213.因果循環して憂鬱だった
ツァーデク城、大広間。
スールト侯の使者として来た騎士二名を、伯爵が出迎える。
封建制の仕組み上、盾序列三位の侯爵の直臣は四位の伯爵乃至男爵であるから、五位の騎士は差詰男爵あたりが隊長を勤める護衛隊の隊員と謂うことになろう。
曲者くさい小男と、向こう傷も生々しい豪傑ふうの大男。
武人として相当へなちょこな伯爵も『城中の配下が束になっても勝てなそう』と瞬時に判断のつく者たちが来た。
気圧されては成らじと威儀を取り繕うのに必死な伯爵だが、州都より使者来訪と聞き付けて集まって来た者たちは、お侍が濁り水問題の解決に駆け付けてくれたと単純に喜んでいる。
いや、単純に喜んで良いのだが。
伯爵以外は。
「某ら此れより水源の森に立ち入り湖の堰を開いて参る。伯爵閣下に於かれては下流の民に増水の注意喚起かたお願い申す」
横一文字の向こう傷の騎士、よく通る声で静かに言う。
「宜しうお願い致す」と伯爵一礼。
「それから・・」と騎士、荷物を振り返る。
「我が殿は、此度閣下より御令嬢輿入れの申出を受けて殊の外お喜び玉い此れなる白絹五十匹、宝玉及び装身具一式、黄金三万グルデンを賜われた。結納の品として収受下されたい」
「ゆ、結納・・」と伯爵。
「三万・・」と、夫人。
「御令嬢自ら素服を纏い御足労なさるとは殊勝と嘉され、愛しく思し召されたと。誠に慶きこと」
「謹んで頂戴仕る」
伯爵、再び一礼する。
騎士たち、辞去する。
城内の一同、口々に祝いの言葉を述べる。
「で、お嬢様って、誰?」
「さあ。どっか高家に行儀見習に上がってたんじゃない?」
伯爵言葉もなく立ち尽くす。
◇ ◇
二人の騎士、盆地の川筋を遡って山道に入ろうとする。
「騎士さまぁぁー!」
呼び声に振り向くと、城の騎兵一騎、必死に追って来る。
「申し訳ありません。増水の周知が下流域まで間に合いません。どうか放水は暫しお待ちを!」
「そいつぁ不可いね。んじゃあ明日に延しやしょうか」
「城にお部屋を用意いたしますので、今夜はごゆるりと」
「お手間を取らす迄も無し。我ら旅慣れておる故、そこらの農家で馬小屋の軒でも拝借致す。お構い召さるな」
騎士ら固辞して騎兵を帰らす。
近所の民家を目指すと、また声を掛けて来る者が有る。
「あらヨハンネスさん、奇遇」
◇ ◇
「どういうこと! どういうことなの!」
「如何もこうも・・あれが乞食娘のような風体して歩いて行って、如何やったのか侯爵の居どころを探し当て、伯爵令嬢だと言い張ったらば信用され、持参金なしで上級貴族の嫁に慶く納まったと云う話だ」
「そんっな話が・・あり得るの!」
「結納が来た」
「それで、どうなるの!」
「俺が、あれの後見人でなくなる。家付き娘の後見人として手に入れていた税収が彼方に行く。それで収入ざっと半減か」
「爵位は! あなたの伯爵位は!」
「さあな。伯爵家累代の血をひく長女の子が継ぐか、養女の子が継ぐかは、誰でも想像が付くだろう。元の木阿弥だ」
「なんってこと!」
「親父が男爵家を食い潰した時よりは益しだ。騎士たちの本領が安堵された」
「娘には!」
「お祖父さんの騎士領が残る。それを捨てて出奔しても、結納のあの金塊で三代は食えるだろう」
「あの娘が意趣返しして来るわっ!」
「それは有るだろう。けれど、あれが子を産んで其処ここの歳に育つまで、俺には中継ぎの伯爵としての利用価値がある。真綿で首を絞められようと、生きておれば良いのさ。あれが為て来た様にな」
夫人憤然として去る。
入れ替わり、老騎士が来る。
「随分と達観して御在ですな」
「俺も伯爵だ。判事をして来たんだ。ひとを告発して罪に落とそうとした者が逆に敗訴すれば、同じ罪で罰を食う。勝負に出るなら、勝って得る物と負けて失う物は同じ目方だって事を、覚悟してるだけさ」
