117.水に浮いたら憂鬱だった
アグリッパ、市庁舎。
大広間かとも見紛う回廊で、クライン局長とマックス・ハインツァー親方、さも世間話かのような顔をして密談している。
そもそも密談というもの、どこぞの奥の間でひそひそ為るとは限らぬ。こういう遠くまで見通しのいい場所で近づく人が丸見えな場所も亦た可しである。
「マックス・・なんか気になる事でも有るのか?」
「人権人権と喧しいのぁ都市自由人の参審人だよな?」
「ああ。被告と同じ身分の参審人から裁判員を立てなきゃ成らん。だから被告人が騎士だったら騎士身分持ちの市民を選ぶ。それがどうした?」
「いや、それって訴訟が始まった場合の話だろ? 住民登録の有無を職質するのは警邏隊の職権で、人権関係ないじゃないか」
「そりゃそうだ」
「住民登録がない相手なら、滞在期間を職質して期限切れなら退去してもらうのも職務だよな。強制執行するのも人権関係ないよな?」
「ないな」
「だぁから参審人がうるさく言うってのは、なんか告発があって誘ッ引いた後の話だろ?」
「そうだ。法廷で逆捻喰らうから誘ッ引くなって反対論だ」
「それ、可訝しくないか? 裁判なんかしないで強制退去にできるだろ。滞在期間過ぎてりゃ罰金だし、期限前でも告発によって前途無効に出来んじゃねえの?」
「だから『容疑があるってのに、別件で市外退去なんて微罪で幕引きすんな』って慎重論だ」
「その『慎重論』で不法滞在者百三十人も溜まっちゃったって、これ変だろ?」
「そんな溜まっちゃったのは知らなかった」
「それで教会から叱られたんじゃねぇか」
「・・そうだ」
◇ ◇
ゴブリナブール旅館業組合。
「組合長!」
「なんだ、その慌て振りゃあ」
「それが・・大口予約の差配漏れが! 前に組合で受注した契約、どこの旅館にも割り振った形跡がありません」
「いつの予約だ」
「今夜です!」
「何人だ?」
「五十・と二人・・です」
「なん、(だと)」言葉が続かない組合長。
漸く正気に戻る。
「・・キャンセルとか、入ってんじゃないのか?」
未だ幾分か現実逃避中。
「いいえ。夕方前に着くチャーター船です。定期船じゃないので受注票を別ん所に分類して置いて、そのまま置き忘れたみたいです」
「みたいって・・」
「係の姿が見えません」
「まさか、ミスしたショックで川に飛び込んじゃったり為てないだろうな・・」
「いや従業員も心配ですけど、客の心配が・・。二艘も別注かけてる業者ですよ。不義理したらこの宿場、きっと大変なスキャンダルです。下手すりゃ今後の客足は遊郭も有るシュトライゼンに全部行っちゃいますよ」
「こないだの事件も必死で蓋したばっかりなのに、なんか祟られてねぇか?」
二人とも顔面蒼白。
◇ ◇
嶺南ファルコーネ城。
「急に無理言ってご免なさいね」と副伯夫人。
「エウグモント城から当家のものを呼べば良いかとも思ったんだけど、何かどうも落ち着かないの。あやふやな女の勘と笑ってもいいから、ひとつ力を貸して頂戴」
「俺のような新参者を頼って下さり有難く存ずる」
「初耳だと思うけれど、此の城って可成りの財宝を密かに収蔵してるの。南の隣国グウェルディナの政変で倒れた旧政権の残党が、再起の為の軍資金を山ほど持って旧パルミジエリ伯の許に亡命してて、彼らは嶺南の御家騒動が決着した日に一緒に滅んだの。そのお宝がいま此処に有るってわけ」
「それを、敢えて国境から遠からぬ此の城に安置する意味は・・」
「お察しのとおりよ」
「餌で御座るか」
「そ」
◇ ◇
アグリッパ、市庁舎。
クルツ局長、憮然。
「認めるぜ。うちの管理は情けない。いや、情報管理に弱いんだ。あの司祭さんに延々とお説教喰らって、ひとこと弁解する余地も無かったよ」
「みんな身元確かな市民の若者だもんねえ。基本ひとを信じねぇ奴に向いた仕事ぁ馴染みが悪かろ」
