157.居ても居なくても憂鬱だった
王都近郊、ポルトリアス伯の私邸。
伯爵、西国大名であるから居城も法域も西国だが、殷賑の国都で月日の殆んどを暮らしている。
しかし都内の豪邸は他の貴族が頻繁に訪れるから、気楽な郊外の館を好む。して本館は家臣どもが出入りするから煩がって、質素な別館の方に居る。すると本館で家臣が羽根を伸ばす。
なんだか逆転している。
彼、姉の縁故で美味い汁吸うだけの若造とか言われるが決して無能な人物などで無いし、多少女に弱い事以外は特に悪徳に塗れている訳でもない。評判が悪いのは敵が多いせいである。主に義兄の所為で。
原因と結果が逆なのだ。
まともな家臣だって居る。
いま駆け込んで来たダミヤン・ベタンソスなどが其の例だ。
「殿、拙いです」
「帰って来て開口一番それか。余ッ程拙いか」
つらつら話す。
「実は既に聞いた話だ。ちらほら耳に入っては居たが、遂先刻クレルヴォの野郎が散々吠えて行きおった。女衒の親方の恥知らずのって言われたぞ。なぁ、・・職業差別と思わないか?」
ダミヤン脱線を無視して・・
「問題は、ゼンダ・ブルスの行方が知れぬ事です。潜伏中なら良いのだが、身柄を押さえられていると面倒です」
「最悪に備え、ドン・マルティネスに呼び戻しを掛けておる」
「ときに、執事は?」
「夜逃げした・・」
「また! なぜ!」
「実は、ル・べゼックという騎士が急報だと言って突然駆け込んで来たので、例え忙しくとも正と執事を通せと叱責したところ、執事は強引に押し通られたと申す。それで、どちらの責任か決着つけて報告せよと申し付けた。そしたら・・」
「夜逃げしたのですか。騎士は?」
「騎士も逐電した」
「それ、決闘せよと命じられたと思ったのでは?」
「俺、間違っているか?」
・・いや筋論に拘り過ぎです。
「死にますよ。戦場で『敵の奇襲!』って報告にそう応えたら」
◇ ◇
同じ建物、地下室。
箒のような簓のような物を手にしたグスタフ司祭。
足元に裸のテンポオ助祭が背中を真っ赤に腫らし、蹲っている。
「ええい忌々しい。豚を豚と呼んでも罵りにならない・・なんて」
「ぷひぇひぇ。ぷひぃ」
「ああ! 声まで・・。 神よ、なんで私はこの男を罵れないのですか! 本当に本当のことしか言えないのですか!」
「ぷひぃ」
「貴方がやったのは公文書偽造に公印盗用と不正使用・・」
「だって・・頼まれたんですよぉ」
「それが言い訳として通用するのは、主に生殺与奪の権を奪われた奴隷だけです。豚もですかッ? 豚もですかッ?」
グスタフ司祭、頭痛に額を押さえる。
◇ ◇
エルテスの大聖堂は谷の奥まった所に在る。
飾り気の無い無骨な造りだが、門前町の側から見上げると大変な威容である。
元は宗教者だけが籠る総本山であったが、今は巡礼者たちを受容れる各種施設が谷の入り口を塞ぐまでに至っている。
「皆さんは、大聖堂で夕べのお祈りに参列したら、いちばん麓寄りの一泊宿坊まで戻って夕食。明朝にプフスブルへと向かいます。重要なことですが、ここは療養とお祈りの町です。他にすることは参拝記念の土産物を買うくらいですから、そこをよぉぉぉっく覚えておいて下さい」
ヴィオラ嬢、念を押す。
「つまり娯楽が無ぇって意味だな」
「えーと、私たちでさえ慎みますんで」とディア、妙な言い回しをする。
「唯一、温浴治療施設が有りますが、下手な格闘術者より筋肉質な療法士が凝った筋肉をぼきぼき解してくれる場所ですから、そういうのが楽しめる人だけ楽しんで下さい」
ザンテルが一人だけ興味を示している。
◇ ◇
国都近郊、ポル伯爵別邸離れ。この略称は悪口雑言の為のものだが此処は純粋に短縮のため用いる。
家臣ダミヤン、伯爵を訪ねる。
「殿、いま宜しいですか?」
「嫌味を言うな。何だ?」
