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111.拾われていて憂鬱だった

 嶺南ファルコーネ城、宴席の広間。

 ヴェルチェリ副伯夫人ヴィスコンテッサが不安げ。

「どこで落としたのかしら・・」

 た、そわそわと何か探しに行く。


 ヴィレルミ師、絶好調である。

「さて聖典に『嫁と姦淫してはならぬ』とあるのだと言って、結婚はしたが子供は作らなかった男。彼は正しい信仰の人でごじゃりましょうや?」

「はーい先生。妊娠中のえっちは姦淫でーす」

「不正解。いま拙僧『子供は作らなかった男』と申したでごじゃりましょうに」

「父親が違う男なんです」

「アリシア、お前もう一寸ちょっと考えて喋れよな」


「わかった! 実の父親が神様だったんだ」

「よせ。普通に考えろ」

「不正解。本当の聖典には『嫁と姦淫してはならぬ』の次に『おまい、息子の妻に何すんじゃ』と書かれているのでごじゃりまする」

「意訳でござる」とギルベール師が補足。

「つまり、此処の『姦淫してはならぬ』嫁とは『嫁と舅』の『嫁』ぬるすなので、ただの誤訳。つまり彼は正しい信仰の人などではなく、単なる誤解と思い込みの人なのでごじゃります」


「にゃははは」

「ご覧下され。猫が笑っておりまする。偉大なる先哲の『笑うのはヒトだけ』説が誤りだという証明でごじゃりまする。なにごとも立証が肝要」

「坊さん達あんまり笑わないにゃあ」

「拙僧ら、小坊主時代に『笑わん教育』を受け申したゆえ」


「なんだい、そりゃ」

「ただ子供に向かって『はしゃぐな! 静かにしろ!』と叱れば良いのに、『主は笑わなかった』とか『笑いは他人を貶める卑しい行為だ』とか教義を外れた理屈を無理に付けた問題アリな教育なのでごじゃりまする」

「私ら、子供の頃はそういう師匠たちが多かったんですよ」とカルヴァリ師。


「確かに経典には、主を貶めようとする者たちの『嘲笑』という敵対行為が数多く描かれています。人々は得てして議論で勝てない時に『嘲笑』という矮小な抵抗を為ます。けれども、嬰児みどりごの笑みに左様そういう倒錯した思いが込められていますか? サラがイサクを産んだとき、神様は彼女を嘲笑させましたか? それは違います。笑いの原初の形は幸福の表現では有りませんか」


「経典にも有るのでごじゃりまする。『泣いている者は幸いである。いつか笑える日が来るから』と」

「ちょっと語句が違う気が致すが」


「猫は笑って消えて行くにゃん」と、席を立つ。


                ◇ ◇

 アグリッパ、路上。

『寺男』と『在家の女』が夜道を歩いている。

「『寺男』さま今夜はいつになく闊達で、若しや姦淫のお相手など求められるかと身構えて仕舞いました」

「流石にそこまでは酔っては居りません。貞潔の誓いを立ててますんでね。けれど何故に聖職者は貞潔の誓いを立てるのでしょう? 神はひとに『生めよ殖えよ』と祝福なさっているのに」


「そう言えば不思議ですね」

「祝福には終わりがあると、心の中で怖れているのかも知れませんね」

「終わり?」

「大地の過半は荒れ野です。だから、ひとが働くほどに太陽と大地の恵みは順々と増えるのです。でも若し全世界の土地を使い尽くす日が来たら、まだ祝福は続くのでしょうか」


「それは青い天が落ちて来るような心配では?」

「かも知れませんね。では聖職者は何を畏れているのでしょう? すべての女性が男性よりサタンの誘惑を受けやすいとでも思っているのでしょうか」

「違うのですか?」

「男は土塊から創造されましたが、女は既に魂の宿っている一層高次元のものから出来ています。違いますか?」

「そうとも思えますね」


「易々と誘惑に乗って姦淫の罪を犯すのは男の方が多くないですか? アタナシオ元司祭の息子は世俗の法で裁かれて死罪になるまで堕落しました。そうなった相当因果関係は、サタンの如き誘惑をした何者かー乗った本人ー共に堕ちた悪友たちー善導できなかった母親ー道標たりえなかった父親ーその出家を許した教会・・の順だと思うんですが、身うち贔屓ですかね?」

