103.通う千鳥も憂鬱だった
朝、嶺南ファルコーネ城の一室。
騎士レッドバート・ド・ブリース自己嫌悪に苛まれている。
すでにアリシアの姿は無かった。
「よう、兄さん」
ブリン、遠慮なく入って来て傍に掛ける。
「副伯夫人が仕官しないかって言うからさ、もう兄さんの家臣だって答えちゃったけど、いいよな?」
「だめだよ。ブリンさんほんとは騎士だろ? 騎士が騎士に使えたら盾序列下がっちゃうじゃないか」
国王頂点に封建序列が七階層。諸侯が三位、自由領主が四位、騎士が五位という序列である。騎士が騎士の家臣になると六位の陪臣に落ち、一度たりとも落ちると子々孫々戻らない。だから止めた方がいい。
「夫人お察しで、兄さんが爵位回復するまであんたの客分でことで了承だってさ。あそこん家ってば此処いらの騎士の身分確定訴訟を担当する判事様だぞ。胸先三寸だわ」
・・回復もなにも、旧領は親父や兄貴らが負け戦で死んだとき押領されちゃって返還訴訟もしてないから夙に時効成立だ。新たに『棚ぼた』で領地が転がり込んで来ない限り宿なし騎士である。
「んだから、あの子もその積もりで兄さんとこに夜這いに来たんだろ」
・・って、やった痕跡丸出しだった。
「そこいらの領地、分けて貰えるのは決定事項だって言ってたぜ」
「たはは、『そこいら』って其りゃ鷹揚な。俺ら猫の額みたいな所領の地境争いで生きるの死ぬのしてんのに」
「御家騒動が終わって反対派がごっそり『整理』されたばっかりだからな。余って困ってんだってさ」
「あ、そう言やぁ夫人も副伯陞爵で領地が二倍とか仰ってたな」
「少年AとBって居たろ。あの姉Cってのが居て、ランベール領に遺民引き取りに行かせてるんだとさ」
・・実り豊かな田園も、手入れする農民がいないと数年で荒野に戻る。
遺臣引連れてやって来る男爵令嬢なんて美味しい限りなのかも知れない。あいつ地元の男とか押し付けられる前に気心の知れた手近なのを選んだのかな。
「兄さん、惚れられてる自覚薄すぎ」
「俺が?」
◇ ◇
アグリッパ下町、『川端』亭。
厨房。
女将マルティナが仕込みをしている。
「今夜あたりから店を再開するのですか?」
「ええ、いつまでも閉めてらんないしね・・。でも、最初の今晩は貸切りみたいにして、世話んなった皆さん来て貰おうかって」
「それは良いことだ。もう厄介なお礼参りの類いも来るまい」
「ヨハンさん、あんたも参加してくれるだろ?」
「すみません。ずっと護衛に付いていたので、今夜は帰って休みます」
「・・そ、そうかい?」
「ギルドに行ったら、また会えるんだろ?」
「実は、客分なので、そう長くは・・」
「そりゃ、娘も寂しがるね」
「そっから先は?」
「旅から旅です。俺たち町には住めないもので」
「そうかい」
「じゃ、俺はギルドに戻ります」
「もうかい・・」
物陰から見ていたリュクレス・レーカ、戸口まで出て後ろ姿を見送る。
ジョハンネス・ドーの姿が遥か遥か遠くの角に消えるまで耐えてから、小走りに街路に出て叫ぶ」
「ジョハーン、カンバーック!」
◇ ◇
嶺南ファルコーネ城、廊下。
「うへへ、ふひひ」
にやけたアリシアが歩いている。
「んふふ・・うふふのふ」
にやけたラリサと行き合う。
「あらうふふ、おはようございます」
「うひひ、おっぱようん!」
「うふふふふ」
「あははは」
「なによ、ふたりとも薄気味悪い!」
アンヌマリーが不機嫌そうに現れる。
「わかった・・やったろ」
「うふふのふ。頂いた指輪を嵌めてない理由を、宝石があんまり大きくて、激しく動き回るとき引っ掛かると困るので、首から下げてましたと申し上げて・・」
「見せたんだな! 無駄肉に挟んでるとこを」
「うふふのふ」
「それで対戦突入か、このえろゴリラ」
【註:ogreをゴリラと訳したが別の生物である】
「対戦だなんて、うふふのふ」
