112.朝寝がしたくて憂鬱だった
アグリッパの町、探索者ギルド。
某役員室。
「三役さまが遅くまでお仕事ですね」
「うちは大所帯の割に事務屋が少ないんだ。仕方ないだろ。お前、酒臭いぞ」
「飲むのも仕事ですもの・・。でも楽だわ。味方との連絡係で安全なうえ御接待の仕事でもないの。ご馳走になって回ってるんだから」
「代わってやるから、この書類仕事頼むよ」
「ダメよ。呂律は回ってるけど、いま字なんか書いたら蚯蚓だもの」
書類仕事と金勘定のできる者はかなり貴重である。政府筋でさえバイト僧侶達に大きく依存している世界だ。
「で、どんな流れだ?」
「あるでしょ? 子供の親権争って親が左右から手を引っ張る話」
「ああ。がっついて子供が痛がっても手を離さない方の親が嫌われる話か」
「今そこ」
「引っ張らない南岳の勝ちか」
「お話と違うのは、そこから。子供は自主独立で成人して、負けた方の親は親権を失なうんじゃなくて勝った方に賠償金ふんだくられる感じね」
「あの『皆殺しの南部人』が随分柔和になったか」
「でもないわ。あのお侍様とかマジ怖いもの。でも、その怖さがクセになりそうで尚一層怖い。むしろ印象変わったのは司祭さまの方でしょうか」
「?」
「大司教ったって封建諸侯でしょ。その内務大臣クラスの人って言ったらクールな官僚かと思ってたわ。でも会ったら真摯な宗教者さまだったんです」
「・・お前のコードネーム、今日から『在家の女』な」
「なにそれ!」
◇ ◇
嶺南ファルコーネ城の宴席。
紫色の手帳を開いて読んだアリシア。
「どひゃー」
・・いっけない! レベッカちゃんみたいな声が出ちゃった。でもまぁ其ういうギャップが可愛いんだよな。
「なんだ? 俺にも見せろ」
マリウス、見る。
「どひゃー」
「ね? 出ちゃうでしょ声」
「ああ、出るな。此処で見るのは不味い」
「どっか別室に行きましょう」
「待て! お前と二人で行ったら不倫っぽい。男色不倫っぽいから更に危い」
「ちょっとそれ失礼じゃ有りません?」
「そこ客観的に考えろ。知らん人が見て、お前は美少女か? それとも女装してる美少年か?」
「こ・・後者だな」
どっちも『美』の字がつくので満足するアリシア。
「告白するよ。レッドがそっち好きそうなんで男装続けてました」
「いいさ。価値観は人それぞれだからな。それより四人で行こう」
◇ ◇
アグリッパ。
寺男の服装のまま大聖堂近くまで戻って来たホラティウス司祭、ベンチに掛けて月を見上げる。
「綺麗ですね」
久方ぶりに余裕が出た。そんな気分に暫し耽る。
喉元過ぎた解放感というか、だいぶ口が軽くなってしまったことを反省する。
「まぁ・・政治がらみの事は喋らないだけの理性は保てましたけれどね。ちょっと危なかった時もあったでしょうか」
・・保てたのは『こっちの私闘だから、知らん顔してろ』と諌められたからだ。言葉遣いは違ったかもしれないが、大意は概ねこんな感じだった。
正直、アタナシオを抱き込もうとした工作には相当腹が立っているし、最後まで乗らなかった彼の矜持は評価しているから身柄の保護も例の筋に頼んだ。金だけを取って何もしなかったのを矜持と呼んでいいかは議論の余地も有るが、少なくとも彼は領邦は売らなかった。
「売らなかった・・ですよね。お金だけ取って。あ! いけない!」
いま自分が浮かべた薄ら笑いを急いで否定する。
『この場に居ない者の生き方を謗る言葉を口にする者とは食卓を囲みません』
という聖人の言葉を思い出したのだった。この程度で懺悔はしないけれども。
◇ ◇
嶺南ファルコーネ城の小部屋。
「アリシアちゃん、ここ勝手に入っちゃっていいの?」
「部屋、余ってんじゃん」
「まぁアレだ・・掃除に来るメイドさんも、だぁれも使った形跡のない部屋を毎日掃除するのは虚しいんじゃないのか?」
