128.流出して憂鬱だった
アグリッパの町、城東区北。
見上げれば艮櫓、門を出れば処刑場。
子供らが泣いて怖がる怪談の舞台である。
言うまでもないが、市職員で最も希望が少ないのが此処の門番だろう。
それでも配置を希望する者が存在した。理由は、暇だから。
そんな奴が、クルトの旧友なのだ。
「ここって、書記官さんとか働いてないよな?」
「働いて・・って? ここにそんな高給取りの仕事、なんか有るか?」
「無いな」
「無いぞ」
入市審査や税務など『書類が読めなかったので見逃した』では仕事にならない。特に湊のある東門などには複数の書記官が常駐だ。常駐というか、教会から交代で派遣してもらっている。
此処は違う。
「ちょっと通るぞ」
「おう」
別に友人だから顔パスなのではない。処刑場に行く人をチェックなどせぬだけ。外部からの侵入者なんぞ直ぐ気付くくらい人通りが稀なのである。
城外に出ると、矢張り顔を背けたい光景だ。背後に、湊を出た舟から見えぬよう目隠しの森があるが、吊っている縄が腐って落ちたら、彼らはその森に捨てられるのだそうだ。
門番詰所に戻ると、友人は一杯振る舞って呉れた。
これも友人特典ではなく、大抵の人は青い顔して帰って来るから皆に振る舞っているとのこと。
「だけど何故か被害者遺族って元気で、棒で突いたりすんだよな」
憎しみが勝つのだろうか。
食事してなかったのは良かったと言えば良かったが、酔いは回った。
「おい、大丈夫かよ足許っ」
だーいじょーぶぅだーいじょーぶじょーぶだぁと手を振って詰所を出たところで見てしまった。
それは透明な翅の生えた闇の妖精で、顔は白く唇は薔薇色だった。側塔の石壁にぽっこり開いた暗い穴に飛び込んで消えようとしたので、追って穴に飛び込んだら逆に捕まった。
「駄目ですわ。此方の世界に来ちゃあ・・」
跨がれる。
蜂蜜酒の体臭に包まれる。
「お寝みなさい、黄金と紺碧のヴェールに包まれて。いま満天の星の下にいるのが分かりますか? 花咲く森の枝影に恋人たちの姿が見えますか?」
急速に睡魔が襲う。
「この薄明かりこそ愛の魔法の世界。気高きヴェヌスが顕現します」
気が付くと側塔の脇の物陰で眠り込んでいる所を友人に揺り起こされていた。
下半身からは、出てはならぬものが出てしまっていた。
◇ ◇
ランベール城、一室。
「なんと書いてありました?」
「見ろ! 一緒に読め!」
それは短かいアジ演説に触りのような文章だった。
「宜しいのですか! 『姫の許へ集結して男爵家再興のため蹶起しよう!』と」
「署名してるのはランベール党過激派のリーダーの一人だ。これは使えるぞ!」
「蹶起して再興していいのですか?」
「いいともさ。ずっと隣にいた兄弟だから五百年も永々と戦争してたんだ。遠くで文通してれば仲良かったのかも知れないのに」
「兄弟だったのですか」
「ああ。敗れたら妻子を捨ててでも逃げ延びて生き抜いて、そして必ず復讐する。勝ったなら相手の妻を犯して勝利宣言する。そんな蛮族時代の掟を守り続けた俺ら両家は、実はいつでも兄弟だったのさ」
「今も・・ですか」
「ランベールの『姫』様というのは、ランベール男爵夫人がまだ女騎士だった頃に俺の父の捕虜になって、ご両人ノリノリのくっころプレイその果てに孕んだ娘だ。俺はボーフォルスの若殿の庶兄なんで、母親違いの三兄妹なのだ」
「なるほど兄弟ですね」
「ちなみに孕んじゃった女騎士は慌ててランベールの侍大将を婿に取ったが、入婿男爵となった侍大将がもと妻を不妊を理由に離縁したというのは嘘っぱちで、既に娘がいた。あんたが先刻あったミシェルだ。俺の異父弟の女房してる」
「なるほど、みんな兄弟ですね」
「人類皆な兄弟だ。ひと殺しだって兄弟殺しから始まっただろ」
「それもそうですね」
