136.日没前も憂鬱だった
高原州、サーノ川中洲の岩礁上。ブラーク城。
薄暗い部屋に二人。
「如何いう事なのだ? この銀装の飾り短剣・・ニコラス・リーチが持っていた
・・と?」
いつになく深刻な顔のド・ブラーク男爵。
「あと、この紙片です。気になるのは・・」
「むむむむむ」
「どうなさったんです?」と、エルザ。
「もはや身内だ。ぶっちゃけて仕舞おう。エルザさんや! この短剣に刻まれてる紋章は大公家のものだ」
「えーーーーっっっ!」
「他に、ニコラス・リーチの肉体的特徴は?」
「胸の・・心臓の上に "NEMO EST" という刺青が有りました。これ一体どういう意味でしょう」
「心に『誰もいない』と書いてあるんだ、神聖語だ。そこいらの奴が入れるスミと違うぞ」
「教養があると?」
「うむ」
「それ読める男爵さまも教養があると?」
「あ・・あるぞ! わし、嫌々州政府の文官勤務に召し出されて、法令文とか王宮通達とか読むの随分苦労して勉強したんだからな」
そういう公文書それ自体より、入門書・解説書の類からみな旧帝国神聖語なのが大変だったのだが。
「昨日の騎士様なんか子供の頃に修道会で学僧の卵たちと勉強したらしいからな。すっごい教養人だぞ」
「へぇぇ。でも男爵さまが『騎士様』って敬語、なんか変ね」
「変なもんか! あのかた嶺南候の重臣で男爵の襲位式待ちだぞ」
「ひへぇっ。あたしがその人の叔母さん!」
「そう決まったらしい」
「ひへぇぇぇっ」
「決まっちまったんだから腹括れ。儂が絶対あんたら先祖代々の領地を大公家から分取り返しちゃるわい」
「つったって領地なんて有ったの爺ちゃんの頃で、あたしゃ飲み屋のオカミだよ」
「まぁまご覧ぜろ」
唯一生き残っている在地系領主の意地である。
◇ ◇
メッツァ冒険者ギルド。
「部長、今日はギルマスもうお帰りになりませんよね?」
「ああ多分な。御接待だろ。市政参事入りはもう決まったも同然で、あのひとって南部の生まれだし嶺南貴族とコネが出来そうな良いチャンスが来ててイマココって感じらしい。フィリップさんは未だ現役に拘りがありそうだけど。マリアくんでも上の人事が気になる?」
ニブい子と思われてる。
「カナリス部長が中継ぎって線は?」
鋭く見せようとする。
「ナイナイ。俺って現場知らないデスク組だもの。まぁ精々が留守番役の『代行』止まりだな」
失敗する。
「フィリップさんも御接待に直行でしょうか?」
「そうかもな、タイミング的に。それが如何した?」
「先刻受けたのが、スカンビウムのすっ・・アンヌマリー嬢の近況調査なんです。一番最近ウスター城で会ってるのがフィリップさんですので、何かご存知かと」
「それじゃ、今夜ウスターに行く奴に最新情報の聞き込みを頼めばいいじゃない。それなら二度手間にならんだろ?」
「あっ! 出張予定表を確認します」
◇ ◇
ブラーク城。
「あの、男爵さま・・ 今ちょっと肝心な問題から逃げちゃった気がするんだよ」
「ああ、儂もしてる」
・・沈黙。
「ただ、気にして今時分からニコラス・リーチの首実検に行った所で儂、あの人の顔よく知らんし・・」
「知らないんですか」
「ほら、儂って在地系だろ? 大公の宮廷じゃ『冷や飯』組もいいところだった。大公が連れてきた余所者の取巻きじゃ埒が明かなくなった仕事の尻拭いをぽろぽろ言い付けられる係だ」
あんまり良い思い出が無さそうだ。
「リーチが、あの人?」
「わからん。ただ、グレてた頃に刺青してたって噂は聞いた」
「あの人が大公の実の子じゃないってバレて廃嫡のうえ追放されたって噂、それはホントなんですか?」
「ちょっと正確じゃない。実の子じゃないと知った上で後継者に立てようとしてたが、大公がまだ生きてるうちに露骨に権力掌握を狙って動き始めたから放逐した。あれは大公の自衛だ」
