19.昼飯前も憂鬱だった
ゴブリナブール、宿屋の広間。
アリシア嬢が樽から這い出して来る。
「あー肩凝った。腰痛い」
「おい、この宿屋の娘さんにとっちゃお前の敵さんが恩人なんだからな。ちっとは警戒心持てよ」
本人を前にして、警戒心持てとか平気で言うレッド。
「あれ? 考えてみたら俺も恩が有るな」
「警戒しとく?」と、アリ坊。
「いやまぁ、一般論で言って何事も警戒しとけば間違いは無い。俺もあの人たちに敵対したくないからな。したら生命の危険が危ない」
「そりゃストレスがエルンスト博士だな」
ブリンも訳解らない事を言う。
「ところで宿屋の嬢ちゃん、昨夜の事件でお父っつぁん酷い怪我して生死の境目を彷徨っちまったんだよな? 其処んとこの事情、ちっと話して貰えんかね?」
「うっ」
「一度既う口滑らしちまったんだし、変に隠しだて為るよりも逆に俺たちを頼ってみる方が利口って、理解るよな?」
外見もっさりだが聞き上手なブリン。
「ううっ・・それには深い理由が有るのです」
「成る程それでは聞きますまい」
「こらアリ坊! 余計な三味線弾くな」
「それには、一昨夜の事件を具に語らずには措けません・・しかし其れは出来ない相談です」
娘、シクシクシクッと泣く。
「なんか小芝居っぽく成って来たな。要は口外しなきゃ良いんだろう?」
「ええ、ここは宿屋街ですから安全じゃない場所だって噂が立ったら大打撃です。組合長やることセコいと思うけど、艦これも已ないと思います」
「そんな土産物も売ってるのか」
「売ってる訳じゃなくて、風評被害は困るってことです。もう解決済みなんで」
・・『萬』の言い間違いだと直ぐ気付く。
「解決済みなのか」
「この町を襲撃してきた賊徒は、砦の兵隊さんが一掃しました。例のお侍さん達も活躍なさったそうです。代官所の御采配もあって僅た二日間で完全解決しちゃった事件なんで、早く忘れられて欲しいと」
彼女・・略奪された女性達が未帰還なのを対岸の火事だと思っているのか、将亦深刻に受け止めているが故に伏せて黙っているのかは、定かでない。
「俺たちを追跡するのが仕事なはずの那の二人、なんか違うとこで頑張っちゃってないか?」
「先輩、余計な仕事どんどん増えてる僕らが言えた義理じゃないです」
「そう言うな。脇目も振らず一直線に仕事する奴ってば、意外と失敗するもんだ。搦手から行けば容易いことに正面からばっかり突っ込んで消耗したりしてな」
「ふたりの息子を戦死させたノゲイラ忠烈公とかですか」
そう言われて割と素直に納得するフィン少年。
「しっかしお前、もうお嬢様成分カケラも残って無いな」
樽の底の木目がついてしまった尻をスモックの裾捲って摩擦っているアリシアを見て、溜息混じりに零すレッド。確かに若い娘が自分でミニスカ捲るような何とも尾籠な絵面である。
余計な一言で、アリシアを男の子と思っていた宿屋少女に性別が露見る。
◇ ◇
北部高原州を遥かに見渡す三騎。
「あれがカンタルヴァンの城下町です」
ヨーゼフという名の騎兵伍長が指差す方に、匇々大きな町がある。
「城壁が無いのね」と、クレア。
「本官の父が子供の頃には、伯爵様の居城の外壁に屋根差し掛けた仮設小屋と只のテントで、ほんの小さな市場が立っていた限だったと聞きました。でも本官自身が幼時に見た記憶では、もう今の半分くらいの広さは有りました」
「若い町なのだな」
「町人が来て勝手に作った町ですからね。伯爵の黙認で成立ってる関係で、税金も取られないし何も規制して来ない。そこが良いって皆が言ってます」
「税金ないの!」
「領主様に払うやつは、ね。ウル=カンタルヴァンの港町から上がる税収が飯の種だから、お上は警備もあっちに全振りなんで、城下町なのに自治制です」
「ふーん」
「ここで腹拵えしたらば、直に南の沼地を突っ切る小舟をチャーターして、一気にスカンビウムという町まで行ってしまいます。そこまで行けば、メッツァナはもう目と鼻の先です。本官は舟の手配までお供します」
