107.嫁入りしても憂鬱だった
嶺南ファルコーネ城の広間。
食事どきでも無いので居合わせたのは女三人と男がふたり。
「許可する」
「アリシア、お前・・偉そうだな」
「それはそうとアンヌマリー、早い方がいいと思うわよ」
「よくないわよ」
「じゃなくって、早く結婚すべきです。エステル様も薄々察しておられる様だから上手く取り計らって下さるようお願いしましょう」
「そんなに急ぐのか?」
「マリオさん! 自覚が無いのですか。あなたならアンヌマリーが今朝懐妊、来週出産でも誰も驚きませんよ」
「さ・・流石の俺でもそんな事は・・」
ラリサ嬢の剣幕に押されれるマリウス。
・・確かに此処数日、この世の物とも思われぬ生き物も見たし、顔貌そっくりな美女が何人もいるなんて荒唐無稽に思える話も既に信じて了っている。だが是れは急かす話術の部類だろう。
「ラリサもアリシアちゃんも、ずるいわよ。先にあんな話を聞かされて、あたしも弾みが付いちゃった、というか・・」
「あーら、わたし丁と自重したって話した筈ですわよ」
「むしろアリシアちゃんだわ。その若さで・・あんな高度な・・」
「旅の途中で娼館の見習いの子と仲良くなって、えろてくの話を仕入れたんだよ」
・・思春期娘の行動力恐るべし。
レッド、マリウスと顔を見合わせて互いに『ああ、そういう順に伝播したのか。納得した』と目で会話する。
アリシアから伝え聞いたアンヌマリー、早速マリウス氏に試したのだ。
「俺も、あれで歯止めが利かなくなったんだ。突っ走って仕舞った」
・・それで昼下がりまで、か。
「アンヌマリーの名誉のために敢えて言う。教会育ちの兄の受け売りだが、ひとは神の祝福に基づき産んで殖えて地に満ちる。だから、出産に結び付かない男と女の行為こそ人の道に悖るのだ。諸君! 節制して途中で止めるのが理性的と思うかも知れないが・・」
「理性的じゃん結婚前だし」
「少女よ! 贖罪規定書によれば口に出したら懺悔が必要だ」
「いやぁマリオさん流石は参審人だ。法廷弁論とか、さぞ巧みなんだろう。けれど今は、口に出して言うのは止めませんか」
「ああ、すまない。ちょっと調子に乗った」
マリオ、レッドの肩を叩いて囁く。
「あれ、最高だよな」
◇ ◇
アグリッパ、艮櫓。『鷲木菟』氏、顔色が悪い。
「怖ろしいな」
「あれ、最初はみんな『一層殺してくれ』って懇願するんでやんす」
「最後は?」
「みんな『もっと』って強乞みやんすね。どっか壊れちまうんでしょ」
「はぁ」
「可懼しくない時もありゃすよ。私が不気味な拷問係の役で、お嬢が牢番の娘役で囚人に優しくする小芝居とか・・」
「それはそれで観てみたいな」
「あとで楽屋で大笑い」
『鷲木菟』氏、ちょっと気分快くなる。
◇ ◇
同市、参詣客向けの旅館。わりとゴージャス。
巡礼の一行という触れ込みの団体様が泊まっている。
「蒸し風呂も有るんだと」
「夕飯食ったら浴びに行ってみべぇ」
「なぁ、うますぎる話と違うか?」
「ま、相当ひどい荒れ地の開墾だって、ランベールの殿様の御家が残るんなら俺は頑張るけどな」
「いや、なんかそれが・・お取り潰しになった貴族の領地をそっくり頂けるってぇ話みたいだぞ。農奴もそのまま付いてるって」
「やっぱり上手すぎだろ」
「いや、上手いってぇか・・反乱だかに加担してのお取り潰しだから、前領主派の下民を上手く抑えろって話っぽい」
「それって俺らが今されてる事、やりに行くんじゃねっか」
「やっぱり美味すぎだろ」
「それで、一泊して出発か」
「巡礼の格好してっから此処の大聖堂素通りしても行けねえだろ。明日は、お寺にお参りしてから出発だ」
◇ ◇
艮櫓。
「ふう、ふう・・これは運動になる」
「こりゃ司祭さま御足労」
「せっかく変装してるんですから、そう呼ばないで下さい・・って、あなた南部の密偵だったんですか」
「さいでやんす。こちらが・・」
「クラウスとお呼び下され」
「ホラティウスと申します。・・あ、名乗っちゃった」
「全て心得てをり申す。我等もあなた様も此処には存在してをらぬ。夕日の日照る一刻のゆめ幻と思し召せ」
・・うわっ、知性ある魔獣って・・ギルドの密使さん上手いこと仰りましたね。
なんだか幻想的な気分になってまいりましたよ。
「ここは外郭外れに一際高い櫓の上。遙か見渡す茜雲。ふと人界から異世界にでも迷い込んだ気分になりますね」
ひとの声とも思えぬ呻きを漏らして踠打つ人に跨って何やらスクブスの如き黒い妖精みたいなのも居るし、此処は本当にアグリッパの町なんでしょうか・・
