121.堕落一秒前で憂鬱だった
アグリッパ外郭北門。
家紋を提示して、ほぼ無審査で入市した男、不安げに周囲を見回す。
「ゼンダの奴から連絡が絶えた。町へと来てみると、この管理強化。どう考えても無関係ではあるまい」
期間限定の入市許可証を手に、肩を落として歩き出す。
入市審査官の背後で、彼の剣の柄頭に彫金されていた家紋を凝と視ていた人物は教会が派遣して来た書記係のバイト職員だが、さりげなく事務服着用なので位階は分からない。
隣の男に耳打ちする。
「今の紋所、ポルトリアス伯爵家の物です」
「伯爵様の御一族にゃ見えねえなぁ」
「主君の剣を下賜された家士でしょう。・・とは思いますが、身形に似つかわしく無いので」
「んじゃ、ちょっとマークすっか」
席を立つ。
ひと呼吸おいて背後から声。
「どうっすイノさん。もうメン割れてないっぽいでやんしょ?」
「あの紋所を見たときは竦みましたが」
カラトラヴァ侯夫人の実家ポルトリアス伯爵家の家来衆ということは、捕らえたゼンダ・ブルスの同僚である。
「しっかし、あの家士さんも運が無いでやんすねぇ! 網張ってた訳でも無いのに引っかかって」
そう。偶々イノケンティウス助修士が仕事に復帰を希望しただけだったのだが。
「追わなくて宜しいんですか?」
「冒険者ギルドの人が追ったっしょ? 実はもう一人、探索者の斥候も追っていてダブルでやんす。間違い無いっしょ・・」
『道化師』一瞬目が泳ぐ。
「・・途中で二人が喧嘩しなきゃ」
◇ ◇
レーゲン川遡上の旅。チャーター船二艘に分乗した『巡礼者』達五十人が南岳の名刹へと向かう・・とは世を忍ぶ口実。
まぁ左様いう名目で許可証を出した領主もグルだが。
山岳地帯に入って、船の力のみでは早瀬を乗り切れない箇所の点在する地区へと入る。
夥しい曳舟衆が岸で綱を引いている。
進行速度がどんと落ちる。
「なぁ、ツアコンの姉ちゃん。これって、俺たちも降りて歩いたほうが理に叶ってないか?」
「山道歩きたいです?」
「歩きたくねぇ」
「これって、政策的なものも有るみたいですよ」
「政策?」
「身元の証明とれない、一芸もない人が低地州内で定住許可取るのに、ここで何年働いたって経歴証明が使えるんだって」
「経歴証明ねぇ・・」
「我ら、ずいぶん恵まれておる訳だな」
「あなたがた、有るでしょ? ランベール家の旧臣だって身元証明が」
今回の巡礼許可証、そういう意味である。
「ひとり居ねえか、違うの」
「あ」
拾って来た土左衛門がいた。
◇ ◇
アグリッパ、探索者ギルド。
ブルーノ係長の持って来た通信文を見て金庫長ご満悦。
「入れ食いだ」
「ルドルフさんも動きが速いですね」
「刑死者の遺体でも其処ここ好い値段で買うと言われたそうだ」
「おえっ」
文官崩れのブルーノには少々きびしい話だった。
「無理だな。斬首刑なら死ねば免罪だから遺族が葬式出すの許可だし、絞首刑なら吊るしたまんま晒し者だから。どっちも据え物斬りの材料にならん。いずれにせよ死体商うのとかは御勘弁だ」
「生きてりゃ良いって訳でも・・」
「居てほしくない人の所から、欲しがる人の所へ、人を送るのも人材派遣業だ」
「はいはい、斬り捨てる人材ですけどね」
「傭兵騙して使い捨ての死兵にする領主なんてザラだ。騙してないだけマシだろ」
「なんだか嫌な思い出でも有りそうですね」
「あるともさ。皆なが止める無理な突撃をして勝手に死地へと飛び込んだ若殿様が救援に来た傭兵に殿軍を命じて一人で逃げた。率いてた家来も捨ててな」
「戦場あるあるですね」
「俺はそんとき捨てられた家来だ」
「あ・・すいません」
◇ ◇
同市内、ポルトリアス伯の家紋入り片手剣を佩いたにしては冴えない身形の男を追う影。城北へ向かう途中に、どこにでも居るようなお寺の奉仕者さんと尼さんがぱったり出会う場面に出くわす。
よくある風景なのに印象に残ったのは、奉仕者さんが妙に怯えている感じがしたからだ。尼さんが怖いタイプなのだろうか。