「こいつ悪びれないわね。アンタイオスを締め殺したベアハッグが決め技でしょ」
「それ、メッツァナ名物ギルドの蟷螂女の語彙でしょ。他の人はアンタエウスって発音するもの」
「そう! あいつ、あたしの事は『スカンビウムの鼈娘』って言うんだから! なんかニュアンスが猥褻でヒドいと思いません?」
「それ、『いちど咥え込んだら離さない』ってやつ? まったく『冒険野郎どもの猥談にも付き合ってくれるサバサバ姐さん』ってキャラ作りがあざといわぁ、あの小母さん」
「あの人のことより、決まり手は何? やっぱり『祭壇返し』?」
「いいえ、『墓石落とし』よ」
「ちょっとあんた、マジで格闘だった?」
「だって、お式前は清い体じゃないと」
「ちなみに僕は『千鳥の曲』」
聞いた二人、歌い踊る。
"通う千鳥のなく声に アコリャ ♪ "
"幾夜寝覚めぬ シュマの関守 ♪ "
"幾夜寝覚めぬ シュマの関守 ♪ "
「皆さま、雅な詩歌や歌舞音曲にも堪能でいらっしゃいますのね。わたくしも精進しませんと」
「あらドミニクちゃん、おはよう」
「おはようございます」と少女がレベランス。
「アンヌマリー様にご来客がお見えで御座います」
見ると、大廊下の彼方からマリウス卿が手を振りながら、やって来る。
「んまっ! 朝駆け!」
「夜討ちのあんたらに言われたくないわ」
「僕、『勝訴』って書いた板でも持って走ろうか」
◇ ◇
アグリッパ、艮櫓。
現在使われていない監視塔だが、当直兵仮眠室がある。
「おはようございます」
在家信徒っぽい清楚な身なりの女、朝食を運んで来る。
「すいやせんねぇ、階段いっぱい登らせちゃって」
パンとスープと、少しの蒸し野菜。
「粗末なもので済みません」
「ありがとうお女中。其方の足運び、仲々の手練れであるな」
「嫌ですよお殿様。給仕係ならスープが溢れないよう皆んなこう躾けられますよ」
「隠さぬで宜しい。良い仕官先が有る」
「駄目っすよ大将。『引き抜きはご勘弁』って金庫長さんに頼まれてんですから」
「惜しいな・・」
「お姉さん、あの助修士さんの様子、どう?」
「朝食のお届け、これからです。昨夜は、なんかだ胸の支えが取れた感じで夕食を美味しそうに召し上がってましたが、様子見て参りますね」
「怪しい連中は昨夜お上が一網打尽って話、してやってぇな。したら朝飯ひとしお美味かろ」
「後日、改めて首魁の首実験を頼むと、お伝え下され」
「首だけで?」
「胴体が付いてるか如何かは今日次第っす」
「クラリッスが来るのであるか」
「午後にゃ多分」
◇ ◇
嶺南ファルコーネ城、大廊下。
二等文官マリウス、やって来る。
「やぁ。やっと伯爵府の休暇が取れたので、来ました」
ちょっと嘘がある。つい先日取ったっばかりだったので、第三席がまた休むのに長官が嫌な顔したのだった。
「お兄さん、もう少しで永遠にお休みだったよね」
「縄目を解いて下さるよう伯母上達に説いて頂き、感謝に堪えません」
「アリシアちゃん、この人わたしたち見てないわ」
「あなたの手を取って良いですか?」
「所有権取られちゃうよ!」
「そういう言質を取るタイプじゃないから大丈夫ですわ、多分」
そう。単に『勝手に女性の手を握るな。それ痴漢』と大目玉食らったからだ。
「貴族さま、わたしなんて只の町娘なのに畏れ多いです」
「いや、貴族なのは両親と兄貴で、俺は分家を建てたから普通の自由人ですよ」
まあ貴族籍を抜けた次男坊を普通の自由人と言う人は普通いないが。
「大事なのは血筋も紋章でもなくおっぱ、いや振る舞いです。気高い振る舞いが貴き者の証しなのです」
マリオいいこと言った。・・噛まなければ。
「アンヌマリーさん、俺と付き合ってください」
「・・お友達から、なら」
ラリサ嬢のミッション2、クリア。
続きは明晩UPします。