「あれで伝わりましたかな」
「伝わってるといいな」
◇ ◇
ツァーデク谷。
盆地の中にも伯の城下町のほか、男爵領の各々に町っぽい村落が幾つか有る。
そのひとつ。
酒場。
「互いに出張先で出会うとは、偶然ではなく同じ事件絡みでないのか?」
「ルディも、そんな気がする?」
イザベル・ヘルシング、今夜は酒場の女給をしている。
「伯爵さんから陳情が有りゃしてね、川の濁り水が一向に澄んで呉れねぇってんで水源地の湖に行って水門開くんでやんす」
「それと、伯爵の御令嬢の婚儀のため結納をお持ち致した」
「あら、きれいな表の仕事ばっかり?」
「まぁさか」
店が賑わっていて結構人目がある。
なにせ、水門を開く話を小耳に挟み、酔客たちが祝杯を上げ始めるくらいだ。
四人、無難な言い回しをする。
「ああ、濁り水には結構難儀しているわ。お皿を洗ってても、うっすらと赤茶けた泥の膜が残るのよ」
「それで湖水を一気に流す訳か。互いに色々と掃除が必要なのだな」
「ルドルフの大将、そっちもお掃除でやんすかぃ」
イザベル竊々声で・・
「探し物も兼ねてね。先代伯爵が亡くなったとき、うちの組織の割符が行方不明になってたの。上得意さまだけに渡してた代物なのよ。それで、ひと昔前の不始末の跡をお掃除ってわけ」
「お片づけでやんすか。で、目星は?」
「伯爵家の癇癪おばさん」
「ははぁ」
「で、御令嬢の婚儀って?」
「癇癪おばさんの継子虐めで飛び出して来たのを侯爵さんが保護。普通なら養女に迎えるとこだけど、結婚なさっちゃいやした」
「成る程、その方があとあと相続で有利だものね。好いた男と子作りさせて殿様が認知しちゃえば良い話だわ」
いや殿様、自分で作る気満々のようだが。
そこへ酔客が割り込んで来る。
「ねえちゃん、お代わりもう一杯」
村の若者っていう感じ。
「御令嬢お嫁入りって、まさかあの我儘銀髪ぱっつん娘じゃないよな?」
「清楚な黒髪のお嬢さんでやんしたよ。先代伯爵の正統なお血筋とかで」
「おおお、それじゃ御家も安泰だ」
今度は初老の男が口を出す。
「大丈夫なんだろな。ひと昔まえ侯子様との縁談がポシャった時ゃ、儂ゃ目の前が真っ暗になった覚えがある」
「大丈夫さ。侯爵未亡人だってステータス超凄ぇからな。上等な貴公子がわんさか求婚に集まって来らぁ」
「おいおい、うちの殿様殺さないでくんねぇ。ピンシャンして被居いやすから」
「あっちもピンシャンかい? お頼み参らすよ」
「そんなの女の腰捌き次第さね。なんならあたしがご教授に上がってやるよ」
女給、えろ話で酔客を盛り上げる。
「(・・イザベル嬢ちゃん、今夜は少し老け作りしてっけど、あんた未だ成人前の未婚オトメっしょ! 金庫長が泣きゃすよ)」
◇ ◇
ツァーデクの城館、伯爵夫人の私室。
「なぁに! それじゃ爵位を継げないわけ?」
「あの娘が有力者の懐に飛び込んでしまって、もう手が出せないわ。きっと爵位は直系の方に行ってしまうでしょう」
「ティリの奴、死んでるんじゃなかったの!」
いや寧ろシンデレラであった。
「知ってたわ。あの娘が蛇のように渋太くて執念深いのは。母親の・・」
讐に噛みつきに来るかと、彼女の目を見る度に恐れていた事は口に出せない。
疑心の生んだ暗鬼である
「ティリ、きっと仕返しに来るわよね」
手に入れた有力者の力を借りて、きっと来るだろう。二人、そう思う。
「知ってたわ。あの娘が男を蕩し込む性状だってことは」
酷い中傷だが大過ない。
蓋し此れは『女の勘が鋭い』と云うのではなく、無意識に夫人の嘗て知っていた或る女性を投影したものなる可し。
寧ろ既視感である。
それを彼女は、自分が夫に放置されたことの元凶だと思っている。
因果が循環っているのであった。
背後に誰か来る。
続きは明晩UPします。




