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122.堕落しちゃって憂鬱だった

 アグリッパ内郭、大聖堂前。

 ホラティウス司祭、小走りで現れる。


「告解致しませんと」

 息を整えて大聖堂に入ると、典礼の時刻の合間ゆえ静かに祈りを捧げる参詣者が若干いるだけ。告解室も空いている。

「こんな事を申したくは有りませんが、政治的立場もあります。他の司祭さま方のお耳に入れる訳には・・」

 ちょうど、奉仕活動に励む一般信徒の如き労働着姿である。さっと告解室に入って誰も居ない司祭室の小窓に向かい跪いて祈る。


「わたしは、スクブスのような闇の妖精の存在を信じておりました。見たとおりを信じたのです。決して信仰したのではありません。しかし存在を信じたので、罪を犯しました。お赦し下さいませ」


 ・・祖先たちが回心したとき、古い神々を否定し迷信を廃し、異教のまじないを禁じ、他愛の無いものは土習として黙認しました。崇めずとも頼らずとも、異教の神々であった何かの実在を認めて仕舞うことは、罪です。


 すると、誰も居ない筈の司祭室から聞き覚えのある声。

 曰く。

「ただの間違いと錯覚ですもの。神もお許しになりますわ」


 驚愕する司祭。

「・・わたしは、逃れられないのですか」

「嫌ですわ。『堕落しそうだ』と仰るから中断しただけです。『窒息しそうだ』と仰る方に息を次がせるのと同じです」

「続きをなさるのですか」


「あのとき、わたくしが殿方に跨ってをりましたのは、精を吸って居たのではなくアタナシオ元司祭の御子息を堕落させたの賊の首魁を尋問して居たのです。彼はカラトラヴァ侯夫人の弟ポルトリアス伯爵の従士で、名をゼンダ・ブルス。ひとを射んとして先に馬鹿息子を射た男です」

「吸いませんでしたか」

「吸いません」


「そもそもの時、わたくし乗ってをりましたでしょう」

「乗ってました」

「スクブス(Succubus) は下に横たわる(succubare) 者ですから、下に(sub) 横になって(cubare) 交わります。教会御推奨の体位ですわ」

「わ・割りと奇特なのですね」

「聖典に曰く"Mulier, quae succubuerit cuilibet iumento"。女は馬に乗っているでしょうか?」

「いいえ、馬が女に乗っています」


「以上。わたくしが『スクブスでないこと』の証明、終わり」

「誠に申し訳ありませんでした」

「あなたの罪を許します」


 ホラティウス司祭、祈る。


てときに、市の外郭門外に慈善宿を大量増設下さいますようとの陳情、何如で御座いましたでしょうか?」

「はい、長老がたに根回し致しましたところ概ね好意的で、問題なく通せるかと。特に、この策にて門外にて普通の宿に見せ掛け娼館の如きを営む者らを、少しでも聖堂から遠ざけられると歓迎なさる向きが多うございました」