「世話になる」と、ディードリック。
◇ ◇
町に入ると直ぐ繁華街らしきものが見える。
ヨーゼフの案内で、いかにも流行っていそうな店に入る。
中は「コ」の字型に内向きのテラスで、残る一方に薪小屋がある。
中庭はキャンプ・ファイヤーそのもの。井桁に組んだ角材が炎を巻き上げる。
それを囲む様に縦長の甕が林立していて、中の煮物から美味しそうな香りが辺り一面に漂う。
そして就中、炎を囲む夥多の鉄串と刺った肉塊。
溢れ出て流れる脂と肉汁。
「美味そうであるな」
いつも渋面な男ディードが偶に穏やかな顔をしたというのに嗟無情! 左右から兵士か警吏かといった風情の男らが近づいて来る。
「ご同行を願えますかな?」
◇ ◇
ゴブリナブール、宿屋の裏庭。
屋根を差し掛けた炉端で、二人の少女が何やら調理している。
レッド、窓から眺めて呟く。
「アリ坊やっぱり料理は苦手なんだな」
「別に苦手ってわけじゃないよ。やったこと無いだけ」
「まぁ・・男爵家のご令嬢だ。お屋敷にゃ専門の料理人が居たろうさ。仕方ないよなぁ」
一応ブリンに肩持ってもらえるアリシア。しかしレッドが追い討ちを掛ける。
「じゃ、何が出来るんだ?」
「刺繍とか・・竪琴弾くとか・・」
「ぜんぜん似合ってないな」
如何にも! 男の子の格好で窓枠に跨ってぱんつ丸出しにしているのは、男爵家令嬢アリシアでなく悪ガキのアリ坊である。
「お前、先々は如何するんだ?」
「一族の隠し財産を南部教会に寄進して、目出度く郎党衆救済の道筋とか作れたら左右ねー・・誰かさんの指導でも仰いで冒険者の修行でも始めるかな」
「んまぁ悪くはない案だね」
「おいおいブリンさん、俺は面倒ごとは御免だぜ」
「いや、俺思うに・・嬢ちゃん狙ってる仇敵ってなぁ、ソノだなぁ・・憎しみ恨みなんぞで男爵家を根切り根絶やしにしたいんじゃなくて、子孫が残ってたらば折角ぶん取った領地に相続権を要求する奴が出て来るかも知れんから嫌なんだよ」
「うん。男ならちんちん切っちゃえば済むのに、女だと面倒なんだよね」
「お前・・男装して僅数週で、女らしさ完全消滅してないか?」
「演技では役に成り切っちゃうタイプですね」と、フィンが感心。
「だから、修道院に入ったって公式書類作っときゃ、敵のナントカ男爵家としちゃ将来どっから自称子孫が湧いて来ても『騙りです』って訴えて勝訴できるんだわ。わりと簡単に解決できんじゃねぇの?」
「あ・・成る程」
相続放棄が公文書に残る訳だ。
ブリン結構冴えている。
◇ ◇
カンタルヴァンの城下町。
「あら意外。ディードったら素直に連行されちゃうのね」
「兵士たちからは殺気どころか緊張感も漂って来ぬ。差料にも触れぬ。此処は一つ穏便に受け応えしよう」
「ここの領主様とは、我が団は割と良好な関係を保って来ている筈です。ですから滅多な事は無いと思います」とヨーゼフ伍長も。
三人、兵士らに囲まれて城内へと向かう。
◇ ◇
「行き先はダンジョン じゃ・・なさそうね」
領主居館脇の事務棟のような所の一室に着く。
「いやぁ、いらっしゃい」と、中から気さくな声。
「あれ、アドラーさん。なんで、こんな所に居るんです」と、ヨーゼフ伍長。
「なんでって・・来るって連絡貰ったから昼飯の仕出し取っちゃったんだけどさ。行き違いで君らがメシ済ましちゃったら困るから、迎えを遣ったんだ」
「いや。なんでアドラーさんお城に居るんです」
「言わなかったっけ? いま伯爵家で客分の扱い受けてるから下手な家来衆よりも羽振り良いって」
「待ち合わせの場所と違うじゃないですか」
「いやぁ、当方も色々あってね。城内で待機してにゃならん状況になった。それで人を行かせたわけ」
「お城の兵隊さん顎で使っちゃうんですか?」
「いやこれ実は、彼らの訓練の最終テストを兼ねてんのよ。束ンなっても勝てない相手を見分ける秘訣とかの課題のさ」
食えない人物のようである。