「マリオさんって前向き楽観主義者なんですね」
「そのほうが人生楽しいだろ? ・・ってか、あんたの方が年上なんだから敬語はやめてくれよ」
「これこれ、これ見て!」
大きな寝台に四人、四方から寝そべってアリシアの手元に注目する。
「ひ・・筆者さん絵がお上手ね」
「アンヌマリーさん、言うとこ、そこ?」
「よ・・読めない単語いっぱい書いてあるんだもの」
「難しい専門用語だな」
「法律用語が結構あるぞ。医学用語は俺にもわからんが」
「・・あ、誰の本か判っちゃった。背中側から犬モードはパンと水だけで四十日間暮らす贖罪。ここからは俗語で『懺悔で告っちゃわなきゃセーフ』だって」
「アリシア、お前って神聖語も読めるのか!」
「実家に図書室あったもん」
「お前、それって男爵家でも珍しいぞ」
「ご先祖さまが帝国総督府の書記官だったんだって」
「絵がリアルだわね」
「唇の中へ・・」
「女の口に注ぐと三年贖罪・・って長っ! わんこ四十日なのに」
「下に俗語で『出さなきゃオッケー! がんばれ男の子』だって」
こっちはアンヌマリーも読める。
「これはどうも教会の指導要領の抜け穴を解説した本のようだぞ。あの変わり者の坊さんが『戒めを守りつつ此の世界が如何に豊かであるか、分かる』って言ってた理由は、そう言うことか」
「これ、売れるわっ!」
残念だがアリシア、この世界には印刷技術がまだ無い。
◇ ◇
アグリッパの町、未明。
大聖堂付近の緑地。
「おい! お前! もう集合時間じゃないのか」
「わへっ。あ・・つい座ったら眠気が来ちゃって・・」
「まったく・・そんなとこで寝込んだら風邪ひくぞ」
声をかけた寺男も急いでいたらしい。小走りで先に行ってしまう。
「こりゃ不好せんっ。朝のお勤め前にきちんと身支度しないとっ」
掃除夫の仕事着姿のホラティウス司祭、あわてて隠し通路に駆け込む。
「あぶないあぶない。まだ暗くて良かった」
このように服装で位階から何から全部わかるのが普通の寺で、皆が同じ服を着る修道院の方が特殊なのだ。
彼、あちこち出張するかと思えばお籠りの行に入ったりなので・・と言うことに為っているので不在でも不審に思われることは無いが、お堂脇のベンチで寝ている姿とか顔見知りに見られたら、流石にまぁ宜しくない。
平素から機密書類などを置く鍵の掛かる書庫で執務して居たりするもので、集団生活に徹している者には無い隙というか、脇の甘い所があるのかも知れない。
誰も見ていないと思って欠伸などもする。
僧院の朝は早い。
◇ ◇
同市内、探索者ギルド。
某役員室。
某というか金庫長、徹夜で書類仕事を粗方片付け、流石にそろそろ仮眠くらいは取りたくなる。
コードネーム『在家の女』、半裸でガーターの紐を締めている。肉親なので特に問題ない。問題あったら大問題だが。
「そろそろ市当局の方から面倒事の相談が有りそうな気がするから、なんか気配を感じたら教えてくれ」
「どの種の面倒?」
「廃棄物問題だ」
「もしかして、ルディが臍曲げそうな案件ですか?」
「当たりだ」
「うえっ」
「相談なきゃ無いに越した事はないから、こっちから水を向けるなよ」
「向けるもんですか」
『在家の女』、朝市に買い物に行く。
入れ替わりにクラリーチェがノックも無しに入って来る。
「いい朝にゃん」
「お前、喋りが変だぞ」
「ちょっと気分がいいのでお芝居してみました。それより儲け話」
「もしかして入市規制強化を食い物にするアイデアか?」
「食い物なんて人聞き悪いです。ご飯の種ですわ」
「それ、どう違うんだ」
◇ ◇
ファルコーネ城、朝食。
「今朝は、ふた組いないわ。どうしたのかしら」
ヴェルチェリ副伯夫人、自分の落とした紫色鞣革表紙の手帳との因果関係に未だ気付いていない。
続きは明日UPします。




