166.一発食らって憂鬱だった
国都の場末、酒場。
ポルトリアス伯爵家徒士組の副組頭セスト・ブルス、意識が朦朧。
綺麗に一発食らった。
部下の中でも仲々見どころのあるギドという奴で、そいつの体重の乗った右拳が俺の頬骨を直撃した。
「セストさんっ!」
ギドが乱闘を制止しようとした俺の意図を理解してくれたは良いが、残念ながら既う酒場じゅうで始まって仕舞っていた。
そして最悪なのが、今の一発で俺の腰が立たない事だ。
叫ぼうとするも、へろへろである。
店主の絶叫を聞き付けて、奥から大男が出てくる。
「先生! お願いっ!」
大男、徒歩組隊士の二人づつ襟首を左右の両手で鷲掴むと、持ち上げて頭と頭をごちんと打付る。
その単純作業で、見る見るうちに徒歩組が無力化された。
その手早さに、徒歩組に殴り掛かられた旗本の奴たちも唖然としている。
大男、顔に横一文字の刀疵という凄みの有る御面相の顎でセストとギドを差すと例のお小姓「そいつらはいい」と一言。
◇ ◇
「また、こいつらか!」
ごつい棍棒持った男たちが酒場に入って来る。
どのくらい『ごつい棍棒』かというと、持ち手のあたりは刀剣並みだが反対側がすりこぎの如くに太くなっている。
地面に突けば腰高くらいの長さの棍棒だ。
確か以前、異世界人だと名乗る妙な男が『やきうのばっと』とか呼んでいた様に思うが意味がわからないので『粉砕バット』と仮称する。
さらにそれの先端に突起部があり、革の鞘が被っている。
つい棍棒にばかり注目してしまったが、見ると先日乱闘騒ぎを起こしてしまった相手。そう、あの夜は斧矛を持っていたが、村まで文句を言いに来たくそ夜警共の親分だった。正体は、この町内の自警団長らしい。
「さすがに二度目だ。奉行所に突き出すか」
「んー、ちょっと勘弁してやってくれない?」とクレルヴォの小姓が意外な発言。
「その組頭、乱闘を止めようとして仲間に殴られてたから、ご褒美」
「あんたが左様言うなら・・お前! 大目に見るのは今度限りだぞ!」
きつく言われる。 ・・くそ野郎。
◇ ◇
全員、店の外に放り出される。
部下は頭ごちんで皆な昏倒していて目覚める気配も無い。
「どうする、これ」
「いまは取り敢えず、奉行所のお役人に突き出されなくて良かったって事で、ひと息つきませんか?」
「そうだな」
セストとギド、満天の星の下でひと息つく。
「なぁギド。お前なんで、いの一番にあの小姓に突っ掛けた?」
「勘です。なんか一番危い奴だって気がして」
「ああ、危い奴だ」
・・この俺が、ついお尻に触ってしまった。
◇ ◇
アグリッパの町、大店が軒を連ねる商業地区。老舗織物業者の帳場にまだ灯りが点いている。
独りごそごそしているのは副店長で大旦那の嫡男だから、誰も怪しむ事はない。
誰も怪しみはしない。
彼が市内某ギルドで『海外逃亡したいなら二万デュカス』と言われたのを知る者以外なら。
突然背後から声を掛ける者がある。
「若旦那、短慮は良くないね」
若旦那、飛び上がる。
「総資産から、たかだか二万デュカス消えたって店が潰れはせんだろって思ったら大間違い。明日の手形が落ちないよ。『突然』はダメだ」
「あんたは?」
「若旦那が某協会で断られたのを知ってる者さ。俺なら半値で、国内の遠くの町に小さな家と決して露見ないニセ市民権を手に入れてやる」
「半額だと!」
「国内だから、あんたら自身が必死で秘密を守るのが絶対条件だが、一から知らん外国語を覚えるより楽だろ?」
「一万でいいのか!」
「店の金庫から金貨が突然消えるのはダメだぞ。でないと妹さんの縁談も壊れる」
「妹か・・」
「大旦那さんは若旦那の器量に失望し、妹さんの身分違いの恋を許して番頭さんと一緒にならせる。あんたは遠くの町に支店開設って名目で追い出される。出された先で身寄りの無い市民階級の娘と出会って結婚するんだ」
