211.嫁入支度も憂鬱だった
ツァーデクの城。
礼拝堂はあるが、聖職者は居ない。
城下にある教会の司祭が折々に通って来る。
伯爵が独り祈っている。
彼は悔いている。
でも改めない。
「俺は懺悔も出来ぬのだな」
この州も隣りの騎士団領も小異こそあれど、所謂"君主司教"というか、為政者が聖職者だ。下手に告解して全て筒抜けとか、笑えぬ事態が起こり兼ねぬ。
今そう思う彼、笑えぬが、つい笑って了っている。
伯爵自身の悪事は、みな『未必の故意』の範疇だ。
それは法廷とかで罪を追及されたとき斯う弁明しよう等という意図的・計画的な保身とかでなく、元々そういう人なのだ。
或いは、結論を神に委ねるという伝統的な発想なのかも知れない。簀巻きにして川に放り込んで処刑の是非を神に問う、とかの精神性である。
或いは、無意識に責任のがれ・・これが彼の自己評価だろう。
だから、彼は直情的な妻ギゼラがときに羨ましい。
先妻が男児を出産したとき、きっとギゼラが何か悪事を働いたのだと、彼もそう直感した。だが本人を問い詰めたりもしなかった。隠蔽に加担した者と謗られても仕方ない。
今でも母子の墓所を精査されたら何か出るかと虞れを抱いている。
今、守るべきは妻ギゼラと、娘スヴェンヒルダなのだ。
だから先妻の子への仕打ちを悔いはするが、改めない。
◇ ◇
アグリッパ市内、スールト侯爵の居間。
結納を贈る使者二人、一礼して出立する。
「さぁて、お嬢ちゃんはツァーデクの直系。ということは、おじいちゃんの血族な訳だけど・・」
東のマルクの侯爵家に封建されているのは分家の三つが伯爵家、その他男爵等は血族でない家臣筋だが姻族は幾つか有る。しかし、今時点で直系が残っているのはツァーデクだけだ。
「あ、そうじゃ! 割りと親等が近いのう。ビーチェと倅が婚約した時にも教会の特認取ったんじゃっけ。成婚前に倅が死んじまったから教会は寄進ただ取りじゃ」
「それ言っちゃったら教会怒りますよ。『特認は売り物じゃないぞ』って」
「売っとるくせに」
アントン突っ込むが、侯爵呟いて混ぜ返す。
「ねぇアントン! せっかくアグリッパに来たんだし、大聖堂にお参りとか行っておいでよ」
「なんだか僕に『席を外せ』って言ってるように聞こえるんだが」
「うん。言ってる」
色小姓、侯とお嬢ちゃんに向き直って大真面目に言う。
「おじいちゃん、嬢ちゃん! 貴方たちに今いちばん大事な事は何かな?」
「特認の手続きじゃな」
「婚姻の祝福ですわ」
「違うんだな。確かに順番はそっちが先だけど、相続面で究極の大事があります」
「それは?」
「それは?」
「子作り」
「・・(それか・・)じゃ、僕はお参りに行くかな・・」
・・真ッ昼間だぞ、おい。
◇ ◇
ツァーデクの城。
伯爵が礼拝堂を出ると、娘がいる。
「ヒルダ、なんだ?」
「お父さまに頼みがあるの」
「うん? 何が買って欲しいんだ?」
「彼氏」
「いや、それは買ったら後悔するだろう」
「いいえ言葉の綾よ。そろそろ婚約の話とか来て欲しいって意味」
「それは少し我慢しろ。ティリの問題を片付けないと話が先に進められん」
「ほんっと邪魔なやつ」
「お前は俺の実の娘だが、養女という事になっている。つまり今は条件が悪いから良い話が来ない」
「実の娘だって公表すればいいでしょう」
「それは拙い。お前が生まれた時には、まだ先妻が生きていた。地位も失い兼ねぬスキャンダルになるのだ。元も子もないぞ」
「どうすればいいの?」
「早く『夫は次期伯爵』と『財産たっぷり』を確定しないと不可ん。お前は若くて綺麗なんだから少し待て。名前のSwanのように美しいのだから」
「私の名前はSwenよ。なんか響きが豚っぽいわ」
「俺の親父が悪いのだ。綴りを間違えたのだ。お前はちっとも豚に似てない」
「酷いお祖父様だわ。ぶうぶう」
・・ちょっと似てるか・・
◇ ◇
