21.蒼生も憂鬱だった
「あれ・・人間じゃないわ」
沼沢地、中州に築かれたブラーク城に近い辺り。
一艘の小舟が近づいてくる。
唯だ一人乗っているのは十七か八ほどの黒髪の娘だが、祖母くらいの世代ならば普通だった極めて古風な黒い振袖を纏っている。異常なくらいに美しい。
そう・・異常なくらいに。
「あれ・・人間じゃないわ。 ・・普通の・・」
少しマイルドに言い直すクレア。
小舟が舷側を接する。
「ディードリック、矢張り貴方でしたのね。四里の距離から見える『気』と言えば是の辺では貴方くらいしか思い付きませんもの」
「お嬢・・なのか? お美しくなられた」
「あれから色々ありましたのよ。でも生国に帰って暫くは雌伏致しましたが、今は順風満帆です。本宗家にお仕えして、男爵家を再興出来ました。ディードリックも当家に・・いえ、明公に推挙いたしますわ」
「恐悦至極。唯だ拙者今は現職で勤務中ゆえ、時を改めて帰参仕り致し申す」
「嶺南の国エリツェプルの町でカルラッヘ商会なる所をお訪ねなさい。話を通して置きますわ」
小舟、すっと離れて中洲の方に帰って行く。
「ディード・・知ってるかた・・だったの?」
「傭兵時代の大恩人、亡き団長殿のお嬢様だ。幼い頃をよく存じ上げておる」
「もしかして、『魔人』って・・あのかたの事?」
「女性だから違うだろう。生前のお父上は屡く左様呼ばれていたが」
あっさり言うディード。
「抑々、『魔人』などという言葉など、身体能力が桁外れに優れた異民族を畏れて広まった噂話に過ぎぬ。手も足も出ずに敗れた者の言い訳から生まれた伝説だ」
「そう・・なのかな」
・・・「でもさ、ディードの気配が『四里の距離から見え』たってば、それって人間じゃないだろ」という喉元まで出た台詞を飲み込むクレア。
それより那の小舟、誰も漕いでなかったじゃん。
「じゃあ魔王って何よ!」とも、つい言えなくなって終う。
彼らの舟は南へと進む。
◇ ◇
アグリッパの町の些か下流でレーゲン川に西から合流するモーザ川。これもまた大河だ。
ところはアグリッパから快速艇で丸二日ほど。べラリアンスの丘の上。
「さて諸君!」と呼び掛けるアンリ・ジョンデテ。
「諸君に支払えるのは、些少の支度金のみだ。是の金だけ持って逐電しても文句は言わんぞ。『この川底の何処かに莫大なる財宝が眠っておる』という情報を君らが無視出来るならば無視するがいい!」
無視出来るわけが無い。
アンリが求人を仕掛けたのは探索者ギルドだったが、集まったのは冒険者ギルド組合員の方が多い。ギルドの体質だろうか。
専門性の高いプロフェッショナルな探索者に比べ、こういう夢のある仕事に飛び付くのは冒険者だ。
「諸君のうち第一発見者が手にするのは財宝の一割。その九割は正当所有者であるボーフォルス男爵家の物だが、一割だとて一生どころか孫の代まで遊んで暮らせる額なのは間違いない。既に地元の冒険者達が捜索を始めている。諸君らは宝探しに参加するか?」
「応」との大歓声。
「こいつらって、金より斯ういう夢が好きなんだよな」と、小さく呟くアンリ。
だが、夢に賭けているのは、ボーフォルス家も同じだった。
◇ ◇
ブラーク城を過ぎた南。
「ねぇ、ディード・・」
「ん?」
「ゴブリンって、実は飢えて栄養失調の子供達だったでしょ。魔人とは戦闘能力の異常に高い異民族。オーガって・・」
「身体の大きな蛮族であるな」
「オークって・・」
「何度も戦った。兜に猪の面頬を付けたポラーク人だ」
「オークの肉は美味いって・・」
「人など食うわけ無かろう」
豚肉との混同である。クレア、情報通なれど間違った噂も随分と仕入れている。博覧強記の功罪である。
「獣人は・・?」
「街でよく会うではないか」
「そうだった・・(・・そう。寝たことも有ったわよね)」
「ねぇ、ディード」
「何か?」
「この一件が終わったら、仕官しちゃうの?」
「お前も来るか?」