「こんな話がある。むかし無双の騎士があった。生涯に決闘で斃した敵の数なんと八十」
「応に無敵の戦士ですね」
「彼の盾には討ち取った者らの姿が描かれていた」
「そうやって戦績を誇る殿方のお話はよく耳に致しました」
「そんな彼にも最后の刻は訪れる。優れた小人が誰にも出来ぬ程巧みに鍛え上げた剣が強敵の兜に当たって根本から折れ、彼はリン河の畔で致命傷を負った」
「最強の戦士にも等しく死が来るのですわね」
「彼は初めて弟だと名乗り、今まで討った中で最強の者は実の息子だったと告げて親族殺しの運命を嘆じつつ死んだ。勝者は勝利を喜ばず敵を手厚く葬ったという」
「この話、なんか聞いたことが有りますわ」
「戦士は主君を奉じて転戦するものだ。こういう悲劇は、あちこちで有ったろう。だが、我らが一族はずっと隣り同士でやっていた。遠く離れてみるのも良いんじゃないか?」
「近所で喧嘩するよりは良いです」
「もう一つ。もう気付いたかも知れんが、このあいだ死んだランベール男爵が兄で『姫』が妹というのも実は前後が逆で、本当はあっちの方が長女だ。長女なうえに両親とも貴族だから、父親が家臣出身の長男より格上だ」
「その『姫』さまの父親がボーフォルスで、ランベール党過激派の皆さんは冷静に納得するんですか?」
「何百年もの間、敵の女を分捕って来ちゃ妻にしてるんだ。骨肉が争ってるてのは皆が知ってる事さ。ボーフォルスの大奥様とランベール夫人は叔母姪の関係で実は仲が良い。若殿との成婚に近親婚の特認状を取りに行ったのも俺だ。アヴィグノが馬鹿高い寄進を要求する事も、うちが南岳派に転んだ理由のひとつだ」
「もう誰が誰の子だか、混乱して来ました」
「兎も角だ! 大奥様のお孫が男爵領ふたつ相続する次期当主。そして邪魔くさい過激派が姪の子の親衛隊に転じて、遠方で男爵領を建てたなら万々歳ってことだ。君の持って来た手紙、価値とてつもなく大きいぞ!」
◇ ◇
冒険者ギルド。
ギルマスのマックス戻って来る。
「ポルタルアス伯爵の紋章、わかったら皆に周知しろ」
ウルスラ少し困った顔。
「それが、クルトが戻って来ないのです。グレゴリウス『司祭』に仔細を聞いていたところです」
発音の同じ単語が並ぶと会話がよく通じない。冒険者の『司祭』職が宗教者ではないことも分かり難いが、これは制度が悪い。冒険者の『暗殺者』職が殺人犯だと思う人は少ないだろうが、噂ではときに知らん顔して『暗殺者』職を名乗っている殺人者もいるという。まぁ冒険者では『暗殺者』職がレアなので実害が出たことは無いが。
「それで・・なにを聞いてたんだ?」
「『ポルタルアス』ってなあ『尻の出入り口』って意味だって説明したとこだぜ」
「ではなくて、珍しい地名のようだから教会の図書館に行けばきっと何処の伯爵か分かるだろう。伯爵なら法務官の名簿で細かく分かる筈・・そんな話です」
「なあ! 『尻の出入り口』も重要だと思うぞ」
「あなたが教会を出禁になった話は話題にしてません」
「グレゴリウス『司祭』、調べてくれるか?」
「あ・・俺ぁちょっと・・。ウルスラが言うとおり、俺は教会の公的施設は出禁なもんでな」
「何とか成らんか?」
「じゃ・・そうだな。変装して助祭だった頃の知り合いに聞いてみるか」
◇ ◇
大聖堂。
「何かねばっこい物を踏んづけた参詣客が歩き回ったのですね」
鏡面仕上げのような石貼りの床を丹念に拭き掃除しているのは、奉仕活動に来たボランティア信者のような作業着姿のホラティウス司祭。寺男の格好していたらば下級聖職者に『サボるな!』と叱られたので、最近ボランティア信者に変えた。
彼、考え事をする時に、体を動かしているのが好きなのである。
「わっ!」
床の拭き掃除中に無防備状態の臀部を攻撃された司祭、驚いて振り返る。
「きっ・・貴様は尻魔グリゴリー!」
続きは明晩UPします。




