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210.忠臣も憂鬱だった

 アグリッパ市内、スールト侯のアパルトマン。

 居間。

 マティルダ嬢の指輪、銀蛇の紅い目が輝く。


「スヴェンの奴は凡庸だが無能ではない。あれの父だ。蕩尽しての男爵家を全て食い潰したのは」

「先祖の事は知りませぬが。わたくしの・・でも無し」

「儂が、あれの父を隠居させて追い出した。だが何処ぞの州の娼館で女に養われて気楽に往生したと云う。天網は恢々ならずじゃ。バチはちゃんと人が当ててやらんと渋太しぶとく生き残るやつは生き残るぞ」


「あの人は、わたくしが自分の子でないと薄々知って、己が血筋を残そうと躍起になりました。それが吉とは出なかったのです」

バチは当てぬのか」

「自分の血筋の末路を見るのが良いバチかと」

 ふたり、笑う。


「あの人は、伯爵家の女婿という目の前の餌に飛び付いて、言い交わした仲の女を愛人こんくびたの身分にました。された女の怨念がわたくしに返って来たのははた迷惑ですが御蔭で胃腸が強く成りました」

「胃腸が?」

「いえ『根性が』でしょうか。蛆も滋養に出来る神経とか」


「生皮剥いで殺さんでいいのか?」

「あの女は勝手に自滅する気がしますわ」


                ◇ ◇

 ツァーデク家の次席執事ヘンドリク、可成り流行った酒亭で喧騒の中に居た。

 遠路ずっと馬を飛ばして駆けて来て、疲れて眠いし尻も痛い。横になれる場所を求めて街中を当てもなく彷徨っていたらば、賑わっている店があり、飲みたい方の欲求が勝ったのである。

 隣では不良老人っぽい大小二人組が高歌放吟真っ最中。まぁヘンドリク、陽気な雰囲気は好きである。


 兄貴分らしい方の小柄の老人が話し掛ける。

「お若ぇの。独りかい?」

「ええ、田舎から所用で出てきて、ひと仕事終えて一杯と」

「そうかそうか首尾よく行ったか」


「いや、皆が頼りにしてた川に濁り水が出て、村々どこも洗濯ひとつままならんので水源の森をお持ちの貴族さまに陳情に来たんです。湖の堰ひらいて、泥をざぱっと流しちゃ呉れまいかぁって」

「そうかそうか。ざぱっと泥が流れて呉れりゃ良いな」

 爺さんエールを呷る。


「汚れたもんは、ざぱっと水に流しちまうが吉だぜ。厄落としだ」と弟分の大男。

「ええ! 流しちまうが吉」

 旦那さまは嫌いじゃないが、癇症な奥さまは苦手だ。川にどんぶら流れて行ってんねぇかな。我儘娘も一緒がいい。


                ◇ ◇

  ツァーデク領、盆地のただ中。

 居酒屋で初老の男、酩酊の態でまだ語る。

「伯爵さまも色惚けキ印だった訳じゃ無ぇ。お世継ぎの男の子が欲しかったのよ。確かに先の夫人は凄ぇ美女だったけんど・・あ・・決して今の奥さまが醜女だって言ってんじゃ無ぇぞ。まぁ俺はご遠慮すっけど・・」

