126.泥棒も憂鬱だった
アグリッパの湊、朝まだき。
柄頭にポルトリアス伯爵の家紋を配った彫金を施した、些か過分な
差し料を持つ男、少々苛ついている。
西国へ向かう快速艇が発つのは午後だと言うのだ。
少し下流のモーザ川分岐点まで軽舟で下って、北海州から西国へ向かう大船へと乗り継ぐのが最速という。
「すぐ出せるのだな?」
「そりゃもう。特急料金頂戴しやしたし」
ゴンドラが出る。
「その舟ぇ待った! 俺も乗せてくれ!」と駆け寄る男の肩に手を掛けて制止する大男。
「あんたは! ヨハンネスさん」
驚く斥候シトバン。
「尾行はあの船頭が引き継ぐ。貴殿の手柄は報告しておく」
ヨハンネス・ドーの目配せで、尾行じゃなくて拉致だと察するのだった。
◇ ◇
同市、大聖堂。
本日は、朝の礼拝のあと告解室に長蛇の列。
籤運の悪いホラティウス司祭、朝からかなり重たい懺悔を聞く。
元々は学僧だった彼、ひとの悩みを聞くことが心に健康を齎らすという理論こそ学んだが、他人のプライバシーを知って仕舞うことに罪悪感も覚える。
ましてや、命を以て贖わねばならぬ罪とかを告白されてしまったら、如何したら良いのだ。
鬱々として聴く。
「それは二十年前のことでした・・」
「・・(『忘れなさい』って言ってあげたいです)」
「私はまだ少年で、彼女は三歳年上の、太陽のように微笑むひとでした」
「・・(甘酸っぱい。胃が凭れます)」
「でも彼女は、父の子供を出産しました」
「・・(お父上を刺して懺悔に来たのではありませんよね?)」
「私は、善い兄であろうと努力しました」
「・・(お父上は彼女を後室に迎えたのですか? それとも・・?)」
「でも、情欲に負けた私は彼女と姦淫して仕舞ったのです」
「・・(多分ギリセな気がします。きっと後室でない)」
「弟の素行が悪くなったのは、彼女と私の関係を知ってからと思います」
「・・(単発の事故じゃなかったのですね、はぁ)」
「この世は小闇い泥沼の谷ですが、対話による相互理解が灯火となります。勇気を出して告白したので貴方の罪は許されました。貴方に是の祈りの言葉を授けます。繰り返し唱えなさい。Id est pridem. Non memini.」
「それは?」
「『白家祭文』といいます」
◇ ◇
城外、北東。人気のない早朝の処刑場。
デックハルド・ボエルとコニ・ブルバが祈っている。
「望まない関係だったけど他人でもないから祈ってあげるわ。みんな情けない姿んなっちゃって・・」
七人、日数を追うごとに悲惨さが増している。
斬首よりも絞首が重い刑罰だという事がよくわかる。
「庶子の俺は湯水のように金使える身じゃないので二軍だったのが明暗分けたか。それとも黙って金だけくれる親と怒って座敷牢に放り込む親の差か。他人の痛みで自分の痛みが紛れると思った屑には変わんないのにな」
「ちょっと! 『惚れた女が出来た差か』って言いなよ」
「ああ、確かに座敷牢ん中じゃなくても『次の会』のお誘いは来なかったろうな。実は、あのとき何故誘われたのも知らねぇ。急な呼び出しだったし、欠員があった訳でも無いし」
「そういえば、ディックの順番って最後だったよね」
「残り物に福があったろ?」
コニの腰に手を回そうとして、止める。
「・・さすがに、あいつらの目の前じゃ気が引ける」
吊るされているセスト・ヒュッカーの遺体には既に眼球が無かった。
◇ ◇
大聖堂。
跪いて黙々と床を拭いているのは労働着で奉仕活動中の在家信者・・ではなくてホラティウス司祭。
「・・(今朝の告解室にいた男性。言葉の端々に真摯さを感じました。)」
・・そんな彼が、自分から懺悔に来て『不倫』でなく『淫行』と告白しました。わたしは彼が、言葉の言い換えで罪を遁れるような人ではないと感じています。
