊のひと握りも窃取て何処かへ逃亡するのが賢明という気がしている。
城内騒然としている今が好機。
真っ先に逃げたマグダは鼻が利く奴と思うが、いま盗めそうな現物が目前にある自分の方が幸運な気もする。
実行に移せる度胸があれば、だが。
だいたい異民族と戦う最前線だった東のマルクに転封されて来た初代侯爵さまは根っからの喧嘩屋で、この伯爵家初代さまも其の次男か何だかだ。御当代が入婿で三代目だから、そっち系の血筋はだいぶ薄まったが、うちのひぃ爺さまも本貫から随いて来た兵士で、あっちじゃ鼻つまみの暴れ者だったらしい。
外へ外へと東方修道騎士団の植民が進んだので、この辺もすっかり内地みたいに成ったが、まだ辺境くささは残っている。
つまり女だって喧嘩っ早い。
掻払って逃げるくらいの芸当はする度胸があるのだ。
メイド、考える。
冥土に行きたくないから。
◇ ◇
「濁流、接近します」
城の物見台で、兵士。
「河原で遊んでる子供とか、いねぇだろうな」呟く見物人。
少しでも水勢を減ずるために、城の濠の取水口堰も開放して流れを分ける。濠が満水に近くなるが氾濫には至らない。
濁流は谷の外へと流れて行く。
「壮観だな」と伯爵。
「森から崩落した粘土塊は、流れて呉れたろうか」
「しばらく観察致しませんと」
森林管理官、慎重に答える。
「被害の発生状況は?」
「橋が幾つか冠水しています。落ちた報告は有りません」
「補修は必要だろうな」
高額の結納金貰ってて良かった・・と思う伯爵。
・・支援金の意味もあったんだろうか。
「下流で被害が出ていたら、賠償寄越せとか言われるんだろうか」
「それはあり得ますね」
伯爵、唸る。
そこへ兵士。
「被害発生を報告しますっ!」
「げ」
「城内の隠し船着場が冠水。水濡れ被害多数。小舟が一艘流されました」
城内に濠から水を引き込んで隠し船着場が設置されている。非常時の脱出口だが籠城の可能性など無くなった今は秘匿されていない。
「ああ、あそこを忘れておった。あそこは低いから冠水するな」
伯爵も忘れていた。
「『灯台もと暗し』か」
◇ ◇
濁流が迫るヨードル川下流に先触れの騎馬二番隊、河川敷に大人数のキャンプを発見して驚く。
「なぜだっ! 昨夜のうちに下流域の領主たちに警告を出していた筈だっ!」
ただの怠惰で聞き流したのか、この際だから流民の類は始末しようと企んだのか知らぬが、辛うじて百人には届かぬかと言う人数が危険地帯に留まって居る。
二番隊長躊躇する。
ここで滞れば下流が危険。放置したならこの者たちが悲惨。
思い切って四騎四騎の二班に分ける。
直ちに班長を任命し、退避勧告というか追い散らしに専心させて、自らは四騎で先を急ぐ。
班長必死になる。
「もうすぐ此処を濁流が襲うぞ! 逃げないとみんな死ぬぞ!」
「兵隊さん、どうかっどうか後生だから見逃してください。あたしたち、ここまで追い出されたら生きていけません」
子供を連れた女が必死に哀願する。
「いや、ここにいると死ぬんだってば!」
皮肉なことに此の地、伯爵の実父が借金の所為で手放した旧領であった。
◇ ◇
伯爵のもとに復た一報。
「殿! 奥方さまの姿が何処にも見当たりません」
「なん・・だと?」
続きは明晩UPします。