 酔漢の言葉。とりとめも無い。


「お殿さま、けっこう色好みでは有るのですね?」

「イヤ確かにサカってばかりだったけど。そりゃ息子が欲しかったからで・・」

「息子が欲してたから?」

「違ぇよ。息子が欲しかったからっ!」


 妖艶な美女が卑猥な茶々を入れるので、酔漢ますます興が乗る。

「所構わずで俺ら眼福よ。いい時代だったなぁ」

「凄い美女さんと?」


「それが後妻さんとじゃ賢者のごとし」

「再婚した意味、無くない?」

「それが、ここだけの話だぜぇ。実はその後妻、元々が糟糠の細君だったんだと。それも忠臣の娘で幼馴染。ただ、ちゃんと祝言あげない仲だったんだとさ」


「それが伯爵の娘との縁談が来た途端にポイってわけ?」

「いや、その忠臣が二人に言い含めたんだと。『お家のため』ってさ」


「それも悲しい話ね」

「殿様あれで結構な苦労人なんだよ。クズ親父がやらかして追放んなった名ばかり男爵だもんな」

「なに「やらかし』たの?」

「借金だらけで屋敷も先祖代々の領地も売っぱらって、果ては下賜された封地までも売ろうとして御法度で御用。東のマルクじゃ誰でも知ってる話さ」


「親父って・・ばか?」

 封建された領地は上級主君おーべるすてへれから無期限に借りた物と思えばいい。勝手に売ったらバチが当たる。

「息子は追放されなかったんだ」

「封地は返納して爵位は一代限りって事で許されたよ。大甘だけどね。困ったのは家来の騎士たちさ」

 アパートの大家が破産したケースに少々似てはいるが、新しいオーナーと再契約出来なければ立退料ゼロで追い出される。この世界では。

「殿様がここに婿入り出来て助かった」


「詳しいと思ったら当事者でしたか。あんまり騎士に見えなかったけど」

「田舎騎士なんて、こんなもんだ」


「重ねて言っとくけどな。今の奥さまが醜女だとか、ひとッことも言ってないぞ。殿様が急に賢者にならいただけだ」

「再婚した時、もう倦怠期だったのかしら」


                ◇ ◇

 翌朝のアグリッパ。

 スールト侯爵のもとに二人の騎士が訪れる。


「僕の乾分こぶんを呼んどいた。おじいちゃんツァーデクに使者を遣るんでしょ?」

「小僧、気が利くな」

「えへん」

 色小姓クラレンス、偉そうな態度」


「この際だから先手を打って結納金ヴィデム払っちゃおうよ。湖の水門開けてやるって恩を着せつつ持ってけば、受け取らない訳に行かないでしょ?」

「此のご両名に堰の鍵を預けるか。それは妙案じゃ」

「あちらに鍵を渡しちゃって水源地の森を押領されるリスクは避けたいでしょ?」


「ふふふ。そういう愚行をさせて責任を問う、という手も有るがな」

「おじいちゃんも黒いね」


 侯、騎士の一人に鍵を渡す。

「ヨードル川を遡る山道じゃが、馬で行ける。水源の森の入り口ほか三箇所ほどに鉄門があって、この・・」

 無骨で大きな印章を渡す。

「・・封印がしてある。誰ぞ破っとらんかのう」


「そこまで馬鹿でもないと思うけどね」

「あれの父親は馬鹿じゃった。が、陽気な奴でな。あいつは辛気臭い」


「お預かりしやす」と、小柄の騎士。

「それと、街で白絹の反物と宝石ちょこっと見繕って。あと金塊で三万」

「豪勢じゃな」

「ここは一発、侯爵家の威風見せ付けちゃいましょうよ。どうせ後で取り戻すし」


「またなんか詐欺企んでるな!」


                ◇ ◇

 ツァーデクの城館、伯爵の私室。

 先代の甲冑が飾ってあるが、今の彼の体型には合わない。


「ティリを城から外に出したのは失策だったかな。城内で死んだなら詮索されると思ってさ」

「外でも同じでございます」と、老騎士。

「親戚筋が替え玉を用意しやしないか、とかも気になってさ」

「替え玉が幾ら本人だと言い張っても、出せる証拠が何もござらぬ」

「ま、そうとも思うけどさ」


「確固たる自分の意見をお持ちなされ。さすれば無用な後悔もせぬ」

「あれが死んで直系が絶えれば、俺より本家の血が濃い分家筋がごね始める。でも俺が本家の所領を相続しちまえば抑え込める。あれに縁談が来る前に事を運ばない訳には行かんのだ」

「刻限が迫るまで後回しにしていたのだから仕方ございません」


「だから言ったろう。城内であれが死ねば、相続人の俺が第一に疑われるって。と言って、あまり幼いうちに満足な護衛もなく表に出して被殺事件に遭えば、矢張やっぱり出した俺が一番に疑われる」

「勝手に逃げ出した、という話を作らんと不可いかんのは理解わかります」


「だから、自分で『行く』と決断して出て行っても可訝おかしくない年齢になってからでないと・・」

「ずるずると決断を引き延ばした言い訳に聞こえまする」


「ああ、そのとおりだよ。言い訳してるのさ、俺は」

「殿の性格は存じ上げておりまする」

「奥の決断力の半分でも、この俺に有ったらなぁ。先妻あれと直系の後継ぎを作ろうと焦っていた事が奥に耐え難かったのも理解わかる。だからこそ、奥とした子に全てを譲りたい」

「有難う御座りまする」


それがしには、御家が残るだけでも十分有難う御座ったが・・」

 これは老騎士の心の中だけの声であった。



続きは明晩UPします。

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