207回用解説画像
《207回本文》
「解っとらんな。侯爵というのは敵対勢力のいる国境沿いに領地を貰ったガチ勢の戦争屋だ。そんなとこ嫁いで良いこと無いぞ」
《本文ここまで》
某HRR国 A.D.1000頃
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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Holy_Roman_Empire_1000_map-de.svgに加筆
王国(KÖNIGREICH)
公国(HERZOGTUM)
侯国(MARK)
伯爵領(GRAFSCHAFT)
これらのボリューム感を見て下さい。
図の某HRR国はFrancia国が五つに分裂したうち四つが塊になったもの。
大移動時代の諸部族の名残りが残っていてエスニック公国とか呼ばれる領域が大半を占めます。
緑系で塗られているのは Lotharingienを吸収したOstFranken系の諸公国。
黄色はこの時点で分裂崩壊直前のBurgund王国。
その中の濃い黄色が分裂後のSavoy伯爵領。レマン湖の南でGenfの文字がある辺りです。
伯爵領というものの広さをKorsika島(広島県くらい)やザクセンやバイエルンなどの公国のサイズと比較して下さい。これでも大きい伯爵領です。
この伯爵領は婚姻でTurin(トリノ辺境伯領:濃いピンク部分)を吸収し、どんどん大きくなって行きます。(後に公国、そして最後はイタリア王家)
某HRR国の東側にある塗り潰しでなく斜線のエリアには、数多くのMark(侯国)が有ります。
友好的なチェコ人の国は公国として某HRR国の一員になりますが、それ以外の敵対的諸族に対しては、それぞれの公国が麾下の有力な伯爵の分家に征服を進めさせ、Markが成立していきます。国王がそれらを直臣として吸い上げて旧主と同格の旗諸侯クラスに格上げしましたた。
しかしボリューム的には公国より小粒ぞろい。
むろん例外もあります。
東南部のOstmark(のち帝国)やカランタンなど。
Francia国がイタリアのLombardei王国を倒して併合したときに分割したVeronaの侯国やToscanaの伯領も公国なみの大きさです。
旧Lombardei王国の首都圏はHRR直轄地となりましたが実際はいくつかの地方領主が割拠していました。トリノがその一つです。
こうして見ると、侯や伯が公国なみに大きいのは1)征服して分割した元の国が大きかった;2)君主が頑張って辺境を征服して領地を大きくした;の2タイプあるようです。
MarkをBorder辺境と訳してMarkgrafが辺境伯ですから、Mark全域を支配するMarkgrafは普通のGrafより大きいのですが、ToscanaのGrafはそう書いてなくてもMarkgrafと理解されています。
トスカーナの例は君主Matilde di Canossa がcontessa di Mantovaマントヴァ女伯爵、duchessa di Spoletoスポレート女公爵、 margravia di Toscanaトスカーナ女辺境伯、duchessa consorte della Bassa Lorena下ロレーヌ公爵夫人、contessa consorte di Verdun e duchessa consorte di Bavieraヴェルダン伯夫人及びバイエルン公夫人などあまりにも多くのタイトルを持っていた"Grancontessa" (あだ名は『グラン』)であったのが原因かも知れません。
30歳の若さで皇帝と対決するなど、アキテーヌのアリエノールの次くらい大きく歴史の表舞台で活躍した女性です。
Matildeの場合、兄の死で引き継いだトスカーナ辺境伯の位より生まれた時から持っていたマントヴァ女伯爵の『伯爵』の方が先に記載されたとか、兄より長く生きていた母親の称号がcomitissaであったとか、色々な要素がありました。それで彼女が君主だったトスカーナ辺境伯領が伯爵領と表記されたのかも知れません。想像ですが。
ちなみにcontessaで例にとれば直系尊属の伯爵位を相続した女性も、伯爵位を持つ男性の配偶者である女性も、どちらも同じcontessaというタイトルになるため、わざわざcontessa suo jure女伯爵とcontessa consorte伯爵夫人と説明を付記しないと区別がつきません。
ややこしい。
高解像のURL
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本編は明日UPします。




