209.女怖くて憂鬱だった
アグリッパ市内、スールト侯のアパルトマン。
ノックする人がいる。
「誰?」
「ツァーデク伯爵からの使者でございます。書状をお届けに参りました」
「なんか来た?」
アントンら三人こそこそ隠れる。
侯爵、扉を開く。
「スヴェンから? 儂宛てに?」
ツァーデク家の次席執事ヘンドリク、恭々しく最敬礼すると肩掛け鞄から書状を取り出し、捧げる。
「ご一読くださり、何かお言葉を賜れますれば幸いで御座います」
「ふむ」
侯、戸口に立ったまま小指の爪で器用に封を切り、一読する。
「検討して返使を遣わす」
ヘンドリク復た最敬礼して、あっさり辞去する。
色小姓、ひょいと現れて書状を覗き込む。
「『娘を宜しく』って?」
「いや、全然別件じゃった」
「水源地の事で御座いましょうか?」
「左様。湖の堰の鍵を貸してくれと言うて来た」
「それはお止しなさいませ。あれは借りたら返さぬ男でございます」
「応、熟う知って居る。あれ、本当に其方の父親か?」
「実は違うと母が申しておりました」
あっさり言う。
「然り左様であろうなぁ。あれは全然風采の上がらぬ男で、ビーチェと媾う絵面が想像できぬ」
「おじいちゃん、言い方!」
「でも為ておりましたが」
「嬢ちゃんも、言い方!」
「あれは男児を儲けたく躍起になって居りました挙句、不幸にも産褥にて母子倶に喪いましたが、情婦が何か仕掛けたものかと」
「それ、後添いに収まった人のこと?」
「そうとも申しますでしょうか」
◇ ◇
スールト侯の許を辞去したツァーデクの次席執事ヘンドリク、一所懸命考える。
「あと、なんだっけ・・」
一番大事なのは濁り水対策だ。ひとの生き死にこそ懸かってないが、領民みなの生活に関ることだ。
「次は・・ハイヤー・・じゃなくて、人探しだ。そうそう」
必死に思い出す。
「そうだ。アバンチュール・ギルドだ。色っぽいところかな」
道を聞き聞き行く。
そんな中、運よく親切なかたに巡り会えた。お堂へ清掃の奉仕活動に上がってる作業着姿の信者さんで市内に詳しく、丁寧に教えて下さった。都会は世知辛いってよく聞くけれど、この町は皆さん人情があって良い町だ。
件のギルドに着く。
「尋ね人かい。とし格好は?」
「おん年十五。痩せた子猫みたいな感じ」
実はもう五、六年も彼女を見たことが無い。奥様に言われたとおり言う。
「口数少なく、ひとと目を合わせたがらない」
・・いやこれ、奥様が嫌われてるだけじゃないのか?
「顔は?」
「鼻口ひとつ目がふたつ。髪は黒髪ひとみも黒」
「・・ん・まぁ顔はアレだけど、黒髪は辛うじて目印んなるかな。服装は?」
「そこいらの下女っぽい服」
「なんで貴族のお嬢さまが、そんな格好?」
「持って来られた縁談が嫌で、そんな格好して城を抜け出したんだと」
愛想のいい大年増、さすがに困惑顔だ。
「さすがにご本人が特徴薄すぎだわ。『ツァデック家のお嬢さん探してます』って拡散だけして反応待ちってのが、ご予算的にも正解じゃないの?」
「ツァーデク」
「はいはい『ツァーデク』」
そんなもんだろな。
◇ ◇
ヘンドリクの後ろ姿を見送るウルスラ、呟く。
「『嫌で逃げてる娘を追う』ってのはウチら興が乗らないもんね。そう言うのこそ『あちらさん』の仕事ね。・・紹介しないけど」
冒険者の矜持の問題である。
四人の女が入って来る。
「あら、今日はもう上がり?」
「ちょっと気になる事がありました」と『沈黙の女子会』のアナ。
「入市審査を通った者で、異常に見目麗しい三人組が居ました」
「異常って・・何それ?」
「ひとり目がお小姓姿の美少年で、見て欲情しちゃうのが止められない感じ」
「アナちゃん、言い方!」
「持っていた短剣に白蛇の紋章。首の近くだけ少し蛇行した羅馬数字2の字型」
「変わってるわね」
「二人目は美青年だけど異常じゃない」