肩を竦めて、続ける。
「まぁ、あの人だって『いつ大公様の気が変わって殺されるか』って気が気じゃなきゃ、そりゃ掌握に動くよなぁ。ボケ爺さん突然怒り出して御無体な命令出したりとか、もう始まってたし」
高原州大混乱の始まり頃の思い出話。
ちなみにエルザ姐さんが美少女だった頃である。
◇ ◇
メッツァナ繁華街の外れ。夕暮れ間近な横丁奥の寂れた酒場。
三十路へちょい入ったくらいの地味な女が酒樽の前、たった一人で飲んでいる。
そこへ客。
「いらっしゃい」
「おんな一人・・なんでこの酒場へ?」
「わかんないわ。考え事しながら彷徨いてて、気がついたら袋小路のどん詰まりに着いてた」
「あるある」
まあ、辻々あちこち警吏やら私設警備員がいて何かと安全な街ではあるが、よく巡回の警官に保護されなかった。
女ふたり、差し向かいで飲み始める。
「おかみさん?」
「いや、まるひと晩も留守預かるくらいの常連客だ」
極楽蜻蛉のマスター、今日も行方が知れない。
「いいとこの奥さんかい?」
「いいえ、俄か若後家よ」
「そりゃ、いま飲んで忘れても埒ゃ明かないね。泣いて寝る酒じゃなくって意気の昂がるヤツがいい」
女、なんか瓶をごそごそ探す。
◇ ◇
スカンビウム、町役場地下。霊安室。
民兵隊長、泣きながら検屍をしている。
逃げ遅れた若い民兵が数人、助手に付いている。
「これって、覚えたら・・俺らの仕事になっちゃうんだよなぁ・・」
腰が引けている。
呪いだなんだという俗信は教会が咎めて根絶に努めているが、屍体を触る事への嫌悪感は根強い。
民兵隊長、本当に泣いている。
犯人たちの遺体を脱がせて所持品を改める仕事はなんとか若い連中と分担したが、それ以上は若者たち、膝を抱えて動かなくなってしまう。
「こんのヤロども使えねえ・・」
これ、相手に憎しみの感情があると触って冒涜するのが平気になるっての、人間どういう神経してんだろうなと、ふと疑問に思う隊長であった。
まぁ、『ヤロども』も遺体から剥がした服や持ち物のチェックなら我慢が出来ている。ガキと言うよりは年上だが、ちっともマシな気がしない。
「隊長、この連中・・変なもん持ってます」
「何人か、同じモノ持ってます」
「なんだこりゃ、人相書きか?」
お尋ね者の手配書なら、渡される相手が読める読めぬに関わらず、なんかしらの文字は入ってる。
「ぜんぶ絵ってことは、此奴らに見せて探させるために作った人相書きっぽいな」
裏に下手くそな女の裸とか書いてる奴もいる。反古を捨て忘れたとかだろうか。
「黒い衣の修道士? 黒い顎髭? 隣りに線画で小さいひとが数人・・て、これは
・・馬鹿みたいに背が高いって意味か?」
「特徴ありますね」
「異様な背のデカさがな」
◇ ◇
メッツァナの寂しい酒場。
女ふたり賑やかで寂しくない。
「それで亭主と番頭逝っちゃって店はお手上げ。借金取り来るし、お終いですよ」
「若後家さん、帳簿は?」
「からきし」
「そりゃ困った」
「っていうか、一切合切持ってウルカンタへ行く途中の船で強盗に遭ったんです。すっからかん」
「店に手形やら何やら有るんじゃないのかい?」
「サッパリ」
「一度あたしに店を見せてみな。これでも経理にゃ一言あるんだよ」
「身売りして売れる歳じゃなし、船主訴えてやろと思ったら、勝てる訴訟にならんと言われた」
「ちょっと此の姉さんに店と帳簿ちょいとお見せ。そしたら蝮みたいな三百代言人嗾けて船主からひと財産引奪ってやろう」
怖い算段が始まっている。
◇ ◇
岡場所へ行った馬鹿ども、清々して良い調子で高歌放吟しながら帰って来る。
「あれ? 土左衛門、お前も来てたの?」
「へぇ、姉さんが三途の渡し賃だって言って小遣い銭を呉れまして」
「成仏したかい?」
「三度も彼岸が見えやした」
メッツァナ一番の高級宿の前に来る。
続きは明晩UPします。