124.いい夜でも憂鬱だった
アグリッパ、下町。
料理屋『川端』亭の前。
「ここじゃ、ここじゃ。下町で評判の店」
「あなたは下町によく出入りなさるのですか」
「そりゃわし、生まれも育ちも下町の、由緒正しい町人じゃもの」
繁盛店なので混んでいるが、先客に少し詰めて貰ってすぐ座れた。
「今日はついてる。普段は立ち飲みで空席待ちするんじゃぞ」
「局長さん。あなたも宮廷の式典に出れば準貴族の席に着く身分だ。下町おやぢの立ち居振る舞いが染み付かぬ店に出入りした方が良いですよ」
「『下町おやぢ』のなんが悪い! いーじゃねぇか!」と詰めてくれた隣の客。
「わーはっは! そうじゃ! なんが悪い! 乾杯乾杯」
クルツが直ぐ応じて飲み始める。
両隣から攻められたヘンリック・ボエル、戸惑いながら杯を傾ける。
「いや・・わしは別に下町の皆さんに文句を言った訳じゃ無くてですな・・お偉い方々のお呼ばれする可能性が有る者はそれなりに修養積んどかんと、イザって時に同郷の仲間に迷惑かけたり・・」
「えーい、そういう説教なら家で息子にしてやれよぉ!」
隣の酔客に絡まれるヘンリック。
脇で聞いてて吹き出しそうなマックス。
・・ちくちく言ってやろうと思ってた嫌味をお隣さんが言って呉れちゃったよ。俺たち無罪。
「おいおい、そう言うなって! 城の外壁の向こうでぶら下がってるドコぞの家のお坊ちゃんだって、そのおっさんみたいに叱ってくれる父親がいたら今頃生きてたろうさ」
ほかの客が話に割り込んで来る。
マックスとクルツ、もう真顔でいられる限界に近い。
「ぶひゃひゃっひゃひゃひゃ。飲もう飲もう!」
◇ ◇
嶺南ファルコーネ城。
「ああ・・人間こんなに変わるもんかいのう」とアルノー老。
「大尉で間違いない。体の八割がプライドで出来てるような男じゃったが」
「八割削ったら残りは滓で御座るか」
廃人であった。
「恢復の目処すら立たないし、如何致しましょう。『もう一度捨てて来て』なんてディードに言えないし・・」
言いつつちら見る副伯夫人。必死で気付かぬ顔のディード。
「アルノー殿は、あの毛蜥蜴の襲撃を如何乗り切って森を横断なさったの?」
「最初の遭遇で渠奴ら、展けた場所にて横一文字に並んで襲って来ょった。それで包み込まれるのを嫌った隊長が横展開を指示したところ、ひと拍子措いて別働隊が側面攻撃を仕掛けて戦列を崩壊をさせよった。まるで禄山大王に伝授されたような戦術を使いおる」
「それを如何凌がれたの?」
「儂が即時離脱撤退を叫んで、既のところで包囲殲滅を免れたのじゃ」
「まぁ」
「それから暫くは皆、儂の言うことを良く聞いたわい。痛快痛快」
「ただの野獣等とは到底も思ませぬな。敵方にも、ザミュエル殿のような馴服師が付いておるのでは?」
「あの野獣ども、地頭が良いのじゃ。腹へった云々でなく、勝てると思った相手が獲物に見える。詰まり方時も油断を見せねば襲って来ぬ」
さすがはヴェテラン探検家の洞察力よと両名感嘆。
「手傷の出血に塗れ這う這うの態で撤退して来た先遣隊なぞ、鴨葱鴨葱」
◇ ◇
ウルカンタの桟橋傍、明朝出航する船が並んでいる場所。
ミュラが船端に腰掛けて居る。
「此処は番兵が確り監てますから安心ですよ」
振り返ると、カーラン卿が立っている。
・・気配は絶って居た積もりだが。
「いいえ、客室の熱気を遁れて涼みにまいりました」
半分本当である。妻の尻を窃み視る視線が多過ぎるのを、嫉妬するでなくて妙に自慢げな自分が恥づかしく思えて逃げて来た。
「ふふふ」笑う。
カーラン卿、隣りに掛ける。
「よく知らぬけれど、未だお若いのに第二の人生なんですか?」
「義兄上や若殿様・・気に掛けて下さる方々に恵まれて、堅気で生きております」
