97.読めたり読めなかったりで憂鬱だった
嶺南、地下。
「それで彼らは、どうしたのかしらね」
アンヌマリー、縄の明かりであちこち見る。
「筏のあった所まで帰ったことは間違いないのだけど、其処でぷっつりと足取りが途切れてますわ」
ラリサ嬢、考え込む。
副伯夫人なぜか無口。
「アルノー爺さん、後続隊のために『急流は・・』とか書き残してたけど、落石トラップのことは何も言ってなかったよなぁ」
・・不審がるブリン。彼も同郷だったな。
「この先は、どんな具合でぇ?」
「階段は登り坂にゃん」
「なぁ、レッドの兄さん・・ゴブリナブールの夜に話したっけなぁ。南部に行って冒険しちゃおうとか、ダンジョンとかに潜ったりして・・とかさ。俺たち今、あの夢物語を実際やってんだよな」」
感無量っぽい。
「ああ、一攫千金のひとにも会ったしな」
「俺は落武者んなって何とか彼んとか生き延びても金欠放浪者だ。冒険者ギルドに行ったのは定住者身分が欲しかったからだよ。雑用仕事ばっかりの何でも屋やって生きてきた。レッドの兄さんにあの酒場で逢って、初めて冒険者になったんだぜ」
イェジ少年に人生を語っちゃってる。
◇ ◇
この世界、国内ほぼ同一の民族でも勝ち組部族と負け組部族由来の『自由人』と『不自由人』という身分、深い深ぁい溝がある。
その溝を越えるのに、村の領主様に気に入られて秘書官とかボディガードとして出世するという正攻法、愛人になって解放されるうっふん方式等々いろいろ有るが最も狙い目は自治都市だ。市民になれば自由人の地位が漏れなく付いてくる。
それで人が殺到したので、都市も審査を厳しくした。
商工業ギルドとかは嫡出だ何だと結構うざいし、安直に乞食ギルドとかに行くと裏社会まっしぐら。浮浪者でいると定期の『お掃除』で追放か強制労働だ。
残った一本の蜘蛛の糸が、それほど『一芸』なくても済む冒険者ギルドだった。
それは放浪する武装人の増加を問題視する支配階級と身分保証の欲しい放浪者の妥協の産物だったので、敷居が低かったのだ。
この前者に近い認識を持つ親方(後継者)であるラリサ嬢へと、貴族社会側からラブコールが来ているのは有る意味自然である。
・・そういう社会的機能を担っている機関でありながら、なぜ夢見ちゃっている構成員の方が圧倒的に多いのだろうか。
現実に『ひと山当てちゃった人』はこの目で見たし、勝負で城ひとつ手に入れた賭博師の噂も聞いた。だから無理も無い事なのかも知れない。
・・あれ? 城ひとつ賭けて負けた騎士もいたな。もしかしてこれ、社会全体の風潮なのかな。
だったら荷物運びや日曜大工のバイトで食ってたブリンさんって異例の地道人間だったのか? 彼って明らかに『夢破れてバイト生活に埋没した夢追い人種』とは違っていた。
俺もブラーク男爵様にお世話になって『職業』として冒険者になった人間だから同類の少数派か・・。
そんな俺らでも『いちどダンジョンなるものを探索してみたい』とか夢見たって可かろう。
・・あれ? 確か、ブリンさん歓楽街で付け文の代筆屋とかも為ってたっけな。このパーティ異常に識字率高くないか? 医者と坊さんでパーティの三分の一だというのもアレだけど。
ま、もともと俺とフィンは『読み書きできる奴』という条件で事実上の指名依頼みたいなもんだったしな。
イメージと違うかも知れぬが、貴族というのは文弱の徒など馬鹿にするワイルドパワー信奉者が多いから文盲も多く、宮廷書記官らが法務官として地方に下向した伯爵の方が特殊なのである。
もちろん韻文を自在にものす宮廷歌人の騎士だって居る。けれど人数は少ない。クラウス卿なんて見た目は黒豹の魔獣なのに、竪琴など手に詩を賦したりするから女たちがギャップ萌えでキャアキャア言うのだ。
◇ ◇
「あたっ!」
石の鴨居に頭打つけて踽く。
