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204.清掃員も憂鬱だった

 ツァーデク谷は平野から急に山地に入り込む地形で、守って堅固、攻めの拠点にし。それで城に有力な武将を置き辺防の要としてきた歴史がある。

 だが、東方騎士団が北東へと大いに版図を拡げたために、当地がもう辺境でなく成って久しい。


 異民族が攻めて来るような事件はついぞ無くなり、軍も凡将弱兵で足りた。

 要するに、今は使命を終えた城がある。


 そしてツァーデク伯爵は武功でなく文治の才でなく、ただ単に婚姻で地位を得た人物であった。


「ちょっとあなた! マグダのやつが逃げちゃったんで、あの娘が家出する理由が無くなっちゃったじゃないの。どうするの!」

 沈む夕陽の射す一室で中年女性が金切声を上げる。

「まぁ、ことの前後など誰もわからんさ。職務怠慢で主君の娘を迷い子にした咎で処罰されると思った専属メイドが逃げた。そう言って実家を譴責しとけ」


 娘は、身ひとつ無一文で追い出した。どこかで野垂れ死ぬだろうから形ばかりの捜索命令を出しておけば宜しい。そう楽観する伯爵。


「まぁ綺倆きりょうだけは矢鱈良いから娼家にでも売り飛ばされて存命ながらえるかも知らんけれど其れはまたそれ」

 妻と娘、『綺倆』という単語を知らず異を唱えないで居るが、継子ままこやつれ顔しか覚えていないので彼女を醜いと思っている。

 一方で、夫は先妻の健やかなる頃の容貌が脳裏に在るので、彼女の娘なら本来は美しいと思う。先入観が強く働いているのだった。


「それより困るのはヨードル川だ」

 このところ水質の濁りが尋常でなく、原因が分からない。


                ◇ ◇

 提灯掲げてモーザ川を下る船端。

「・・ほんとに船賃無料ただなんだ・・巡礼っぽい格好してるだけで」

 脇役女、驚いて口に出す。

「そりゃ団体さん来たらみんなろはにゃ出来ねぇけんど、ひとりや二人ならお布施の積もりで乗っけるよ」

 気のいい船頭である。


「最近は日が暮れても船を出すんだな」と有料で乗った船客。

「下りだけね。流れに乗ってくだけだから」

 ちょっと前まで外壁まうるの外はスラム街だったから、閉門後に行く人も無かったが、最近は城郭外にも堅気の町が出来た。巡礼の者でなくとも、朝一番から町に用事のある者は、あちらの城外で一泊する方が割安なのである。


「・・(もし万が一、追っ手が掛かっていたとしても)」

 ・・懺悔のときの言い方ひとつで大司教座が保護してくれるかも・・って、あのギャンブラー少女が言ってたけど、確かにこれ、ひとつのギャンブルよね」


 酒場で銀貨を賭けているよりも割りが良いかも知れない。


                ◇ ◇

 王都。冒険者ギルド隣りの酒場。盛り上がっている。


「ギャンブラーの嬢ちゃん、顔真っ赤だぞ」

「ドミニクです」

「ドミニクちゃん、顔真っ赤だぞ」

「北部のお酒は薄いです」

「強がるところぁ年齢とし相応だな」と、鴨だった男。

 鴨られた自分の金で飲んでいるから、鴨も過去形にしておく。


「薄くても衛生的で滋養もありますが、欠点は怪我の薬に使えないところですね」

「よく知ってるな」と裸の女。

「おねぇさんは、その格好で寒くないんですか?」

「そりゃ寒いよ。南部じゃこれで平気だったんだがなぁ」

「当然です。あっちはあったかいですから」

「ああ。親が耄碌して怪我したって言うから見に来たけど、大丈夫そだから早々さっさと帰るわ。寒いもん」

 南に行った北部人には、帰って来ない人が多い。


「姉ちゃんは何故尻出してんだい?」

「服着てると、なぜか傷が膿むんだよ。だから裸の上に直接鎧を着けるのさ」

「だったら鎧脱いだときなんはおれば良いじゃんか」

「めんどくさい」

 裸と言っても、どこかの異世界では公道で走り込んでいる人のような軽装のことである。この世界では足首が見えるように服を着るのは風俗産業で営業中の人か、さもなくば河原で洗濯中の主婦だ。


