14.徴発されちゃって彼女は憂鬱だった
ゴブリナブールの宿屋街。
「おいでなすった?」
「なすったぞ」
「連日また勤勉なことだわね」
釣瓶落としに日が暮れて、辺りは闇に包まれた。
クレアが鎧戸から外を見ても、陽の落ちた街角が見えるだけ。ただ、店の入口に点された足元灯の周辺が僅かに明るい。
「五、六人の塊りが二つ。暗がりの中を移動しているな。人数は少ないし、動きも統制の取れている感じがせん。昨夜の掠奪で分け前に与かれなかった者らが不満で勝手に繰り出して来たとか、そんな状況だろうか」
「どうするの?」
「ひとり手傷を負わせて逃し、残りは殲滅する」
傭兵ディードリックの五感は、闇の中の剽掠者達を明確に捉えているようだ。
◇ ◇
将にディードが鯉口を切ろうとした時・・
「・・ん?」
「どうしたの?」
「砦の兵が・・動いた」
瞬時に、方針を変更して攻勢に出るのを止め、宿屋の父娘に張り付いて警護する策に転じる。
「ぜんぜん見えないわ」
クレアも戦場で偵察行を経験した事が無いではないが、夜戦のような特殊戦闘を室内から窺い見ても、状況が頓と分からない。
「よく訓練された連中だ。敵を包囲殲滅するよう組織的に動いているな」
「そんなこと気配で分かっちゃうわけ?」
「実戦の勘を掴めば大概のことは分かるものだ」
「ほんとかなあ」
「兵力も倍近い。危なげない防衛戦になるだろう。始まるぞ」
「ねぇ・・実戦経験積むって、そんな凄い事なの? 何でも分かっちゃうの?」
「何でも・・ではない。僅かな物音や虫の声、風が運んで来る匂いなどと、色々と注意を怠らなければ沢山の情報が有るものだ」
クレア、釈然としない顔。
「あたし、そう言うのも含めて情報屋として結構場数踏んでる積もりなんだけれどディードのは何か生得異能の部類じゃないの? だって現に、あたしら喋りながらでしょ。どうやって物音聞いてんの」
「俺はただの凡人だ。本物のギフト持ちを知っているが室内に潜んだ敵の人数まで呼吸音を数えて把握してみせたぞ」
「・・それって人間?」
「俺は戦場で、全く歯が立たぬと感じた人間に、二人出会った。俺の幸運は、その二人ともが味方になった事だ。だから今も生きている。そして、俺が傭兵を辞めた理由は其んな人間でも戦場で死ぬのだと知ったからだ」
傭兵ディードリック、自意識の上では元傭兵で現役の探索者である。
◇ ◇
表で巻き起こる喧騒に耳を欹てるクレア。
「唸り声、獣じみた奇声と悲鳴・・ねぇ。丘の砦の兵隊たちって、ぜんぜん物音を立てないの?」
「敵分隊が待ち伏せに遭った変事を、敵本隊に気取らせぬ配慮であろう。夜討ちや奇襲に慣れた部隊のようだ」
「辺境の砦の守備隊が?」
「先程会った衛生兵殿も、並の御仁でなかった。或いは全員が特殊な訓練を受けた部隊なのではないか」
「それが辺境の砦で閑職って、どういう無駄遣い? 剣戟の響きもしないわよ」
「昨夜の襲撃では、小鬼らは短剣に汚物を塗り付けて刀疵から病魔を送り込んだと聞いた。刀剣を撃ち合うことで何らかの毒物の飛沫が飛んで被害を生む惧れが有ると考えた為かも知れぬ。長柄の鈍器の類で打ち据えて捕縛している模様だ」
「捕縛?」
「一向に血の匂いがせぬ」
「終わった?」
「鎧袖一触」
「あたし、嫌な予感がするわ」
「奇遇だな。俺もだ」
既に二人の耳には足音が聞こえている。宿屋の戸口に向かって来る。
◇ ◇
シュトライゼンの町。イレーヌの店の食卓に片肘衝いて転た寝しているレッド。浅い眠りにまた夢を見ている。
場所は何処だか判らない。知って居るような覚えが無いような・・
丸椅子に掛けて肩を落としている自分が居る。
「まぁ呑み賜えよ。気楽に成れるのである」
長椅子で先に飲っているのは飄々とした会計官殿。そこへ人が訪ねて来る。
「おお、来たか。話したのは彼の事だ。騎士レッドバート・ド・ブリース。北海州出身だ」
会計官殿が何やら男と話し込んでいるが、聞き耳を立てる気力が無い。