「市民権を有する退役傭兵の組合さんぢかに門外の治安を任せる一件は何如で御座りましたでしょう?」

「これまでの退役傭兵市民の協力的な活動も皆様方のお耳に入れております。都市自治体側から余程強い反発が無ければ可能かと」

「それは喜ばしう存じますわ」


「それでは御寄進の方は?」

「既に市中の金融ギルドに手形の現金化を依頼済みですわ。一両日中に可能という事です」

「有難いことです。誠意をもって進めさせて頂きます」


 再び祈る。


 告解室を出て、振り返ると司祭室には誰もいない。


呼吸以上して仕舞いました。わたしは堕落したのでしょうか」


                ◇ ◇

 同市内、冒険者ギルド。

 ギルマスのマックス、帰って来る。

「ちょっと困った」


「どうしたんです?」とウルスラ。

「ま、俺の部屋で話そう」

「まさか! えっちな事でもするんですか?」

「俺の落ち込んだ気分をさっと察しちゃ、そうやって笑わせてくれるお前ってなぁ得難い存在だよ」


 執務室で応接卓の長椅子のほうに倒れ込むマックス・ハインツァー。

「クラインの奴、金が無いそうだ」

「ダメですよ。クルツ局長のこと人前で仇名呼びなんかしちゃ」

「冗談じゃない。例の大量逮捕の玉突きで、処刑費用が嵩んで今月の警備局予算が尽きたんだと」

「それじゃ・・七富豪の裁判に向けて調査依頼どばっと出すという口約束は?」

早々さっさと処分しろって圧力の為に吹っ飛んだ。覚えてろよヘンリック・ボエル!」


「そのボエルの話なんですが、中間報告が入ってます」

「早いな」

「素早い奴を見繕えってご指示でしたから。ボエルの末っ子は、もうひと月以上も自宅軟禁中らしいです」


「そんな事ずいぶん早く掴めたな」

「実は、捕まえて閉じ込めたのも『牢番』してるのも、うちのギルメンです」

「軟禁じゃねえじゃねえか。なんでそんな話が俺の耳に入らなかった?」

「お耳に入れておりますが『素行の悪い自分の放蕩息子を連れ戻してくれ』なんて依頼は珍しくないし、依頼者が市政参事の家の使用人って程度では、まるで記憶に残らなくて仕方ないかと。かくいう私も忘れてました」


 冒険者ギルドは個人事業者の集まりだから、情報の共有とかいう観念が希薄だ。擬似血族の誓いを立てる探索者と違うところだ。


「それ、虚偽内容の依頼じゃねぇのか?」

「いいえ、母親は確かにボエルの家の使用人で、ボエル家の離れに住んでます」

「・・あ、そういう話か」

「依頼者はマガレーテ・クサンテナー。息子はデックハルド。ボエルという単語は勤務先として出ただけです」

 ・・まぁ十中八九、縛り首七人組とつるんでた野郎だろう。先にふん捕まっていて命拾いか。


 そこへ報せ。

「北門を張ってたクルトから報告入りました。西国の有力貴族の家来と思しき男がひとり、入市して真っ直ぐに大捕り物のあった例の家へ行き、警邏隊を見て動揺。明らかに一味関係者と思うとのこと」

「そいつの足取りは?」

「城東区の『エイゼン』亭に宿を確保しました。たまたま同じ不審者に目を付けて尾行していた探索者のシトバンという斥候と暫時共闘して監視続行中」

「ウルスラ! バックアップを二、三人送れ」


「なんやら第二幕が開いた感じだな」


                ◇ ◇

 嶺南、ロンバルディ館。

 七人の黒備え騎士が訪れている。

 館の者達、騎士の物々しい武装に少々怖じていたが、筆頭騎士の武骨なる外見に似合わぬ穏やかな物腰に徐々だんだん和らぐ。


れでは如何に些細と思し召そうとも何か異変がござれば、ファルコーネ城まで御一報くだされ。馳せ参ずるゆへ」


 発とうとする騎士に下働きの少年おづおづと話し掛ける。

「あの・・こないだ女医さまが大穴に降りられたとき、吊り籠を引き上げて置いたはずなんだけど、いま籠が崖下にあるんです」

「ふむ少年、有難う。是で何か購うて朋輩と食せよ」と騎士、幅広の銀貨を渡す。


「其処へ参ろう」

 一団、走り去る。


                ◇ ◇

 レーゲン川遡上の旅。二艘の船、曳舟の坂を過ぎて軽快に走り出す。

「あの丘の向こう、直ぐウルカンタの湊です。


 そわそわそわ・・そわ


 耳で聞こえる音でない何かが、さざめく。

 船着場に接岸しても未だ鳴っている。

 税関吏が乗り込んで来て臨検。


「みいんな生活用品だね。課税対象品なし・・っと」

「副署長さまみずからお出まし?」

「ディアさんの顔が見えたからね」


「ふふふ、わたしに手を出して旦那と決闘してみます?」

「うーん、善戦する自信は有るんだけどね。善戦しようが鎧袖一触だろが、負けて死んだら同じでしょ決闘は」

 軽いやつである。

「で、今晩どう?」

「決闘する?」

「つれないなぁ・・。ひとり多くない?」

 ふざけた奴だが見るとこは見ている。


「途中で釣った土左衛門。蘇生したから積んで来た」

「ふーん。まぁ、此処は商品に税金取るだけの関所だから構わないけどね。そいつ売り物でないから」

 そして税金取るだけの為の町である。

 カンタルヴァン伯爵が居城を移転して以来、船便からの徴税に特化している町。強制的に停船させる代わりに市営の宿は安価だ。よろず贅沢さえ望まなければ全て安くあがる宿場町である。贅沢さえ望まなければ。


 そわそわそわ・・そわ


 音がするのは、五人。



続きは明晩UPします。


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