「それは・・よかったわ」
「三人目は萎れかけた百合の切り花。一見清楚な少女に見えて性的な液状の何かが染み出して来るような退廃的な美しさ」
「すごい表現ね・・」
「指輪が血のように紅い目をした銀の蛇で、蛇一匹で尾にも頭のある双頭を絡めて輪になっている」
「毒とか有りそうね・・」
メリダが一歩踏み出して言う。
「その・・ひとり目の白蛇なんですが、数日前に似たのを見たんです。部分部分は酷似なんですが、こちらは2の字でなく、二匹の尾が絡んでUの字型でした。
「持ってた人は?」
「巨大な黒豹みたいに剣呑だけど吟遊詩人の騎士でした」
「た・・確かに、異常なまでに個性的ね」
聞いていてウルスラ、確かに何か禍々しいものを感じないでも無い。
「紋章か・・」
◇ ◇
スールト侯、仕出をとって豪華に晩餐。
「領地は殆んど大司教座に寄進し、尽くしてくれた家臣らを其処の代官に推挙して身の立つように為た。あとは慎ましく余生を過ごす積もりじゃった・・」
「良いじゃないですか。若いお嫁さん貰って今ひと花! 財産だって未だまだ結構有るんでしょ?」
「うむ・・じき寿命も尽きようから、ビーチェは儂から相続して、好き合うた男と再婚すれば良い」
「だから、それは母ですわ」
「おじいちゃん、やっぱり惚けてる」
「否、昔の夢に浸っただけじゃ」
「やっぱり息子の嫁をモノにする気満々だったんだ。狒々じいちゃん」
「そんな頃も有ったわい」
「もう隠しもしてないですね」アントン棒読み式の声。
「そんな昔のこと覚えとらんわい」
「矛盾しておられますわ。ずっと先のことも計画して頂きませんと」
◇ ◇
寝室。
「ううふのふ。今夜はアントンと同じベッドだ!」
男二人に女一人で訪ねたので、こんな部屋割りに成って仕舞った。
「約束どおり、えっちなサービスをして上げよう」
「しとらんっ! 約束しとらんっ! だいたいお前の名前も知らないんだ」
「名前? あーそうね、クラレンスに為とこうかな。愛称でクレアがいいかな」
「女みたいだ」
「だって僕、ベッドの中では女の子だもの」
「さっ触るな!」
「ねぇアントン。スールトの血筋が絶えちゃうって大司教座としては有り難くない事態なんだよね。分家の分家のその末裔みたいなのが相続権主張してきて、それが他所の信徒だったりすると・さ」
「先刻言ってた話に繋がるわけか」
「お嬢ちゃんは伯爵家の正統な血筋なんだ。実の父親が誰だって母親の固有財産は相続できる。おまけに、既う当代伯爵が認知してるんだから、父親が逝っちゃえば女伯爵確定さ。傍系の親類が騒ぐ余地無し」
「侯爵さんと結婚しちゃうと?」
「もち、彼の相続人になるよ。上位君主である大司教座が彼女を支持して、何処の馬の骨とも分からない者が相続権主張しても蹴飛ばすだろうね」
「僕ら、金の卵を拾っちゃったのか!」
「ポルの伯爵の家臣がだよ、継子いじめの果てにツァーデクの直系が絶えてたかも知れないのを扶けて、おまけにスールト家の断絶を食い止めた協力者って言ったら君、アレの件で大司教座に借りを作ってた御家の穴埋めで高得点じゃん!」
「なぁ、君はここまで読んでアグリッパに来たのか?」
「やだなぁ、クレアってお呼びよ。彼女が侯爵の後継ぎを産めば最高さ」
「それは流石に無理だろ。あれって、祖父と孫の年齢差だぞ」
「うふふ、僕がテクニックを伝授すれば、いける」
擦り寄る。
「ほら、アントンこんなに反応してる」
「あ、こらぁ」
◇ ◇
居間。
「儂のところに嫁に来るかね?」
「その積もりで遥々参りましたもの」
「スヴェンの奴には思い知らせんで良いのか?」
「自分の血を引いた者に何も残せず、悲願潰えるは十分な懲罰でしょう。それでも伯爵で居られるのだから、余計な足掻きは為いますまい」
「継母と義妹は?」
「うふふ」
蛇の指輪が晃乎と光る。
女は怖い。
続きは明晩UPします。