追跡任務遂行中なので雑念は頭から振り払い、続行する。
対象は迷わず一路、何処か目的地へ向かっている様子なので追い易い。城東区の市場に入っても買い物ひとつせず、突っ切って行く。
市場外れの猥雑な辺りに分け入ると、先日の捕り物があった周辺に警邏隊連中が居る。対象、驚いている。俺にはわかる。こいつは当たりだ。
と・・思った瞬間、背後に気配。
振り返って短剣の柄に手を掛ける。
「叱ぃぃっ! 同業者だ。怪しいあいつを追って来た」
見た顔ではない。
「探索者ギルドの斥候か。俺は、これだ」
冒険者ギルドの認識票を見せる。小さな金属板に『泥棒(D)クルト』と彫られている。
・・恥ずかしいんだよなぁ、この認識票。
「『泥棒』さんか・・」
「ああ、『泥棒』さんだよ。うちも職名を『斥候』に変えてくんないかな」
伝統らしい。悲しい伝統である。
「動くぜ追跡対象」
◇ ◇
男、悪い予感的中で落胆も切。
警邏隊員に怪しまれぬよう平静を装い、とぼとぼ立ち去る。
「これは、状況を確かめねば不可んし、早く知らせぬでも不可かん。ああ、なんで一人で来てしまった。しかも殿から賜った剣まで持って」
本音は何処かに置いといて盗まれるのが嫌だし『この紋所が目に入らぬか!』も何度かやって爽快だった。だがこれ、敵地だと逆効果である。
この町は中立な筈だったが、今がゼンダの何かやらかした直後だとしたら周りが敵だらけでないと言えようか。
「これは不味い」
最低限の情報収集だけして逃げ帰ろうと決めて、短期滞在用の入市許可証を手に近所の宿屋に行き、INする。
「女将、なんだかお巡りさん多くないか?」
「大捕り物があったばっかりなのさ。ごっそりお縄んなった後だもの」
「そんな大勢の悪党が居たのか!」
「そりゃもう! 貧民街の中に妙に大きな家があって『軍隊かよっ!』ってくらい武器持って大勢たむろしてたんだ」
「それが一斉手入れか」
「悪党ども、女を拐かしちゃ悪い金持ちに売ッ飛ばしてたんだと! しかも凄んで泣き寝入りさせてたんだと!」
「とんでもない奴らだな」
・・こりゃ市民も敵に回してるな。
「買ってた金持ちぼんぼん共が捕まって七人まとめて縛り首。その夜に悪党どもも一網打尽になったよ。今は、ぼんぼん共のばか親も誘っ引かれて取り調べ中だけど放蕩息子どもの後を追う事んなるだろね」
・・ダメだこりゃ。
◇ ◇
レーゲン川遡上の旅。曳舟の坂。
曳舟衆が一艘二十七人も乗せたまま船を曳いて早瀬を上る。
「ああして一年とか二年とか働くと、それが真面目に勤労する男って経歴んなって身分もコネも無い者でも受け入れて貰えるって寸法か」
「そんな具合みたいね」
「んでも、あの掛け声聞いてんと、昨夜の姉ちゃん思い出すなぁ」
「え!」
「確かに無口なご亭主、筋肉質でガッチリしてて、おっきいけどなぁ」
「そ・・そ・・」
「旦那さん、そんなにおっきいのか?」
「そ・・そ・・そ・・」
「姉ちゃん、何度も言ってたし」
「・・そうですか」
「なぁ、次のウルカンタって、高級店しか無いんだってさ」
「割引券あります・・五枚なら」
◇ ◇
アグリッパ街頭、雑踏の中。
「いやですわ『寺男』さま、そんな怖い顔しちゃ!」と尼僧。
「違います。怖がってる顔です」
必死で銀の聖具を翳す。
「貴女は、あの時のスクブスのような黒い妖精でしょう」
「あぁら司祭さまったら、闇のアルプとかシルヴァチカとか、そんなものの実在を信じておいでですの? 懺悔が必要ですわね」
近づいて、司祭の翳す銀の聖具に接吻する。
「ほぉら、効きません」
「私は、あと三呼吸で堕落して仕舞います」
「では、良い方法を教えます。ふた呼吸で息を止めなさい。このように」
黒衣の尼僧、弓手の指三本で司祭の唇を塞ぐ。
一瞬彼の視界が白くなり、次の刹那に尼僧の姿は無かった。
続きは明晩UPします。