「レッド、なに盆槍してんの! やっぱり僕が握ってないと駄目?」
レッド脱力して壁に手を衝く。
「あ・・」
「なんか開いたにゃ」
「何だこりゃ! 隠し通路じゃねぇか」
◇ ◇
アグリッパ下町、『川端』亭。
ノック。
「どなた・・と聞くまでも無い。なんとサバータの若殿、何故此方に・・」
「不圖通り掛かったら其許の気配が致したので戸を叩いた」
「おもての通りまで漏れておりますか」
「其れはもう滔滔」
「滔滔!」
「通りの向こうを歩いてをって靴が濡れるかと思うた程である」
「そんなにですか!」
「否渦に巻かれて流されるかと思うたのである」
「お恥ずかしい。このところ立続けに歓迎せぬ客が参りまして、少々愉快ならざる気分だった所為でございます」
「成る程、其れでは一層のこと多少鈍い者でも近寄り難くなるくらいに沢山流して仕舞うのも一計であるぞ」
何やらモスキート音でも流すような話をしている。
「それが・・屋内に女性が二人おりまして・・」
「其れは難儀であるな。癇癪を起こし易くなるとかの症状が出ても宜しからず・・所で漸々扉を開けては貰えぬか」
「これは迂闊り致しました。飛んだ失礼を!」
扉を開ける。
◇ ◇
嶺南、地下道の奥。隠し通路。
「こりゃ・・ダンジョンだぜぇ」
左右は全て切石積みの壁で、床も石畳だ。
「ここ、錠前が!」
「ピッキングされてるぞ」
鉄の扉を開ける。
「見てください! ここの岩に・・」
「引っ掻き傷だが、かろうじて『A S』と読めまする」
「それは『アルノー・サグヌススヌ』だな。爺さんここ来てるぞ」
突き当たり。見るからに見るからな大扉が有る。
「レッド・・これって大当たり?」
「お前、さすがに直接触るなよ」
「つい手に汗握っちゃって」
「この文字盤は何でしょう? アンヌマリー、明かりを頂戴」
「あんた、読めるんでしょ? 読んでみなさいよ散々自慢したんだから」
アンヌマリーだってギルドの事務方経験者だから俗語の商用文くらい読み書きは出来る。旧帝国語で書かれた役所の通達だって読まねばならないが、大概は俗語の添え書きを読んでこと足りる。
「ええっと・・」
ラリサ嬢、脂汗。
「どうしたの? お読みになれないの? おーほほほ」
「いやこれ、東帝国の文字でござりまする」
「普通読めませんわ、こんなの!」
「東帝国の言葉って、グレキア語? もしかして今ここにレベッカちゃんが居たら読めたんじゃ?」
「そうだフィン! 彼女って確か、母国語よりもグレキア語の方が馴染んでるとか言ってたよな」
「んなこと言ったって兄さん、レベッカちゃん居ねぇもの」
「しかし是れ、文章では御座りませぬぞ。この文字盤を動かし何ぞ合言葉を入れる仕組みでは?」
「そりゃ分かんないな。どっかその辺に書いてねぇ?」
「錠に鍵かけて鍵をそこに置いとくなんて、ヒンツじゃあるまいし」
「兄貴ひでぇ。俺だって元は騎士だぞ」
「騎士ってばか多いじゃん。考えるより吶喊が好きだしさ」
・・お前の兄さん、それで全滅したんだっけ。って握るなばか。
◇ ◇
アグリッパ、『川端』亭。
「失礼致しました」
二人、店の客席に掛ける。
「何かお飲みになりますか?」
顔に横一文字刀疵の男、完全り店に馴染んでいる。
「其許も、殺気の出し方停め方を修練するが可かろう。斯う出して・・」
二階で「呀っ」と若い女性の声。
「あ、起きた」
「斯う停める」
「あ、寝た」
「斯う出して・・」
二階で「呀っ」。
「遊ばないでやって下さい」
◇ ◇
嶺南、ダンジョンの奥。大扉の前。
徐ろに副伯夫人が口を開く。
「そこに『 χρῑστ』と入れて見て下さい」
「成る程、『 χρῑστ』でござりまするか」
そうだ。このパーティーって、東帝国語の古籍に日々親しんでいる人々が普通に居た。
続きは明晩UPします。