「甘いぼんぼんと嗤ったっていいぜ。取調べなんて不得手もいいとこだ」
「もともとが善男善女の門前町だもんなぁ。阿漕千万な余所者にコロッと騙される土地柄だって」
「馬鹿って言いてぇのか?」
「八割がたぁな」
「残りの二割は?」
「頓馬だ。以前も、売り込まれて乞食をタレコミ屋に使っただろ。あれで此の町がどうなった! 少しゃひとを疑え」
「頓馬が二割か」
「頓馬一割、無駄に善人一割にまけてやろうか」
「ああ。悔しいが本当だ。市民に優しく腕っ節も強いとか、外ヅラだきゃあ良いんだが、今回も尋問は退役傭兵に丸投げした。したら前科たっぷり吐きゃがったから吊るそうと思ったら観光局から待ったが掛かった」
「参詣客の落とすお銭を考えろって?」
「市長は『余さずお縄にせよ』だし、財務ぁ留置の予算通さんちゅうし」
「探索者ギルドに『まけてくれろ』と頼みましょ」
「とほほ」
◇ ◇
ゴブリナブール、寂れた宿屋『ゲンセーンカン』
荒々しいノックに驚く宿屋の少女。
「あら組合長、そんなに慌てて何ですか?」
「大変だ。今夜五十二人泊めてくれ!」
「ギョ!」
「この町の危機だ! 絶対頼む! よその宿にゃあ空きが無い」
「ギョギョ!」
「食事付きで!」
「そそそそ・・」
「じゃ、頼んだから!」
組合長走り去る。
「・・そそそーんなぁぁ」
◇ ◇
嶺南ファルコーネ城。
騎士ディードリックに打明け話をする副伯夫人エステルと城代オッタヴィオ。
「餌・・」
「そうなのです。南のグウェルディナが万年政情不安で鬱陶しいので、一層のこと制っちゃえという声が高まっているのです。彼方の正統の国主を示す印章まで既に嶺南侯の手にあるのですが、急に此方から攻め込むのも憚られると」
「国境侵犯でもさせようとの餌で御座るか」
「侵犯など日常で、決死隊みたいなのが窃と来ては勝手に遭難したり内部抗争で死んでたかと思えば、此の城の地下道にまで入り込んでトラップで潰れてたり・・聊か五月蝿いのです」
「ならば此の城を囲ませようとの餌で御座るか」
「それが昔からガルデリ家あちらで相当恐れられていて、仲々来ないのです」
「寧ろ彼らの気持ち、理解りまする」
◇ ◇
ゴブリナブール、旅館業者ギルド事務所前。
「アッ来た! 組合長! 組合ちょぉぉ」
事務員、両手をばた付かせて呼ばう。
「こちらです! こちら!」
「なんだ? もう船が着いたとか?」
「こちらです!」
「何だ。何があった! ちゃんと話せ!」
事務員、船着場の方へと走って行く。走っては止まり、組合長の方を見ては、再走って行く」
桟橋のまた先の、流れの傍の大石の上、短靴が揃えて置いてある」
「あ・・」
◇ ◇
レーゲン川。遡る二艘の川船。
「姉ちゃん。いやサ、おかみさん」
「なぁに? ちなみに『姉ちゃん』の方が若い感じで好きよ」
「じゃあ姉ちゃん。せっかく夫婦もんで遠路遥々旅してて、昼間は逢えないってナ寂しか無いかい?」
「男と女は、夜に逢えれば十分よ」
「そりゃ結構」
「って・・姉ちゃん那りゃ何だ?」
川上から何か流れて来る。
「流木?」
「いや、ありゃ・・」
歌う。
"土左衛門 土左衛門 ♪ "
"どんぶらこっこ 土左衛門 ♪ "
「なぁにその歌? 流行ってんの? ちょっと船頭さん! 拾って頂戴」
接岸に使う鉤付きの竿を伸ばして引き寄せると、果たして土左衛門であった。
一同手を合わせる。
「汝、罪なき人ならば迷わず天に召されますように。あったら下の方にどうぞ」
「姉ちゃんそれ何処の教会のお祈りだい?」
「てきとう」
「がばごぼごばぁ」
土左衛門水を吐く。
「あら生きてた」
「こ・・こは?」
「目の前に天女のような女がいるけど此の世よ。あなたは生きてます」
「浮かんだから有罪でした・・」
「まぁとにかく、ゴブリナブールまで乗ってきなさい。船賃はまけとくわ」
「ああ逆戻り」
続きは明晩U Pします。