 ちなみに、さる業界の人々には、肩から羽織る外套まんとを頭からかぶって足首ちら見せ営業する人も多い。

 女性冒険者が肌を露出させていても男共が姦淫目的で絡んで来ないのは、それをって撲殺された男の遺族が暴行致死で訴えたが敗訴した所為せいだろう。

 婦女暴行が未遂でも死刑なのだから仕方ない。


「衣服が不衛生だから化膿するのです。鍋で煮ればよい」

「お嬢ちゃん、医術者に習ったのかい?」

 灰色の服の僧侶が話しかけて来る。

 衛生の概念がある者は業界でも相当レアである。何せ床屋と外科医が一緒くたの世界であるから。


「煮るより裸が楽だわな」

 へそを出した女冒険者が笑う。

「先ほども、麦酒が衛生的だと言っておったろう?」僧侶、真面目な顔で。

「いちど煮立てますでしょう?」

「そのとおりだ。この辺りは大河の下流だ。澄んで綺麗に見えている湧き水さえも穢れている所が多い。諸君! ビール飲むべし!」

 一同、僧侶の音頭でまた乾杯する。


 しこたま飲む。


                ◇ ◇

 ツァーデクの城館。


 燭台を手に、やってきた娘が問う。

「お母さま。ティリ、ちゃんと死んでるわよね?」

「さあ? あの男には『娘の部屋に行って、片付けろ』と命じただけよ。あの男は部屋の掃除しただけかも知れないわ」

 保身を優先し過ぎである。


 兎に角、城内には居ない。

 そもそも顔を知っている人間が少ないし、知っては居ても下僕がどっかでこさえて来た子か何かかと思っている者ばかり。探すだけでも苦労した。

 結論は、門衛が目撃した『下女の服装みなりなのに妙に背筋のしゃんと伸びた少女』が伯爵家長女マティルダであろう、ということ。理由は不明だが、変装して出奔したとして城兵の一分隊に捜索を命じた。


 夫人のいう『あの男』は部屋の掃除をした模様である。


                ◇ ◇

 高原州ホホラント南端、商都メッツァナ、歓楽街。

 密偵ロートベルト、娼館で格闘。


いささかお早うありんす」

「俺のモットーは『仕事迅速』だ」

 実際、彼の来店目的は情報収集であって歓楽でない。


「怪談みたいなのが多少あっても客足落ちないって、元気な街だなぁ」

「『首吊り城』とか、昔からある話だから今更でありんす。それに・・」

「それに?」

「あちきに迷惑な衆が次々ぶらぶら下がっちゃって、メデタイナ」

 ・・流石に目出度かぁ無いだろう。


「そういやぁ狼害騒ぎって、収まったの?」

「それがねぇ、野犬に喰われてたのが得体の知れない余所者ばっかりだったもんで最近じゃ、あれは町の守護聖人様が遣わされたお犬様だって噂」


 ・・この州で仲間の工作員が関与したと思われる事件は、どれも我が方の全滅で終わってる。しかも地元の衆は一掃を喜んでるっぽい。完全にアウェイだな。

 ここは命大事で行くきだ。


 「・・帰るか」


                ◇ ◇

 ツァーデクの谷からヨードル川を下った先は、割とぐもう東方騎士団領。西も他所の男爵領。つまり伯爵領は谷の奥の割と広い盆地が殆どであって、平野の方は少ない。

 どのくらい少ないかと言うと、肉眼でひとが見える程度だ。

 だから伯爵令嬢を探しに出た兵士がたった一分隊なのである。


「いませんね」

「ああ。もう居ないだろうな」

 実は門衛が彼女を最後に見てからう有に一週は経っている。

 城の兵隊がみだりに他領へ立入れる訳もなく、本当なら自治村にだって入れない。

 つまり彼らに出来ることは殆ど無い。


 「・・帰るか」


 門を出たばかりである。


                ◇ ◇

 ヨードル川を下って北海に注ぐ付近の少し大きな町アルトデルフトには修道院が有って、院長が東方騎士団の分団長マギステルである。つまり本地区の統治者だ。

 修道院が行政府であり軍司令部であり、そして麦酒の醸造所なのである。

 ここの修道騎士は忙しい。


 修道会『剣の兄弟団』に属する騎士だけでなく、傭兵もちらほら。無論、戒律上修道士にできない任務を受け持つためである。

 談話室で傭兵ヘルマン麦酒を呷る。

「暗殺の仕事だといって招致されて、行ったら下男をさせられた。あそこの依頼は二度と受けぬ」


 物置の掃除を命じられた男、文句を言う。



続きは明晩UPしま・・す。

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