16.夢の中でも憂鬱だった
夜明け。
山の端に朝日が顔を出す。
「行くか・・」と、ホルスト隊長。
ゴブリナブールの町を襲撃した小鬼達は、取回しの良い長さの短剣の刃に毒物を塗布していた。だから討伐の兵士達は厚着である。
二枚重ねの羊毛生地に、膠や松脂などの詰め物を挟み込んでキルティングにしたジャケットの表面にはカルタ大の薄い金属板がびっしりと縫い付けられ、槍騎兵の突撃に耐えるとまでは言わないが、そう容易には即死させられない出立ち。
だから逆に、ホルストは小鬼巣穴内への突入を躊躇した。
狭い巣穴の中では、子供ほどの背丈なのに妙に手足の長い小鬼との戦闘が有利に運ぶ防具とは思えない。町の中での夜戦では、開けた場所で、背丈くらいの長さの有る戦闘用ハンマー装備が有利に働いて、圧倒的優位に立った。奴らの巣穴の中は勝手が違う。
ホルスト隊長という男は、増上慢からは程遠い人物で、決して不利な状況下では戦わない。敵を舐めない。臆病なくらいだ。
それは、部下らが事実上自分の私兵だからだ。
徴募兵を消耗品扱いする領主は少数派とは言え厳然として存在するが、傭兵にはファミリー的な結束で纏まっている団が珍しくない。
ビジネスライクな契約関係で出来上っている傭兵団はというと、是れまた闇雲な突撃命令など契約条項を盾に拒否権を主張したりする。
左様いう世界で生きてきた男ホルストも、無論ディードリックも、相手が非力な小鬼だからといって巣穴に飛び込んで行く気は更々無い。
王侯貴族の救出を受注した訳でもない。虜囚になっている人々は多少苦しい目を見るだろうが、助けが来ぬより優なのだから諦めろと割り切って、幾つも用意した草の束に点火する。
盛んに赤茶けた煙が立つ。
兵士ら、身を隠しつつ素早く駆け寄って幾束も巣穴に放り込み、板切れで煽いで中へと煙を送り込む。これで煙が全部戻って来て仕舞う様ならば出入り口は此処に一つ。此の場が決戦場となろう。
しかし偵察兵が素早く状況を捉える。
「山頂です!」
山頂に、赤茶色に着色された煙が一条。
「成る程。脱出用の出口ではなく、四方を見渡す物見櫓に近いモノを作って実用に供したか」
総勢の過半数を率いて、ホルストが山頂へ急襲に向かう。
◇ ◇
「さてと・・」
・・と、ディードリック。
マントを着ずに旅に出る者はいない。驟雨が降れば雨具、夜には夜具。風呂敷のように荷物を包んで背負う者もいる。旅どころか、外出でマントを羽織らない者が少数派だ。
マントを着ぬのは、洗濯に出かけた主婦や遊んでいる子供くらい、とか言うのは言い過ぎだが。
マントには頭に被るフードが付いている物も多いのだが、フードはフードで別に持つ者のほうが多い。それは、別にした方が雨に降られたとき雫がフードの裾から地面に直に落ちてくれて、マントが濡れ難くいからだ。北国では山越え中に湿ったマントが芯から凍って行き倒れた旅人が少なくない。
そんな肩口くらいまでの丈の短いフードであるが、頭に被らずに首にだけ巻いてドレープ感を出し小洒落たファッションにしている人が多い。どのくらい多いかと言うと、小洒落た感などが極めて薄い此のディードと言う男がやっている位に普及しているのだ。
ディード、フードを脱ぐと己れの剣の柄頭を握り、暫し考えてる。そして徐ろに十文字鍔の一方に被せる。そして旅装なので不用意に鯉口が切れぬよう鞘から鍔に懸けてある革紐を硬く結び直す。
「是れで良かろう」
小鬼を殺すなと言われた話を律儀に守る気だ。
剣を振るえば、ずんばらと両断して終う。それで彼は、モルトハウという剣技を使うと決めた。柄当ての一種だ。
一般的に言う柄当てとは、抜刀しがてらに柄頭で至近距離の敵の鳩尾とか顔面へ一発喰らわす打撃技だが、モルトハウとは一層残忍な剣技だ。剣の刀身の方を手に十文字鍔を斧の様に振るって敵の頭蓋を砕く。ディードは十文字鍔の一方に自分の頭巾を被せた。これで殺傷力が弱まろう。
もちろん柄頭とか、十文字鍔でもグリップ脇の平坦部で殴打すれば十分手加減になる。代官所から殺生を止められているホルストの顔も立てられるだろう。
