180.化けても憂鬱だった
大河モーザ下流域、アグリッパ近く。ヘスラー領オプツァイ。
浮き橋が南へ繋がる時刻に合わせて乗合馬車が来るので、赤毛のルファス陸路で大司教領に入る。
オプツァイ自体が大司教領から封臣が拝領した領地だから昨夜から、大司教領に居たような気もするが、ともかく橋を渡って大司教領入りである。
「昨夜のおっさん、下っ端警官なんだろうなぁ。官費で酒飲んでくっ喋って、本当羨ましい職務だなぁ」
・・なぜ臭いものに蓋した土左衛門の話を未だ流してるのかは謎だが、おいおい考えよう。
ルファス馬車に揺られる。
◇ ◇
南門。
冒険者グループ『沈黙の女子会』のメンバ通称みなみ、仕事が暇である。完全に普通の入市審査官助手になっている。
驚くべきことに彼女、初老の審査官とたまに会話するくらい親しくなっていた。最初は読み書きの手ほどきで、彼女の朗読の間違いを指摘する程度の単なる師弟であったが、最近は無駄話すら、する。
異常に無口だった最初の彼女からは、とても考えられない変化である。
「昨日・・町を出た人に・・地味な若い女性が居ました」
お前が他人を地味だとか言うな、と突っ込んでは不可ない。彼女の地味さ加減は『印象に残らず風景に溶け込む偵察員』という資質なのである。
「町を出た人・・?」
審査官、とんと記憶に無い。
彼らの仕事は『入ってくる人のチェック』であるから。
「あのひと・・スティリコ家のジャンヌだった気がするんです」
「え!」
町の有名な美女である。しかも、あの事件で自宅軟禁中の。
「骨格が・・同じだったんです」
「骨格?」
ぜんぜん意味わからなくて当惑する審査官。
◇ ◇
国都近郊、ポルトリアス伯爵下屋敷。
アントン、執事の部屋で目覚めて暫く鬱々としていた。
夢にあのクレルヴォ男爵の小姓が出てきていたのであった。
夢てふものは覚めると急速に忘却される。だから内容は覚えていない。ただただ途轍もない敗北感だけが残った。
「まぁ・・いいや。今日を生きよう。昨日とは違う太陽が昇ってるはずだ」
回廊を行くと、異音がする。
窓から見下ろすと、大柄な男性が丸太を振り回していた。
正確には丸太ではなく、その端を剣の柄くらいに削ったものだから、素振り用の練習用具だろう。だが、片手でそこらの樹木を引っこ抜いて振り回しているような錯覚を抱かせる光景だ。
「あれがドン・マルティネス二世か」
近づいて見る。
「うるさかったか?」
「いえ、自分も多少剣術を習った者ですので、興味深く拝見していました」
「師に就いたのか?」
「いえ、昔の御主君に手ほどき頂きました。執事の息子でしたので」
「左様か。自分は父親の見様見真似だ。我流の癖が強い」
「ご自分で修練を工夫なさるのは立派です」
「技量は見て偸めと言うような父でな。かように相成った」
・・そんな無口で無いじゃん。
「若いな」
「騎士様より五つ下です」
「殿より聞いたか・・」
表情で曖昧に答えるアントン、話題を変えようとする。
「決闘十八連勝というのは、並ぶ者なき快挙と存じます」
「! なぜ十八と?」
「え?」
「十八回目は非公式としていた筈なのに・・」
「ここは国都ですよ。情報屋が跋扈している京です」
・・まずっ! 十八勝目は秘密だったのか!
焦って誤魔化すアントン。
「あれは力の差があり過ぎて、不憫で揉み消した筈だったのだが・・」
「回数情報だけなら、そんな問題でも無いんでは?」
「一見して力量不足の相手と対峙したときには、何も感じなかった。けれど、彼の遺体に取縋る女が指輪に仕込んだ毒を呷ったとき決闘自体を無かった事にするよう確かに指示した・・」
「十八という回数しか伝わって居りませんから、大丈夫でしょう」
「なら・・良いがな。自殺が公表されておらねば、良い」
「今夜、どっか飲みに行きます?」
◇ ◇
赤髪のルファス、駅馬車で城門を通過して、市街に至る。
馬車屋の組合の近くに冒険者ギルドがあるはずだ。
地元の者と軋轢が無いように、先ず地元のギルドに草鞋を脱ぐのが基本中の基本・・業界常識なのだが、それでいいのだろうか?
