105.証明書発行も憂鬱だった
嶺南ファルコーネ城、朝食後の広間。
・・ヴェルチェリの副伯夫人、お隣りの領主の奥方様である。
何だか此処の奥方様みたいな態度なんだが、宜しいんだろうか?
「このお城、やたらと大きいでしょ? つい先日は、婚礼でこそ有りませんけれどロンバルディ勲爵士夫妻とゼードルフ元男爵夫妻の合同披露宴を開きましたのよ。いや正直、伯爵様のお城が普請中な今、州内最大の式典会場なのですわ」
レッド、声を潜めて・・
「お前、エステル様になにか話したか?」
「ううん? 朝に会ったのはラリサさんとアンヌマリーさん。そこへマリオくんが来たんで、ラリサさんと二人でこの部屋へ」
「そのあと俺らが来たんだったよな」
「だから、お姉さんに会ったのはその後だよ」
「それじゃ・・席の配置がこうなってるのは・・?」
・・昨夜のアシール卿とラリサ嬢に続いて、今朝は俺とアリシアも露骨なまでにカップル席になっている。
「あ、そうだ。ドミニクちゃんとも廊下で会ったっけ」
「あの子、厨房くらいの年齢だよな。ちょっと得体の知れないとこ有るけど」
◇ ◇
『厨房』とは冒険者の使う隠語だ。
ギルドに加入できるのは法定就労年齢の十二歳から。
そこから最低三年はギルマスの内弟子みたいな育成期間と決まっている。
そういう見習い時代は暇があればギルドの食堂で給仕のバイトをして居る事から付いた見習い冒険者の俗称が『厨房』である。
決して何処か異世界の学制とは関係ない。
ちなみに冒険者ギルドのギルマスは俗称を『飲み屋の親父』と云い、受付嬢らの淵源はその女将である。系譜的に冒険野郎どもを顎で使う姐御の後身であり、是れ男尊女卑世界の例外である。
この世界がいかに男尊女卑かというと、実はそれは一概に言えない。
現に女侯爵さまだって居るのだ。
誤って死なせた場合の賠償金相場が男の半額というのも事実だが、地域によって出産可能年齢の女は男より高額とする慣習法もある。
法廷で女が原告になれないのも、元々裁判制度として判決に不服な被告が決闘を申し込めるから、女性を保護するために親権者を原告にせねばならないのだ、との意見もある。
もちろん往古の聖帝が裁判長を務める法廷で、判決を不服とした或る女が抗議のストリップをしたため、爾後の法廷で女性の発言が禁止されたのだ、と云う俗説も有るが。
要するに、戒めは本来の趣旨を忘れると因習になるのだ。
豚肉を食べない異教徒を陋習蛮族と卑しむのも、それが食品衛生の為だと知らぬ無知な行為だとレッドバート・ド・ブリースは惟う。
幼時を教会で育ち、長じては騎士団で腕を磨いた彼は、知識階級でこそはないが斯れをちょっとはみ出したくらいのポジションに居る身だ。アグリッパ大司教座の依頼で声が掛かったのも、そういう冒険者として珍しい出自ゆえであったろう。
しかし斯うして南部に来てみると、流石は旧帝国の版図。教養人が多い。碩学の修道僧はもとより吟遊詩人の猛将やら医術者の貴族女性やら、今朝は高等文官まで来たらしい。 ・・痴漢だが。
◇ ◇
「ねぇレッド、僕と結婚するの・・いや?」
「いやいやいや全然いやじゃない。最初逢ったとき以来このかた男装しか見た事が無いから気分的にギャップ有るだけだ」
「そう言やぁ素っ裸見せたのも昨夜が初めてだっけね」
・・そういう言い方がギャップなんだが。
副伯夫人、瑠璃盃の端を金のナイフで軽く叩く。
「ドミニクちゃん、アリシアちゃんにドレス用意してね」
・・わっ! 小声で囁いてたのに。
この人もなんかの能力持ちじゃないだろな。
◇ ◇
アグリッパの町、朝市。
もう朝市としては遅い時刻で、客は昼の食材を買い足しに来た主婦が多い。
「なんか煩いことになりそうって噂だねえ」
入市管理強化の噂、もう乱れ飛んでいる。
「あたしらは良いけどさ、どうでも」
