208.使者とても憂鬱だった
ツァーデクの城門を単騎出づるのは次席執事ヘンドリク。
いろいろ言い含められているが、目的地に着いた頃には半分忘れている気がして悩ましく、必死で暗唱する。
泥濘飛び越えた拍子に内容が全部「ハイヤー」にならぬようにも祈る。
不安なのだ。
見上げると、昔スールト侯の居城が在った岡の上が、今はアグリッパ東部兵団の駐屯地になっている。
軍営というより東方修道騎士団への支援物資の積替基地だ。が、名称は支援でも実態は儲かる商売。
大司教座、抜け目無さすぎ。
聞くところでは神聖諸侯政権の中枢に商家出身者が居るらしい。
そういうところ当家も見習うべきなのだが、武辺者体質が染み込んでいるのか、上手く行かない。
当代様は武は無いが文も有る訳でない。しかし奢侈にも走らず漁色せず、済民に能く心を砕くお人だ。
成功しているとは言わないが。
つまり自分は筆頭執事さまの様に御当主を嫌っていない。まぁそれが次席執事に抜擢されている理由かも知れない。
など、つらつら思いつつ馬を馳せていると、川岸に着く。
渡し船を待ちながら、また思う。
「用事・・何だっけ?」
◇ ◇
アルトデルフトの町。丘の上に修道院が見える。
町は分団長司祭の支配下だが、ヨードル川に面した港湾関連施設と倉庫街だけは海運ギルドが自治権を持っている。
その管理事務所の一室。
「それで、俺は指示どおり下男の格好をして、依頼者に会いに行ったのですよ」
傭兵ヘルマンむくれた顔。
イザベル・ヘルシング応々と頷く。
「それで俺は、暗号名を名乗ったんだが、女は合言葉も返さないで『物置の荷物を片付けろ』と限言うと、スタスタ行っちまった。まぁ後でアモンに聞いたら、屹度その『物置に監禁していた標的を自然死に見せ掛けて始末しろ』って意味だろうと云うんだが、その物置に誰が居る訳でもない」
「居なきゃ始末は出来ませんね」
「そうでしょ? だから荷物の片付けをして帰って来ました。なんか行き違いでも有って、本物の下男と間違えたんだろう・・ってね」
「貴方には何も落ち度無しに無駄足を踏まされた訳ですね。正当なキャンセル料は受け取れましたか?」
「アモンが請求して呉れている筈です」
「会う約束を?」
「港の酒場で」
◇ ◇
アグリッパ、東の港に定期船が着き、乗客は入市手続きの列に並ぶ。
「いいから。僕らは並ばなくても」と色小姓。短剣の紋章を見せる。
「それから、彼は僕の従者」と役人に言う。
アントン、従者にされて了った。
「それから・・」と言う前にお嬢ちゃん、指輪を役人に見せる。
「どうぞ」と役人。
「そんな指輪・・持ってたかい?」と色小姓、彼には珍しい驚き顔。
「母の形見です。見つかると継母に取り上げられるから隠していました」
「・・何処に?」
「秘密ですわ」と微笑む少女。
三人、市内に入る。
「その指輪、ちょっと見ていい?」
「どうぞ」
色小姓、歩きながら彼女の手を執る。
「白銀の蛇・・目にルビー・・」凝と見て呟く。
突然、考えを振り払うように頭を振って・・
「兎も角目的地に行こう」
「場所、分かってんのかい?」
「この町は裏路地の数まで知ってるのさ」
古いが格調高そうなアパルトマンに着く。
「アポ無しで行くのか!」とアントン目を白黒。その瞬く間に色小姓、扉を叩いて仕舞う。
「誰かね?」
白髪長身の老人が現れる。飾り気の無い素服で端然とした佇まい。
色小姓すっと脇に寄って少女を前に出す。
「ビーチェ! ビーチェなのか?」
老人刮目する。
◇ ◇
次席執事ヘンドリク、渡し船を降り城門へ。書状に捺された封蝋の印影を見せて通関する。用事が「ハイヤー」でない事を正と覚えていた。
「スールト侯爵の屋敷って、どこですか?」
ヘンドリク、入市審査の女子事務員に聞く。
「御免なさい。あとが支えてますので」とアナ・トゥーリア素っ気ない答え。