「カラトラヴァ侯爵の手の者らは残らず攫って去に申す。是れは身共らの私闘ゆへ大司教座は知らぬこと。既定のとほり中立の道を貫かれよ」
・・知らない大司教座って、うちの事でございますよね? 南岳のはご存知・・って、こういうこと言わないのが『大事にならぬよう敢えて触る』やり方という事なのですね。
「了解でございます」
「先日、騎士レッドバート・ド・ブリース殿と識りあい申した。義理堅く一本強い芯の通った御仁でした。一目置きましたぞ」
「おお、彼とお逢いに成られましたか」
・・接触は成功でしたか。
「さて、そろそろ戻って夕べの祈りの支度に掛かる時刻。有意義なひとときを過ごさせて頂きました」
「あなた様にも安寧の有りまするよう」
「皆様方にも。では、これにて」
・・後の二人も怪鳥の魔物や小鬼に見えちゃったりする人間の認識って、感情のしもべなんですね。
辞去するホラティウス司祭。
◇ ◇
こそっと櫓から出る寺男のような人物に、在家信徒っぽい女が近づく。
「待ってたんですか」
「ええ、本当はちょっぴり心配で。・・食べられてないか・・」
「・・ひとり、食べられてました。別の魔物にですけど
「ですよね? あのかたは食べないです」
「以前に市の内務局が大きな失敗をしたことをご存知ですね?」
「はい。犯罪捜査官が乞食を私的に情報提供者として使うことが常態化し、乞食の裏ギルドを事実上公認して終いました。このことが浮浪者の中に特権階級を作って了った失態です」
「手厳しいな」
「市民の感情ですよ」
「今度の事件は、そういう自然発生的な物ではなくて、意図的に二番煎じを狙った工作でした。富裕階級をパトロンに抱え込んで、暴力組織の裏ギルドを既成事実化しようとした陰謀です。図らずもアタナシオさんの涜職で露見しました。彼、隠密表彰して上げたいくらいですよ」
「また、そんなことを仰有る」
「本気ですよ。彼の別れた奥さん、わたしの実家で雇いました。これで生活に困ることも無い」
「いいんですか? そんな事なさって」
「はい? わたしは俗世の実兄に気の毒な身の上の女性の話をしただけですが? それにアタナシオさんも立派なところは有るんです」
「有るんですか?」
この女性、結構辛口。
「彼って、賄賂だけ受け取って実際は何もしませんでした。賄賂を受け取った上に悪事を働いた人より善良でしょう?」
「それって詐欺と違います?」
◇ ◇
嶺南ファルコーネ城の広間。
「うぅーんっ。ばかマリオ! 子供の頃はいたいけな美少女のお尻を触るセクハラ三昧。大人になったら今度は今度で天下の美女にお尻を拭かせる迷惑行為。
・・ったぁく、もう」
副伯夫人、もう口調が町娘時代に戻り捲っている。
「仕方がないわねぇ。アンヌマリーちゃんの為にひと肌ぬぐわ。せっかくお坊様も居るし、目の前には礼拝堂もある。直ぐに祝別して貰って挙式しちゃおう。初夜は日付を一日誤魔化す」
一同、急展開に唖然。
「あー、こほんっ。立会人に騎士を七人集めますわ」
口調、貴族に戻る。
「騎士レッドバート・ド・ブリース」
「諾」
「騎士ブリンモール・オ・スタヴァンガフリント」
「諾」
「ブリンさん、そんなフルネームだっけ」
「騎士アシーレス・フォン・バッテンベルク」
「諾」
「足んないわね、御城代いらっしゃる? 騎士オッタヴィオ・ダ・ソロティニ」
「うぉい」と、遠くから声。
「ギルドの方に確かゼードルフ老が来てたわ。コンラッド・フォン・ゼードルフ前男爵」
「見てきますぅ」とドミニク。
「あと二人・・そうだ! ヨーリック元騎士長が馬小屋にいるわ。マリオ、あなた決闘勝利者権限で彼の身分剥奪を無効宣言しなさい」
「誰だそりゃ?」
「あなたが十五歳の時に決闘して破ったあと放置プレイしたせいで人生ぶっ壊したおじいさん騎士よ。責任取りなさい」
「なんじゃエステル嬢ちゃん。面白そうなこと始めるのか?」
「嬢ちゃんじゃなくって人妻よコンラッド。結婚式するから、若いばかを祝福してあげて」
「わしに御用でございますか副伯夫人」
「あなたを騎士に戻します」
「えーっ!」
「そこに居るバカ、見覚え無い? 細面で華奢だった少年従騎士の面影ないけど」
「あーっ!」
「とにかく、今すぐ騎士が七人欲しいのよ。あとひとり・・」
「こいつは何如です? ハインツ・フォン・クンツェルドルフ。儂がむかし騎士身分剥奪宣言したんですが、実は決闘の勝者は『そこまでやんなくても』って言ってました」
「えー! じゃ、俺の転落人生は・・」
すごくいい加減な婚礼が始まった。