ルファス、ちょっと悩む。
冒険者ギルドの近くには、必ず徹夜仕事組の雪崩れ込む酒場があるはずだ。そっちで聞き込んでからと決める。
馬車を駅で降りて見まわすと『いかにも』な店があるので暖簾をくぐる。暖簾と言っても、幌馬車の幌みたいな厚い織り物だが。
座っただけで焼いた根菜と焼酎の小杯が出て来る。
「アグリッパは年末振りだけど、変化が多いねえ」
「最近お姉ちゃんのいる店全廃のお達しが出たからねえ。うちは小母ちゃんだからパスだけど」
「ははは」
肯定できないルファスの立場。
「そこまで、やっちゃうの?」
「まぁ、参詣客で賑わう門前町だもんねぇ。『精進落としなら隣町でやって』って言われても仕方ないさ。隣町も潤うから、誰も文句言わないし」
「隣町って?」
「シュトライゼンさ。南に船で翌日着く。ひと晩我慢できない奴は性犯罪者予備軍だから、御用でいい。こんだの改革は、みんなが支持だね。船主も儲かるし」
「小母ちゃんとこの仕事は?」
「うちは徹夜明け組が一杯やって眠る店。影響なしだよ。あたしと寝たいって客は規制されちゃうけどね」
「もとから居ねぇから大丈夫」と、常連らしい男。
「それって、『あの事件』の余波なわけ?」
「ああ・・どっちかっていうと緩めな街だったから、とうとうあれで堪忍袋の緒が切れた感じだねえ」
・・聞き返されないで『あの事件』で通じちゃうって事は、よっぽど誰でもが知ってる大事件だったって事か。
「指名手配のひとが捕まったって話は、まだ無いんだ・・」
「たはは・・それどころか捕まえてた犯人逃げちゃう始末だからねぇ。いや、あれ犯人って言っちゃ可哀想だけど、縁座で軟禁中だったお嬢さんがね」
「何それ?」
「それがさ、『あの事件』暴力組織は一掃したけど親玉は逃がした。悪者七人組は縛り首になったけど、暴力組織を使って裁判妨害した七富豪は収監されないで自宅軟禁って、ゆる〜い処分だったんだよ。そしたら一人逃げちゃった」
「金持ちに甘いのか・・」
「金持ちが市政参事会を仕切ってるから、そういうことだろ」
いや、暴力組織を一網打尽に捕まえたら監獄が満員になって、容疑者までは収監出来なかったんだが、市民の理解はこっちのようだ。
親玉も逃げられたんじゃなくて・・
「うーん・・その『縁座で軟禁中だったお嬢さん』って、そんな重罪に問われそな立場だったの?」
「いいや、処刑された犯人の妹だったってだけだ。市民から減刑嘆願とかいっぱい上がってるよ」
「裁判妨害って死刑も十分アリの重罪だろ? ただの縁座で捕まってるお嬢さんが逃げて、首の危ないおっさん達が逃げてないって、変じゃねぇの?」
「そこはそれ、『逃がし屋って義賊じゃね』説が花盛りよ。そもそも、この事件が摘発されたのは義賊『恨みはらし屋』が連続婦女暴行犯の七人組をマークしていたからだって噂もあるのよ」
・・ふぅん。この『義賊』ちょっと調べてみるか。
◇ ◇
シュトラウゼンの湊。
桟橋を降りると、すぐ娼館街の看板が見える。
「ここが、今いちばんアグリッパから来る女らの警戒されない町ですよ。風俗業が全面禁止になったんで、みんな隣町に移動中なんです」
得々と説明する探索者ギルドのシトヴァン。
「わたし、ここで娼婦をするんですか?」
「彼氏さん専用のね」
「ジャンヌ!」
額を怪我した男が駆け寄って来る」
「ペーテル! その怪我は!」
「勘当される親子喧嘩の芝居で、つい親父が本気になっちゃって・・」
お父上、無理もない。
続きは明晩UPします。




