165.殴られて憂鬱だった
国都、場末の酒場。
ポルトリアス伯家徒士組の副組頭セスト・ブルス、振り上げた拳が下ろせない。
いや、物理的に振り上げたわけではないだけ益しだが、跋が悪い。
いくら奴さん供の溜まり場だと云っても、連中は連中のご主人の付き人である。公務があれば飲み屋に溜まってなど居ない。
もっと早く気が付くべきだった。
定時で退勤して呑んでいられる自分たちを顧みて、少々恥じる。
「・・と、言うことは?」
わが殿を良く思わない王党派の若手過激派連中。そいつらの従者が揃いも揃って夕刻に勤務中ということは・・
「なんか集会やってるな」
猛烈に、嫌な予感がする。
◇ ◇
ちっとも重要な話ではないのだが、セストら徒士組は、家臣団の中では最下級の足軽だ。むしろルーツ的には農奴に近い。
部族社会時代、つまり王国も未だ無い頃、ほぼ同じ民族であるにも関わらず、各部族は抗争に明け暮れていた。そんな中で、親兄弟さえ殺し合う殺伐とした時代が有った。
今さら隠すつもりも無い。
我らは、敵の妻を奪って犯すのが通例という蛮族だった。
だから同じ母親の産んだ異父兄を、弟が父の仇と尾睨って決闘するような酸鼻な世界だったのだ。
農奴とは、そんな時代の負け組部族の末裔である。
勝ち部族は負け部族の社会組織をそのまま使ったから、農奴にも階級差がある。広大な割当て地を持つリッチ農奴もいれば零細農奴もいる。
そして、負け部族の戦士階級が今の足軽だ。
だが足軽全体が地位向上し、士族の端くれ、つまり支配階級の末端に滑り込む。中でも、セストの属するブルス家は負け組部族の戦士長の子孫で、当主のゼンダ・ブルスに至っては準貴族に登用されている。
だが当主の従兄弟セストは所詮足軽である。
今回、本家が問題を起こしている。
ブルス家そのものがお取り潰しになるか、セストに当主が回って来るか、まさに崖っぷちで宝を拾うか転落死するかの瀬戸際なのであった。
◇ ◇
生来セストは物静かな男で、あまり仲間と飲んで騒いだりしない。
今日も色々物思いに耽りながら、ひとり盃を傾けていた。
「なんかまた王党派の跳ね返りども、どこぞで集会を開いて我が殿を陥れる算段を練っているな」
そこまでは察したが、打つ手が有るでもない。
「ま、うちはその『跳ね返り』さんのご家来衆が常連客だから余計なこと申し上げられませんけど、商売人はお足の味方で誰の敵でも無いすから、気持ちよく聞こし召しくださいやし」
「うんでも我が殿、また赤恥かかされる段取りなんだろうねぇ」
店主も日頃から奴さんらと会話していよう。なんか手掛かりも有れば良し。
「恥かどうだか知らないけど、どっかの誰かさんがアグリッパに百人単位の武装人率いて蟠巻いてたせいで、町の警備態勢がバッポン的に見直しになったんだって。今まで州の東西南北に四兵団置いてたのを、中央にもうひと兵団また増設するって噂とか・・」
・・まさか戦争に備えてんじゃ・・ないだろうな。考えてみりゃ今までの常備兵四兵団だって、そこいらの諸侯蹴散らせるだろ。平和主義で有名だから意識されてなかったけど、考えてみたら、おっそろしいぞアグリッパ大司教。
「それと、都市計画も見直し・・ってか、もう工事始まってるらしいっしょ」
・・おいっ! 城も強化ってか?
「それで大司教座が市当局にポンと出した交付金がなんと二十万デュカスらったんすと! 市庁舎に四頭だての馬車乗り付けて、大の男が二十人がかりでアリの行列みたいに金貨ぱんぱんに詰めた革袋を運んでたって!」
「二十万デュカス!」
・・伯爵領の歳入超えだろそれ!