男は賢そうだが、上目遣いの表情やら明かな作り笑いに幾分小狡猾そうな空気も幾分漂わす。しかし手際が良い、如才ないという雰囲気の方が勝って、総じて悪い初見の印象ではなかった。
「でも旦那、規則ってものも有りますしね」
「君が如何にでも出来る範囲だろう? 監査とかも有るでもないし、そのくらいの事は押し通せる力の後ろ盾に、儂は成れて居らぬかな?」
「いや十二分に」
「なら頼む。彼は騎士身分で成人済みだ。今更十二、三の子供と一緒して丁稚仕事なんぞを為せるには忍びない。冒険者登録の日付を少々遡らせるだけだ。どうせが君のことだ。綿密な記録など完備しちゃ居らぬだろう?」
「あはは・・お察しでらっしゃる」
事実、彼は才気煥発に輝く反面で、地道な努力を怠り継続力に欠けるムラっ気な人物だった。つまり、冒険者ギルド長として州だか郡だか補助金チェック係である会計官殿の網に掛かって、個人的に重宝な手駒にされていたのである。
「それじゃ、冒険者として経験が無いと簡単に馬脚を露さんように、手取り足取り教えてやって呉れんかね」
結局、彼が俺の師匠だから、恩人の部類である。すき好んで綱渡りすると大概は地面に墜ちるということの実に優秀な反面教師でもあったが。
◇ ◇
ゴブリナブールの宿屋。
足音が戸口に近付いて来て、拍車を曳き擦る音が耳に付き、そしてノック。
父親の看病をしていた娘が駆け付けて扉を開くと、其処には、上背の有る初老の軍人がいた。
「侵入者は残らず捕縛した。安んずるがよい。ご主人の容態は?」
「はい、高熱で魘されてますが衛生兵さんに頂いた薬が屹度効いてくれると信じて看病に励んでおります」
軍人、自然な態度で娘の頭を撫でると、次は真っ直ぐディードらを見る。
「・・(やな予感)」とクレア、心中でまた呟く。
歩み寄って来る。
「若しや『迅雷のディードリック』殿か?」
「そういう二つ名を頂戴していた時期も有りましたな」
「スーレーン旅団の三番隊長でいらした・・。某は、嘗てオイレン兵団を率いて居たホルスト・フォン・オイレンブルク。今は、大司教様の丸抱えになって楽隠居同然の暮らしをさせて頂いておる」
「『楽』と仰る割には相変わらず精鋭を率いて居られますな」
「『迅雷』殿に言われると赤面致す。今は貴公も、大司教様のお膝元でお暮らしと仄聞した。探索者ギルドにご加盟とか」
「戦場を去って久しう御座る」
「ときに我ら、小鬼どもの本拠地を探し出して陥陣営したい。昨夜に掠取されたる婦人四名も奪還せねばならぬ。ご協力を仰げぬものか」
「・・(そら来た)」と思うクレア。
「いにしえの言い伝えに謂う『小鬼』と聞かされてお笑いと聞きましたが・・」
「詭道也り。再度の襲撃を誘って奇襲を狙うに、先ず欺く可きは味方で御座ろう。町の衆が心底弱気に振る舞って呉れぬと、敵が味を占めて軽々に連日襲って来ても呉れぬでな」
「流石オイレンの団長殿ですな」
「だが我が戦隊、襲撃せんと兵を伏せたる敵を見破るのには長じていても、戦意薄く逃げ隠れする敵を相手にして参らなんだ。其処で思い出すのがアグリッパの町で聞いたる噂。何と那の『迅雷』殿が練達の斥候殿と組んで、敵の追討で名を上げておられると」
「・・(そう来たかぁ)」
どうもホルスト殿、仄聞どころでなく確固り情報を得ている模様。
「掠取れた御婦人達の奪回も寸刻を惜しむ可きもの。何卒か我らの不得手な分野に手をお貸し願えぬ哉」
「いやー、お力になりたいのは山々なんですけど、あたしたち依頼を受けて南へと急ぐ旅の中でして」
「貴方がたもアグリッパの市民。大司教座の力を借りての徴発などと権柄づくなる事を申し度くないが・・」
(・・うわっ、そう来ちゃう?)
「御加勢頂けるならば、船便よりも早い特急便でカンタルヴァン伯爵領までお送り申し上げよう。此処はひとつ我らを御信用召されよ」
「我ら両名も、袖擦り合うたる父娘を危険な所に捨置きとう御座らぬ。小鬼ばらを徹底的に無力化出来るなら喜んで与力仕ろう」
(・・え! ディードったら、アッサリ快諾しちゃうの? それ、元傭兵仲間の仁義ってやつ?)
「フハ・・」と一声、クレア、頭を掻く。