「わたしは所属していた騎士団がパトロンに捨てられて潰れたとき、お気に掛けて下さる方が被在り、役人で成功することが出来ました。ほんと、ひとの出会いって神の恩寵のようですよね。・・いや、全然信心深くない者が斯かる物言いするのもアレですが」
ミュラ、意を決したように打ち明ける。
「妻と睦まじい処を視られたいと思ったら変態でしょうか」
「変態です」
◇ ◇
アグリッパの下町、路上。
「どうでぇ。下町ゃ良いだろう」
「心の臓には少々悪かったですよ」とヘンリック。
「俺ら、なにも暴き立てる気ゃ無ぇんだよ。たださ、悪党一味を即刻処分せいって尻叩かれると馬鹿親どもの裁判に向けて調査費用がぜんぜん足んなくなる。だから急かさんで呉れってだけ」
「じゃ・・うちの息子は?」
「そりゃもう『追加で吊るせ』なんて話にゃ為せねぇから」
「いや、クルツ・・不安材料が有る」とマックス割って入る。
「悪党一味が一掃されたことは皆の知る所だ。と、なりゃあ今まで奴らが凄むんで泣き寝入りしていた者が騒ぎ始めんとも限らん。思い当たる節が無いかどうかだけ親子で腹を割って話し合って欲しい。懸念が有ったら、自分で変に動かずに俺らを頼ってくれ」
◇ ◇
ウルカンタの湊、船端。
「変態ですよね」
「わたしは実は、男性も女性も美しく着飾って差し上げるのが趣味なんです。良い変態でしょ?」
「良い変態?」
「この世界には、良い泥棒に悪い泥棒。良い人殺しに悪い人殺し。良い領主に悪い領主。良い猫に悪い猫。なんでも良し悪しが有るじゃないですか」
「有り・・ますね」
「外部経済があれば良い変態。外部不経済があれば悪い変態。いざ共に良い変態を目指して生きましょう!」
ミュラ、カーラン卿の横顔を凝と視る。
「・・(このひとは良い人のようだ)」
◇ ◇
嶺南ファルコーネ城。
アシール卿とラリサ嬢の寝室。
何やら男女の激しい息遣いが廊下まで漏れている。
意に介せずノックする男。
「夜分恐れ入る。ディードリックで御座る。実は、奥方に内々に伺いたき事あって参上仕った」
入室ると、頑丈な板張りの床上で男女が組み合っている。
「組み手稽古ならば、ギルドの道場でなされたが宜しいのでは?」
「女性で彼女に歯の立つ者が居らぬ。それに。男女で組み手しておって好奇の目で見ぬのは貴殿くらいです」
「・・格闘家族」
「実は我ら二人、婚儀まで日程調整中にて・・姦淫に走りたい気持ちを斯く稽古で昇華致しておる次第」
「色々な生き方が有って善く御座候」
「実を申さば拙者、最初は欲望に負けて婚約者を組み敷こうとし『墓石落とし』の大技で撃退されたのが始まりで・・」
「色々な行き方が有って善哉」
「ところで、お尋ねの儀とは?」
「奥方が最近サバータのモデスティ様にお目通り叶ったと聞き及び、御覧ぜられた為人をお伺い致したく存ずる」
「唯。モデスティ様は、月影の御料人とガルデリ本家筆頭御家老ヴィットリオ様のお母上、プフスブルのミランダ様とクラウス卿の祖母上で御座ます。其の見た目はミランダ様と瓜二つで御髪は銀糸、御肌は白磁、瞳はルビー。姉上様と仰られたら十人が十人固く信じます」
「・・それは・・ひとで有らせられるか?」
「正直自信ございません」
◇ ◇
アグリッパ西区の高級住宅街。ヘンリック・ボエルが帰宅する。
僅かに開いた通用口から横へ躙り寄るようにして這入る。
物陰から、若い女がそんな様子を見守っている。
「一家の主が自宅の出入りにあんな警戒するなんて、貴女ずいぶん突入アタックを繰り返したのね」
驚いて振り返ると尼僧がいた。
「誰ッ!」
「尼僧でござりますぅる」
「そういう悪戯た感じは全体に好きっちゃ好きなんだけど、何者か教えてくれたら嬉しいな」
「何者か名乗りたくない者だって察してくれたら嬉しいな。貴女の勘だと、敵? 味方?」
「味方に十シュット」
「のりが良いわね。一杯やりに行く?」
「奢りなら二つ返事」
続きは明晩UPします。