巣穴の方で、言葉とも咆哮とも聞き分け付かない喧騒が湧き起こる。
◇ ◇
そんな事件とは白河夜船、船は漕がない臥床の中。鴉の死んだ三界でレッドも今日は朝寝坊。隣は何をする人ぞ、フィン少年は夜明かしだ。シュトライゼンの朝は平和であった、
朝は平和だが夢の中、レッドの夢見は悪かった。
時系列は少し変だが、みんな騎士団時代の思い出だ。
「・・皆が俺に辛く当たる」
いや視線が痛い。
ひそひそ囁かれている。「役立たず」とか「無駄飯食らい」とかの単語がちらりほらり耳まで届く。騎士長に大声で怒鳴られた時の台詞だが、何方が先だったのか記憶が定かでない。多分こっちが後の出来事だ。
俺が騎士長に詰られた話が拡散して斯うなったのだろう。
あの頃は、俺が皆から愚にされているとしか思えずに、顔を上げられなかった。今にして思えば、俺は上の人からコッテリ絞られた第一号であったのだ。次の雷が誰に落ちるかと誰もが戦々恐々としている姿が那だったのかも知れない。
何故って皆が軍事教練以外はろくに働かず何もしていなかったから。
無駄飯は皆で食っていたのだった。
「いや、いつ出動命令が有ってもいいよう待機していたんだ。平素働いてないのは当然じゃないか」
当時は戦が起こらずに、俺たちの緊急出動も無かったけれど、決して安穏とした時代という訳じゃなかった筈だ。
考えてみろ。
ここに、辻斬り物盗りの類の横行に怯えて、身の丈に合わぬ高価な長剣を購った旅商人が居たとしよう。彼は強盗に遭わずに幸せな一生を終えた。剣は生涯一度も抜かなかった。
この話で、高価な長剣は確かに無用の長物だった。だが、詰られたり蔑まれたりするか?
それは違う。
それは断じて違う。
・・あれ?
でも高価な高価な剣とか買って、旅商人の家族で三度の飯が一度になってたなら彼の息子は愚痴って可よな、
騎士長は団から給金を貰ってなかったな。実家からの仕送りで食ってたんだ。
ってことは俺、文句言われても仕方ないのか?
会計官殿も団の財政に相当辛辣に口出したって言ってたっけ。
だから馘首んなったとき色々手助けして呉れたんだっけ。そうだった。
ただひたすら騎士長や仲間の皆に追い目とか僻めとかを感じてた俺って、なんと餓鬼だったんだろう。今は受け容れられる。まぁ、十年近くも前の話だ。成長してない方が俺ミジメだけどな。
それ、俺はずっと封印して、考えないようにしてたんだ。情けない。
ブリンさんと出逢って、俺はいま、過去と向き合うことに背中を押された。彼に感謝しなくっちゃ。
レッド、急速に目覚めが近づいて来るのを感じる。
「そうだ。あの人ともう一度会わなくちゃ・・」
・・うん? 『あの人』って、誰だ?
夢てふものは目覚めると倏忽に内容を忘れる。
覚醒したレッドの脳裏に、ただ『あの人』の名だけが残った。
「ウルフリック・フォン・フクスロック・・」
誰だっけ?
◇ ◇
ゴブリナブール近郊の某山頂。東側から登って来るのは、ルーゼルのお代官殿と郡兵たちだ。
「ふう・・ふう、もう終わったか」
「電撃作戦ですので。小鬼どもは一網打尽。鹵獲被害者も無事奪還致した」
「さすがホルスト隊」
昨夜拐われた四人の婦人が、まだ咳き込んでいる。
お代官が蹲み込む。
四人の虜のうち、最も年嵩と見えた三十路手前くらいの女、涙ながらに『自分ら既う町へ戻れぬ』等と言う。
「思い悩むでない。教会が必ず其方らを救う」
お代官、慈父のようだ。
西側からディードらとホルスト兵団の分隊。半ば意識ない儘に繋がれた小鬼らを引き摺って登って来る。
「団長! あのお侍、凄いんです。独りで・・」
ディードリック、進み出て言う。
「代官閣下とお見受け致す。拙者は、ディードリック・ヴァン・ベートルギウス。出来るなら重犯罪者である小鬼どもを殺すなと仰られた真意を伺いたく存ずる」
「うむ、道理である。他言無用を貫けると御約束下さるならば、正直のところをお聞かせ致そう」
代官、一同をじろり見て、徐に話し始める。