ヘンドリク、手綱を引きひき悄然と去る。
◇ ◇
アルトデルフト港、倉庫街の酒場。
テーブル席。
口入屋モニィの背後から、右肩にイザベル、左肩にルディの手が置かれている。
向かいの席の傭兵ヘルマン痛感する。自分はバイトだが此の二人はプロだと。
なんのプロかは言うまでも無い。
「アモン・シュタイヤリクさん。状況を確認させて下さい」
モニィ、肩を窄めると二人の手が首に近づく。
恐怖で失禁の一歩手前である。
「私は、割符を持った依頼者が・・会の信用調査をパスした顧客本人ではない事を確信するに至りまして、幸い依頼がキャンセルになりましたので・・延焼の防止といいますか、収拾する努力を・・」
「証拠を残さないために記録を一切残さない、という現行体制に問題があったとは認めます。あなたは違和感を感じたとき一人で対処しようとせずに、直ぐに本部に報告すべきでした。面が割れたので、暫く内勤に回って下さい」
モニィ、粛清では無さそうだと安堵する余り緊張が解け、少し漏らす。
「事態の収拾には私たちが当たります。あなたは、伯爵夫人が伯爵に無断で依頼を出して来たのではないかと疑ったのですね?」
「資金が乏しそうでしたので」
「『極秘で監禁中の人物を自然死に見せ掛けて処分せよ』との依頼ですが、対象が誰なのかは?」
「明言しないんで、言葉の端々から推し量りました。若い女性です」
イザベルとルディ、頷き合う。
◇ ◇
アグリッパ市内、スールト侯の侘び住まい・・という程に侘びてはいないが侯の住まいかと思えば質素。
侯、少女の手を両掌で包み込むように執る。
「ビーチェ!」
「それは母です」
「ビーチェ。きみが倅に嫁いで呉れていたら・・」
「おじいちゃん惚けちゃってるのかな」と色小姓。
「正気じゃわい! 少し想い出と感傷に浸っただけじゃ」
「本人が必死で『正気だ!』と言うのは惚けてる証拠だよ」
「惚けとらんわい! お前も誰だっけ・・倅の葬式に来とったろう! このとおり記憶も確かじゃ」
「昔のことは覚えてて、朝食なんだったか覚えてないとか典型典型」
「覚えとるわい! スープで戻した塩漬け肉とふんわり卵じゃ」
「なら許してあげよう」
偉そうに言う。
「でも、愛しのベアトリーチェが嫁に来てたら、絶対手を出してたね」
「大丈夫じゃ。跡取りの一人娘じゃから嫁には来ぬ」
なにが大丈夫なのかと突っ込みたいアントン。
いや実際、一人娘が平気で嫁に行って二領地が統合されるのは屡く有ることだが論点が違う。
「惚けてないなら、彼女は娘のマティルダなので、そこ宜しく」
「ほぼ同じじゃろう」
「いや、こっちは新品みたいだよ」
アントンいいかげん業を煮やし、割って入る。
「脇道に逸れてばっかり居ないで、本題に入りましょう。彼女はツァーデク伯から侯爵さまに嫁げと命じられたのです」
「そりゃまた唐突だな」
「彼女は母君を喪い、ツァーデク伯が後室を入れたので虐待を受けておりました。このほど身一つで家を出され、徒歩で上京なされたのです。我ら見かねて此方までご案内致した次第」
「ビーチェが・・死んだ!」
「そっからかい」
「そうか・・知らなんだ。儂、倅を喪ってから殆ど世を捨てて居ったからな」
「おじいちゃん、何処までは知ってるの?」
「スヴェンの奴が入り婿で伯爵になったのは知っとる。他でもない、この儂が授封更新したんだからな。あれほどビーチェに女伯になれと言うたのに、見てみい」
「後妻の言いなりみたいだね」
「しかしスヴェンも脳が饐えておるのか? 伯爵家直系の娘が儂に嫁いだなら儂が正式な後見人じゃ。爵位は一代限りでも終生じゃから何ぞ失態が無ければ失わぬが世襲領ぜんぶ召し上げられても文句言えぬのだぞ」
「それは何卒」
そのときノック有り。
「誰だ?」
続きは夕刻にUPします。