あれはきっと、父親が婚外で為した子を引き取って、実子であるが如くに出生を届けたことを責めぬための言い回しです。彼は、許しの秘跡を授かるに値します。それに引き換え・・わたしは・・
見ると聖堂に人は疎らで、告解室は空いている。
◇ ◇
告解室に『清掃中』の立て札を置き、中で跪く。
心の中で祈りを唱え、そして懺悔する。
「・・(わたしは夢の中で女性と淫行に耽り、衣服を汚しました)直ちに目覚めてすぐ、聖典の教えどおり全身を水で潔めて詩篇を唱え、祈りました」
すると、誰も居ない筈の司祭室から聞き覚えのある声。
曰く。
「夢の中ですもの。神もお許しになりますわ」
もう驚いていない司祭。
「相手の女性は、わたくしですね?」
「告白します。仰るとおりです。お見通しでしたか」
「全知ではありませんが、いろいろな事を知っていますよ。もう既に、わたくしがスクブスでない事は証明済みですから大丈夫ですよ。どのような体位でわたくしと交わりました?」
「cum alia retro, canino more..」
「これも夢の中ですから、贖罪規定に抵触しません。眠る前、夢の中にわたくしが出る事を期待しましたか?」
「ちょっとだけ」
「詩篇を三十回読みましたか?」
「目覚めて衣服と全身を浄めたのち、直ぐに三十回暗誦しました」
「あなたの罪は許されました」
祈って・・告解室を出ると、司祭室には誰もいない。
戸口から『清掃中』の立て札を外して呟く。
「罪の意識が見せた幻だったのでしょうか」
◇ ◇
清掃用具と『清掃中』の立て札を持った作業着姿の司祭の目に、大聖堂大扉から入ってくる尼僧の姿が映る。
真っ直ぐ彼に向かって来る。
「御寄進致します金貨をお持ちしましたわ」
「あ・・ああ、はい。あの・・今朝は初めてお目に掛かりますですよね?
「ええ、勿論。昨夜以来初めてですわ」
「え?」
「馬車を事務等のほうに寄せてをりますわ」
「じゃ、直ぐ着替えて参りますっ!」
ホラティウス司祭、大急ぎで司祭らしい事務服に着替え、事務棟に駆け付けると四頭の馬に牽かせた頑丈そうな荷車が横付けになっていて、棺のような箱が載っている。
尼僧が耳打ちする。
「荷車は室内に入れません。見た目はそう大きくないですが、目方が目方ですので教会の皆様で奥へ運んで下さいませ」
「目方が・・?」
「金貨二十万デュカスですので、馬二頭よりは軽いかと」
「そ・それは屈強の十人でも苦しいですね」
「ところで・・一度わたくしを後ろから抱いてみますか?」
「夢だけにしておきます」
◇ ◇
アグリッパ冒険者ギルド。
『泥棒』職のクルトがマックスに報告している。
「マークしていた例の男、朝一番で町を出て西国に向かった模様です」
「何もせずに、か」
「『エイゼン』亭のおかみに大捕物のあらましを無難に聞き出した程度で、あとは誰とも接触せずに飛んで帰りました」
「あの組織が壊滅しいてるたぁ夢にも思わなかった・・って様子だな。報告にすっ飛んで帰ったか」
「ねぇねぇギルマス・・『泥棒』職って聞き込みひとつするにも怪訝な顔されるんですけど、何とか成んないですかね」
「ったって・・シーフはシーフだから仕方なくない?」
「だぁっから、それが古いんす! 『聞き込み活動に不便ですよ』って現場の声を『伝統だから』って一言で却下ってソレじゃビジネス立ち行かないですよ。だから探索者ギルドに負けるんですよ! 最近おいしいとこマルっと取られて残りの雑用貰ってないすか?」
「うっ。耳が痛いが正論だ。職業名の変更は全国協議会マターだから、うち独自で聞き込み用のネームカードを作るのは如何だ? ここの住所とかも書いて『なんか有ったら連絡下さい』とか言って渡す」
「それ貰って、誰が読めるんです?」とウルスラ。
続きは明晩UPします。