娘、膨れ面で歩み去る。
入れ替わりに老騎士が来る。
「むずかしい年頃ですな」
「見た目は悪くないのだが、少々我儘に育てて了った」
「もうおひと方の婚約話をずっと避けて来て居られますから仕方ないですな」
「解ってるよ」
少し粗雑な返事。
「養女というお立場ですしな」
「俺も婿入りして直ぐにはギゼラと子供を作らぬよう気をつけて居たのだ。だが中々継嗣が出来ぬもので、なにか俺に問題があるのかと不安になって・・」
・・ギゼラとは出来ちゃったんだよ。
「これは申し上げぬ積もりだったのですが・・」
「なんだ?」
伯爵、嫌な予感がする。
「娘が・・ツァーデクのお嬢様が子を生さぬよう何か為ていたのではないかと」
「・・それ・・は何か思い当たる節が有るのか?」
「お許しくだされ。それがしの口からは到底も・・」
「では聞くまい」
「あの時・・お世継ぎがお健やかに育ちあそばせれば、殿はその後に何も懸念なく大殿となられ、我が孫娘は婿を取って平穏に分家を起こせたのでは有るまいかと」
「ふふふ、死児の齢を数えるとは此の事か」
◇ ◇
アグリッパ大聖堂。
参詣客の人の波。アントン泳いでいる。いや溺れて喘いでいる。
タイミング的に悪かった。式典の終わった所である。
ふと思うところ有って、先客の去った告解室に直と入る。
入って跪く。
司祭室から声がする。
「祈りなさい。神の声に心を開きなさい」
言われて素直に祈る。アントンのこういう所、擦れていない。
「あなたの罪を告白しなさい」
・・罪。罪か・・。
「ぼ・・私は、偶然出会った少女の境遇に同情し、義憤を抱き、彼女を助けたいと思いました」
「それは寧ろ善なる心に思えますが、どのような事に憤りの心を抱きましたか?」
「はい。彼女は親に虐げられ、虫や鼠すら食べて命を繋いでおりました」
「純粋に彼女を助けたいと思ったのですね?」
「はい。疲れ窶れた少女を目にして、淫らな思いを抱く余裕は有りませんでした。彼女は貴人であるのに東のマルクから京洛の外れまで単身歩いて来ていたのです」
「東のマルク? 京洛へ? 彼女を何故アグリッパへ?」
「彼女の親は、本当はアグリッパに居る人の許に嫁げと間違った行き先まで教えて鐚一文持たせずに送り出したのです。私は友人と二人で、彼女を連れて此の町へと参りました」
「嫁ぐべき人に引き合わせられましたか?」
「はい」
「あなたの罪は奈辺に有りますか?」
「少女の親に暴力を振いたいと強く思って終った辺です」
「祈りなさい」
アントン祈る。
「暴力という悪に心惹かれた私を浄め、罪深き者をお赦し下さい」
「わたしは、父と子と精霊の御名により、あなたの罪を赦します。告解室を出て、聖堂の外の植込み脇にあるベンチに掛けて、しばし待ちなさい」
「・・(なんかまた引き当てて了った気がします)」
ホラティウス司祭、溜め息をつく。
◇ ◇
アントン、ベンチで待つと直ぐ質素な事務服の司祭がやって来る。
「お待たせしました」
「司祭さま?」
「ホラティウスと申します。さき程お伺いした話に少々思う所有りまして、お力になれればと」」
「有難うございます。私は、ポルトリアス伯爵の王都下屋敷で執事を勤めおりますアントン・ポーザと申します」
「ポルトリアス家の?」
「はい」
「もしや先程のお話で、酷薄な家族に虐待されていた少女とはツァーデク伯爵家のマティルダ嬢では?」
「ご存知なのですか!」
「風聞のレベルです。本当なら放置できぬと気になって居りました。ただの家庭内不和でも救済が必須ですが、ましてや彼処は州境。紛争に発展したら事なのです。少女の幸せの為、民の安寧のため、ご協力頂けませんか」
「勿論です。かの悪逆なる家庭から救うには、彼女を婚家へと救い出すのが早道。教会さまのお力は是非ともお借りせねばと思っておりました」
・・でも、あの二人をどう紹介しようか。
続きは明晩UPします。