「一家夜逃げした執事の書類箱に、これが有りました。騎士ル・べゼックが至急で届けようとしていた急報とは、この教会便の事かと」
「要点を読んでくれ」
「ディエーゴ・ダ・コロンバからの報告書です。ヒーディッグ・フォン・ボスコが死にました」
「死んだ?」
「斬首されて、裸の体に継ぎ直して晒されていたそうです」
「貴族の受ける扱いじゃないな。ボスコ大公の怒りに触れたか」
「おおかた左様かと」
「跡継ぎに返り咲くとか大言壮語した挙句が、こんな幕切れか」
「メッツァナが完全に南部教会の勢力下に入ったとのこと。大公も遂に膝を屈したものかと」
「今この状況でアグリッパと敵対するって、すごく拙く無いのか?」
「すごく拙いかと」
「クレルヴォの野郎が『出来損ないの家来かかえた女衒の小僧』って吠え散かして行きやがったの、大当たりで益々腹が立つわ」
「『親方』じゃなかったですか?」
「ああ、『親方』だ『親方』。あいつ同い年なんだよな。小僧なんて言われてたらキレてたぜ」
「ブルスも焦りで事をし損じたのでしょう」
「一発逆転狙って大外し・・か」
「ディエーゴからは『遠縁とはいえ身内なので埋めてやっては貰えまいか』と一筆入れるのが良策かと、書いて来ております」
「そうだな。三途の川の渡し賃でも添えて詫び状でも書くか・・俺が詫びる筋でも無いんだけどさ」
「この手紙は教会便で送られて来ました。南部教会を含め、一体どこで誰の検閲を受けたか分かりません。ディエーゴも、その積もりで相当言葉を選んでます。いま言った『一筆入れる』が誰に『一筆入れる』のか書いてないところ。それに・・」
「それに?」
「・・それなんですが『ヒーディッグ殿の問題行動に伯爵は無関係だ』と書いてる箇所、『伯爵』とは当然ながら殿のことだと読めるんですが、一箇所だけ『伯爵に対して無関係だ』という意味に読める部分があります。ここ・・」
「本当だ。『伯爵』が俺のことだって読むと、文が変だな」
「ここ、検閲を恐れて言い淀んで、何か隠しているのでは無いでしょうか?」
「うむむ」
「ちょっと検討が必要ですね」
◇ ◇
メッツァナ、小会議室。
協議に和解の兆し。
「奥様が亡きご主人の『ユンクフレヤ通商』を清算してしまうのでなく、義弟君に事業を引き継がせ、投資家のお立場で留まって頂けるなら喜ばしい限りです。私も保証人として尽力いたします」とプロコップ氏。
代言人シュルケおづおづ尋ねる。
「あの・・訴訟を想定なさいましたのは、どのような・・」
「それは縁起の良くない話ですので、わたくしから申し上げましょう」
・・とトルンカ司祭。
「そういう話は僧侶の領分ですから」
朗らかな顔して言う。
「飽くまでも仮令の話ですよ。貸借の関係を不明確な儘にしたり、或いは業界的な常識より低評価したりしているうちに、奥様にご不幸が訪れたら一大事なのです。奥様の相続人を名乗る自称親族が次々と現れて遺産分与請求の訴訟を起こす惧れが有るのですよ。ですから、そういう惧れは先に丹念に潰しておく可しと、そう言う事です」
駆け足で説明して、一同何となく納得させてしまう笑顔で締め括るのだった。
◇ ◇
国都郊外、バラケッタ村。
グスタフ司祭が小走りに来る。
地主の館の一つ、ひときわ大きいのに飛び込んで、すぐ出て来る。
村長通り掛かって・・
「司祭さま、ブルス兄弟をお探しですか?」
「お探しだ」
「兄の方は、もう随分見かけませんね。弟は昨日から見てません」
「そうか。見かけたら直ぐ伯爵家の下屋敷に顔を出すよう言ってくれ」
立ち去ろうとして、引き返して聞く。
「他に、見かけなくなった奴とか、いるか?」
「いや、伯爵さんちの従士連中なんか有ったんですか? 昨日あたりから留守んち矢鱈多いんですけど」
「あったな、こりゃ」
「それから、ぶ・・テンポオ助祭、やたら居るんですけど」
「村長んちの近くにか?」
続きは明晩UPします。