彼とは男女の仲ではないが、なんだか嬉しくなるクレアであった。
◇ ◇
川幅が狭まる。
左右とも石積みの護岸となる。
水路のあちこちに灯火が点りだす。
「小さな町だけど小綺麗な処だに」と、船頭。
スカンビウムの町に入ったようだ。夕刻、荷を積んだ軽舟が縦横に行き交う。
すれ違った小舟の船頭が、何か小粋な恋歌のような舟唄を口遊んでいた。綺麗な声だ。
「女の子?」
「個室のある宿はひとつしか無くってぇ・・っと、冒険者ギルドは特別室みたいなのが有るんだども組合員専用で、あとは商人宿と宿酒場の入れ込み大部屋だに」
水路の分岐を辿って、その唯一のまともな宿の前まで行ける。
思ったより立派な構えである。
「郡役人様の寄合なんかでも使う格式ある宿だに」
アドラー氏、奮発してくれたようだ。
「んじゃあ、良い旅をなぁ」
明日は釣り客を乗せるという船頭、郊外の船宿へと去って行く。
◇ ◇
「明日朝一番の船でメッツァナに向かいたいの」
「承知致しました。それでは宿の軽舟で埠頭までお送りしますので、お部屋の方にお声掛け致します」と、宿の主人。
さしたる手荷物も無い軽装の旅だが、それでも部屋で身軽になる。
「船頭さん、酒場があると言ってたわね」
「ふむ」
二人、外出する。
「アドラー殿のこと、知って居たのか?」
「知らない? 暗号名『鷲木菟』」
「『鷲木菟』! 彼が、あの?」
「だいぶ前に、暗殺とかの荒事からは足を洗って情報屋専業に絞ったとは聞いてたけど、暫く名前を聞かないと思ったら、某伯爵家の専属に落ち着いてたのね。然も御家中で結構『顔』って。密偵稼業としちゃ羨ましいセカンドライフね」
「ふむ」
「ちなみに、最近よく聞くのは『殺さない暗殺者』の噂ね」
「それは『馬に乗らぬ騎士』の如くであるな」
ディードリック、珍しく冗談を言う。
「なんか、手を下さず自滅に追い込むS級アサシンらしいわよ」
「それは刺されるより恐ろしいな:
世間は広い。
◇ ◇
件の酒場に入ると低い天井。中は匇々の広さだが穴蔵を思わせる。鉄串に刺した腸詰などを炙る石皿の上の炎が照明を兼ねている。
既に人は多い。
従業員は地元の主婦の小遣い稼ぎかと見えて色気は無い。客層は顔見知り同士の市民階級が多そうで、常連の溜まり場のようだ。してみると、二階の宿というのは酔い潰れた地元民の御用達だろうか。
女将が出勤してきたばかりの如くで、いまエプロンを着けている。
此方は、女盛りを過ぎたか過ぎないかという風情。同性のクレアの目から見ても割といい女である。
二人、女将のすぐ近くに陣取る。
注文したエールを渡されるときクレア、話し掛ける。
「女将さん、もしかして・・もと冒険者?」
「あら、わかっちゃう?」
「動きに隙がなくて、素人じゃないな、って」
「あらそう? お嬢様の護衛とかで悪い虫の類を追っ払う程度の仕事してたのよ。だからチャンバラ経験は乏しいんだけどね」
明らかに謙遜と分かるが黙っているディード。
「常連さんにも、冒険者引退組は多いんだけどねぇ。なんでか現役さんが来てくれないのさ。ちょっと寂しいねぇ」
「・・・(其れは、格上の前で羽根も伸ばし辛らかろう)」
「若い人たち、どうしてるの?」
「懐寂しいからね。川端で焚き火囲んで酒盛りとか」
「そりゃ寂しいわね」
女将、客を詮索するような話題を自分からは切り出さない。
「あたし達はアグリッパから来た探索者よ。メッツァナで仕事があるの」
「あそこの町が大公様と手を切るの本決まりみたいね。最近は、南岳の大司教座と急接近だってさ」
「風雲急?」
「それほどでもないわ。ワンマン君主だった大公様が老耄れちゃって、重臣たちが皆で勝手に自主路線っていうか・・まあ、自然崩壊? 燃えたり爆ぜたりじゃなく溶ける感じ」
女将、上手いこと言う。
「安心なの?」
「そうでもないわ。 ・・実はね・・」
女将いつしか座り込んで話す。