「まぁ概ね賛同します」

 どこに賛同するのか曖昧に答える『在家の女』。


「男は女に触れない方が良いのだと言います。それでも淫行を自制出来ないよりは決まった相手を持つ方が良いのだ、ともね」

「なんだか嫌々みたいですが・・」

「いや、良いことと思いますよ。ひとが不信心に陥っても連れ合いの信心によって浄化されるのですから。我々『ひとり身の誓い』を立てた者はみな、独力で信仰を維持しなくてはなりません」

「ご苦労が偲ばれます」

「誓った以上は守ります。誓いは契約ではないのだから破棄できません。けれども理由が分からないと切ないですね」


 それほど酔っていないと言う『掃除夫の格好をした寺男』やはり口数が多い。


                ◇ ◇

 嶺南ファルコーネ城。

「マーリオくんっ!」

 ぎくっと驚く二等文官。

「なんだ、お前といい坊さんといい、一端いっぱしの侍のこの俺の背後を易々やすやす取りやがる」

「油断油断の無駄肉相手、でれでれ鈍ってんじゃないの?」


そう言われると耳が痛い。自慢じゃないが此の俺は何事も夢中になると一心不乱。時にゃ大事を成し遂げるが他が疎かになる嫌いが有る。此処は謙虚に反省しよう」

「うむ許す」

 また偉そうなアリシアである。

「それよりお前、男なのか女なのか? 昨日は小僧の割に覇気が有る奴と思ったが今日は女装でさまになる。なのに俺様の女感知にゃ掛からない」

「なんだそれ」

「俺には五感の天恵ギフトが有って陰気陽気が良く分かる。これが乱戦で割と役に立つ」

「よくわかんないけど強い男とい女にピンと来るってこと?」

「まぁ平たく言うとんなとこだ」


「じゃ、エリツェの町のあの坂で、アンヌマリーにピンと来たわけ?」

いやびんびん来た。それで思わず手を取ったのだ」

「痴漢は不可いかんよ」

「遺憾なり」

「反省してる?」

「してるしてる。だがう、十分非道い目に遭ったろ。昼飯に有り付こうと思った矢先、セト爺に縛られ拉致られて、あのザマだ」

「セト爺?」

「伯爵家の執事だ。もと凄腕の暗殺者だ。会っただろ?」


「なんか嶺南って物騒なひと多いね」

「・・ってよく言う。お前も結構なもんだろ? 四、五年経ったらあの女みたいに成るんじゃないのか?」

「あの女?」

「黒髪のお小姓ふたり居るだろ。あいつらの姉ちゃんだ・・けれど、お前ほんとに女の方だよな?」

「失敬な。こんない女つかまえて。しかも手弱女」

「そうか? お前の素捷すばしっこい足運び、素人に思えなかったけどな」

「なんなら、胸でも触る?」

「駄目だな。アンヌマリーの後じゃ感覚が鈍ってる」


「ときに、さっき何か隠してなかった?」

「内緒だ」

「いーじゃん、ちょっと見せろよ」

「ばか。股袋なんかに収納しまうか。角が当たったら痛い。あっこら」

 紫色に染めた鞣革なめしがわ表紙の小冊子を取り出す。

「角なんて無いじゃん。うそつき」

「よく見ろ。真鍮の留め金が有る」


「鍵付きかぁ・・って、見るとしおりみたいに鍵が挟んであるわ。不用心だね」

 アリシア開いて中を見る。


「わっ!」


                ◇ ◇

 アグリッパ外郭、艮櫓。

『在家の女』が現れる。


「こんな夜更けにお役目ご苦労でやんす」

「イヤ一寸ちょっと一杯やって、酔い覚ましに夜風に当たりに来ました。城壁の上はいい風ですね」

 女、文字通り涼しい顔。

「何か吐きました?」

「月並みですよ。予想通りの事ばっかし。お嬢のただの玩具おもちゃでやんす」

「今夜もい月です」

 見上げると、男の影絵が二つ、瑠璃色の酒盃を傾けている。


「喋った事は読みの通りで詰まらぬが、捕らえた間者の雁首も数揃えれば使い途も御座ろう其れ也に」

「雁首って・・切っちゃいますの?」

「運び具合と日持ち次第で決める事と致す」


「日持ち・・ねぇ・・」








続きは明晩UPします。

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