「それで上手くいくのか?」
「このシナリオで大旦那を説得するんだ。許さなきゃあ犯罪者と駆け落ちして店を潰してやるって泣き喚け。それで、いける」
こんな鬼っぽいシナリオを考える男は、あの金庫長の他にいるまい。いや、娘の方かも知れないが。
◇ ◇
嶺東州都プフスブル西門外、聖ヒエロニムスの丘の麓。
メッツァナのヴィオラ嬢とミリヤッドが夜風に当たっている。
「戻ったらギルマスに相談するわ」
「相談?」
「わたしたち親族とか居ないでしょ? ギルド職員が私の親族代わりで、組合員が貴方の親族代わりとか仕切ってもらわなきゃ。仮親も頼まないと」
「新しい教会堂、まだ左官屋が仕事中じゃなかったか?」
いま、メッツァナの教会と言ったら、市役所ホールの附属礼拝堂にエルテスから司祭が一人来ているだけだ。あと一人、事務方の在俗司祭も居るらしいが、あまり知られていない。
撤退したアヴィグノ派の教会は市民からの忌避感が強いのか、ずっと廃墟状態で放置されていて、いづれ再開発の対象となるだろう。
ヴィオラ嬢、最近はラリサ・ブロッホの乗った玉の輿を気にしなくなっていたが寂しいのは嫌である。せめて身内には祝福してもらいたいと思うのだった。
二人、既に賢者状態だったので手を繋いで散歩だけして、宿舎に帰る。
ミリヤッド・バルマンの道場から有名な剣士が世に出るのは、未だ先の話だ。
◇ ◇
国都の場末、酒場の前。
「ちっとも目覚めませんね」
「まさか・・死んでないだろうな」
徒歩組の隊士ら、なかなか目を覚さない。
と、暗闇の中から荷馬車が来る。
「はいはい、回収するよ」
ティト村長だった。
「あんたらが壊したっていう什器備品だけじゃなくて払ってない飲み代まで、皆な付け馬が来て金取ってったよ。二割増しで返せ」
「それで俺たち足腰立たないから迎えに来いって言って帰ったのか。妙に面倒見のいい奴だな」
根拠ないが、あの小姓の差し金な気がしているセスト。
◇ ◇
「馬鹿なことしたって叱られますかね」
「あちらさんにとって大して美味しいネタじゃないのが救いかな。警察呼ばないでくれたし」
「美味しいネタって?」
「王党派連中って、事実かどうかより面白ネタで攻撃して来てるだろ? 『坊主に女抱かせて味方にしようとしてる美人局ヤロー』って噂流してる」
「やられっぱなし・・ですね」
「それって、殿がまだ独身だとか女遊びが派手だとか、そんなイメージに乗っけて攻めて来やがってる」
「痛いとこ突かれてますよね」
「返す刀で『教会主流派の坊主が本当は女好きだからって、同じ調子でアグリッパ大司教に取り入ろうとして失敗こいた』って、教会の方も笑おうとしてる訳だ」
「笑われてますよね。ま、坊さんだって人間ですもん」
「だから気が付かねぇかな! 連中の醜聞戦略って、主流派サゲなだけじゃなくてアグリッパ派アゲなんだよ」
「じゃ・・」
「今度は、伯爵が金積んでワビ入れてるって思わせる噂を流して来るはずだ」
「女遊びの不始末を金で解決する軟派男のイメージ戦略ですね!」
「つまり拳骨で反発しようとした今回の俺たちの失敗は、全体のクソ軟派ヤローのイメージと合わない。つまり連中的にあんまり美味しくない」
「つまり、あんまりほじくって来ないと?」
「おうよ。『だんまり決め込んで金で解決。雀は勝手に鳴かせとけ』ってえ態度がイメージ通りだ。そして今、それに乗っちまってるのがグズ司祭さまさ」
「でも、情けない拳骨ふるって返り討ちって、クソ軟派ヤローのイメージに合ってません?」
「ぐっ」
結局この件が政治利用されなかった理由には、小姓に代わって殴られたセストの貢献があったことを、彼らはまだ知らない。
続きは明晩UPします。