まさかそれ、うちの伯爵様に請求される賠償金の額じゃないだろうな。
近々アグリッパから手紙が来て『今回の事件の後始末に必要だった経費これだけ有りました。寄付よろ』とか・・
いや、俺が青くなる話じゃないけどな。
◇ ◇
陽の傾いてきたプフスの下町。近くに色街もある猥雑な横丁。
「あれ、モロやっちゃってないか?」
地元の大工らしき男、声を殺して囁く。
「それっぽい・・っすね」
裏路地の物蔭でいちゃいちゃしている男女の振る舞い、明かにもう常識の範囲を逸脱している。
「いや俺ら北の方から来たんだけどさ、南部の人ってこうオープンなのかい?」
「いやいやこの町だって峠ひとつ越しゃ嶺南ですけどね、南部たぁ違います」
「あれで、まだまだなのかい?」
「俺ももっと稼げるようになって、毎週末エリツェに行ける身分になりてぇよ」
遊びに来る者ばかり多いので、とうとうエリツェの町は紹介状が無いと入れない会員制の街になって仕舞ったという。それでプフスの町の衆は、必死で週末の出張仕事を探す。たとえ割安でも。
「伝説のヴェヌスブルクは嶺南に実在したんだって話、実は昔からあんのよ。まぁ何となくそれを信じるくらい、エリツェプルの町ってのは此の街の衆にとって憧れなんだよ」
「へぇ」
「そりゃ町ゆく姉ちゃんは皆んな綺麗でガードはちょろい。二つある遊郭街は男の天国って、破産するまで帰ってこれなかった男は数知れず・・」
「ちょっと怖いな」
「おっと! あっちオープンだぜ!」
裏路地の男たち、お喋りをやめて覗きに専心する。
「だけど、見たこと有るなぁ・・あの二人」
◇ ◇
同じくプフス、役所街のギルド。
こういう呼び方をされるのは他のギルドが問屋街か職人街に有るからで、冒険者ギルドが経営難で解散して以来、役所街に有るのは、その経営を引き継いだ探索者ギルドひとつである。
道場代わりの裏庭。
「もう一本!」
元騎士ド・ザンテルが食らいつく相手はギルマスのミランダ。
「おいおい・・もう薄暗くなって来たぞ! もう疲れた。わたしも女だぞ。少しは労われ」
片手間の腕試しにS級アサシン資格を取った貴族女の自称『疲れた』なんぞ慮る必要など無いのだが、遠慮するザンテル。
「拙者ならば夜っぴいてもお相手致しまするぞ」
「俺もだ」
ラズースのロドルフォと決闘人テータが相手を名乗り出る。
「もう直き晩祷の時刻だろう」
「なら、戻って来てから!」
ザンテルも貪欲だ。
◇ ◇
国都の場末、酒場。
「ああ・・歳入をまるまる取られても流石に破産はせんだろうけれど、今頃奴らは破産伯爵という名前を広めようと謀議を進めているだろう。あいつら鬼か」
醜聞戦略で来た王党派連もえげつないが、義弟を矢面に立てて自分は涼しい顔のカラトラヴァ侯爵も大概だと思うセスト・ブルス。
そこへ待望の奴さん達が続々来る。
ここで奴さんと言うのは別に蔑称ではない。
自分らの祖先が北の蛮族だった時代、部族内の暴れ者や他部族との軋轢を起こす問題児として故郷に居られなくなったあぶれ者が旧帝国に流れ着いて奴隷兵として居着いた歴史がある。
当時の我らは改宗前で、教会法的に奴隷にしても良かったのだ。
目一杯ど派手な格好して最前列を進む捨て駒兵士に、なぜか我らの祖先は惨めな使い捨て奴隷のイメージではなく、命知らずの傾奇者という印象を抱いた。
何百年も経って、まだ下級家臣が傾いた服装で敵を威嚇する仕草をする露払いの伝統は、特に首都圏の旗本家などに色濃く残っている。
◇ ◇
さて奴さんやって来た。
クレルヴォ男爵のお小姓もいる。
プールポワンの下からぷりんと出たお尻を無性に触りたくなる。いや昨夜触って殴られたっけ。
いや、見ると昨夜こっちが『一方的に暴力を振るわれた』と訴えてやろうと思い目撃者に仕立てる積もりで連れて来ていた中立派貴族の家臣連中を連れている。
なぜだ!
昨夜のこっちの作戦を盗まれた。
いま、こっちから仕掛けたら不味い。
いや・・『知らん奴の前では仕掛けるな』と言い聞かせた。
大丈夫だ! いや大丈夫じゃない! あいつら昨夜会ってるから『知らん奴』に該当しない。失策った。
うちの若いのが突然お小姓に殴り掛かる。
咄嗟にクレルヴォ男爵のお小姓を庇って前に出る。
目から火が出た。
続きは明晩UPします。