話す売り子のおばさんは鑑札を付けてないから、多分市民が郊外に所有している農場の使用人。鑑札を付けているのは近郊農家の小母ちゃんだ。孰方も入市管理が強化されても大丈夫な人たち。
「市民な皆さんも、なんか証票が貰えるだろうから、ちいっと面倒が増えるくらいだろうけど、商人さん困るだろうねえ」
「困るよ」と客。商家の主婦らしい。
近在の住人は身分の証明も難しく無いだろうが、遠距離交易の従事者には深刻な打撃である。下手をすると大手業者しか生き残れない。
それはそれで市内の豪商が支持するかも知れない政策だ。
市内の中小商家を蹴落とす良い材料だから。
「なんか、不法滞留者が百人から武器持って隠れてたんですってね。怖いわ」
在家信徒っぽい清楚な身なりの女、震えて見せる。
「食い詰め貧民や逃亡農奴どもは見た目でわかるだろうがなぁ。流れ者の犯罪者は見た目紳士っぽかったりする奴もいるもんなぁ。見た目じゃなぁ」
「鑑札みたいに首から下げる市民権者証が発行されるとしたら、今度はそれを狙う強盗が出たりして。怖いわ」
「野菜売りの鑑札なんて誰も盗まんだろけどな」と、いかにも農民親父な売り子。
市場の片隅、噂話で盛り上がる。
◇ ◇
同市、西門。
門衛が目を剥いている。
「何人居るんだ?」
「きっちり五十名でございますぅる。名簿がこちら。領主さま発行の巡礼許可証がこちら」
「それで尼さん、宿泊先は決まってんの?」
「大司教座にお願いしてをりますので、司祭さまのご指示を承りますぅる」
「そ・・それじゃお通り下さい」
巡礼の一行ぞろぞろ通る。
「教会にお邪魔するのですか?」と長杖を突いた男。
「此処から暫く船旅なので、今夜は悠然り寛げる宿を押さえて有りますわ」
「ほっ」
教会の慈善宿泊所のうち多くは、かなりの清貧に絶えられる人向きである。
一同、市内の宿に向かおうとすると・・
「あら金庫長、偶々こちらに?」
「まさか。クラリスちゃんを待ってたんだよ、首を長くして」
「何か有りましたの?」
「馬鹿が大騒ぎして、こちとら大忙しだ。それと・・クラウス卿と『鷲木菟』氏が艮櫓でお待ちだ。馬鹿の親玉を捕らえてる」
「あら大収穫」
「随分と大所帯だな」
「これは下見の第一陣。数百人規模で南に移民を送るから、お世話になりますわ」
「ところで、入市管理が以前より厳しくなってますけど、その『馬鹿が大騒ぎ』と関係あり?」
「あんたん家の敵がなさけない兵力つくって市内に潜伏させてて自滅した。豪商の私兵みたいなもんに仕立てて圧力団体作ろうとしたみたいだが、市当局さんの方が予想以上に強行姿勢に出て、潰したよ」
「うちは棚ぼた?」
「美味しいぞ」
「なぁ・・」
「何?」
「子分のうち、一人でいいから・・くんない?」
「駄目」
「つれないなぁ」
「そのかわり、時々は来てあげる」
「ほんとか!」
「それより、今後の入市管理強化で金になりそうな商売思いついたんだけど、一口乗らない?」
「乗る乗る!」
◇ ◇
嶺南ファルコーネ城。
アリシアが女の格好をしている。
「お前・・綺麗だったんだな・・」
「もう抱いた女に言う台詞?」
「短く切った髪は伸ばせないので結ったように見えるエクステを付けてみました」
「ドミニクちゃん、着付けも美容も堪能なんだね」
「特訓受けましたので」
「ほぉら美人さんだ」と副伯夫人も御満悦。
「婚姻の書類に処女の証明書を添付するから、後で診せてね」
「挙式の直前じゃなくて、いいの?」
「待てなそうなら物理的に封印した方がいいかしら」
「遠慮しますっ」
「じゃ、レッドさんの方に封印します?」
「エステル様、許して下さい」
「・・証明書を添付・・ですか」
聞いていたラリサ嬢、慌てる。
「ラリサちゃん、大丈夫じゃありません?」
「私は一応大丈夫ですが、アンヌマリーは・・」
「あ」




