96.地の底でもっと憂鬱だった
嶺南、地底湖。
筏は進む。
「もちっと面舵にゃ・・宜う候」
真っ暗な洞窟内。猫殿の夜目とカーニスの耳が頼りだ。
「『急流がない』って書いてたってことは、アルノー老はここを何往復かしてるんですよね?」
「レッドさん、既う彼のことお爺ちゃんって決めてるんですね」と副伯夫人。
「彼の『アルノー・サグヌススヌ』という古風な名前の響きと『ルテナン』という肩書きです。隊長の副官だから、ベテランの老探検家を顧問っぽくサブリーダーに据えたのかなぁって。あくまでイメージですけど」
「ねぇお姉さん」とアリシアが割り込んで来る。
「さっきのヘラクレスさん、どっかの森の奥で違う世界の人々と生きていくんだと決めたから『異世界』に行ったんだよね?」
「そういう人生を生きるって決めたのよ」
「僕の大好きなレベッカちゃんも、モデスティ様と暮らすって決めて『異世界』に行ったんだ・・」
「でも、また逢えるわ」
「ここも『異世界』っぽいね」
「でも帰れるわ」
「だよね」
「アリ坊、お前どこ触ってんだ・・」
「レッドのちんちんを短剣と比較中」
「お前なぁ」
「ただの『レベッカちゃんロス』だから気にしないで」
「どうでもいいけど、歩けそうな道が有りそうだにゃ」
◇ ◇
アグリッパ、探索者ギルド。
「掻い摘んで言えば今の黒猫姫、南部で結構な顔なんですよ。一方うちの殿様只今ぎりぎり土俵際。それで、俺をあちらの某重要人物に紹介して欲しいって話です。状況待った無しなもんで」
金庫長の眉根に皺。
「それ、彼女の御機嫌損ねないだろうな?」
「そこは俺一人の責任払いって事で」
「正直、今の俺には彼女と連絡とる方法が無い。けれど、運よくクラリスちゃんの右腕と左腕が此の町に居る。彼らと会わせよう。出来るのは、其処までだ」
小男、入ってくる。
「あれ? うちのお嬢に、お客さんですかい?」
「おお、うまい具合に丁度来た!」
「お嬢も金庫長さんに用事で、明日にゃ来ますけど・・って、若しや若しや其方の旦那さんは!」
「そういう貴方は若しや・・」
「なんだ? 知り合いか?」
「イヤ私ゃ知り合いって訳じゃソノ、いえその、その節はどうも・・」
「あ・・はい、その節は・・いや何とも」
「なぁんだ。顔見知りなら話は早い。こいつはオーレン・アドラーっていう野郎で当協会の古株。クラリスちゃんと古い同業仲間だ。最近は荒事の一線から足洗ってカンタ伯爵だっけ? ・・の専属情報屋やっている。こちらは現役A級バリバリの『道化師』さんだ。いま大仕事をお願いしてる」
「・・ども、初めまして」
「俺、偶々居合わせたけど、あのブラーク男爵襲撃には一切関わり有りませんから信じて下さいっ」
「いやいやもう先刻存じ上げて居りゃす。ってか、あん時旦那とガチやってたらと思うと今も冷や汗三斗でやんす・・」
「なんだ、顔見知りってよりニアミスか」
◇ ◇
嶺南、地底湖。
「どうやら水路はここで終わりにゃん」
足許の小石、じゃりりと音。アンヌマリー手持ちの紙縒りが尽きたので細い縄に火を移す。
「わずかだけど、空気の流れがありますね」カーニスが小鼻を動かす。
「でも、ヒトの気配は無い・・と」
「ヒトじゃない者は?」
「ここに犬と猫にゃ」
「ねぇ、エステル様・・」とラリサ嬢、怖おづとした声。
「岸辺に筏・・有りませんでしたわね」
「有りませんでしたわね」
「その2・・で、ござりまするかな」
「怪談? ねぇ怪談?」と抱き付くアリ坊。
「だから、そこ触んな」
「階段の如くで御座りまする。いや、足許」
◇ ◇
アグリッパ、市庁舎の通用口。
大柄な初老の男マックス・ハインツァー、バイコケット帽子を目深に被ったまま門衛に会釈。
奥に入る。
すれ違う人毎に会釈して、言葉も交わすでも無く奥へ進む。
マックス、体格もマックスなので肩を窄めても意味ないのだが、気は心の積もりらしい。
回廊のようなオープンなスペースなのに膝の上に書類広げ一人で渋い顔している小柄な老人に近づく。
「やぁクルツ・・」
「なんだマックス、また勝手に這入り込んで来たのか」
「だって、水臭いじゃないか。全然声が掛からないなんて」
「人に言うなよ。教会様が手兵一個中隊呼び寄せてる。此地が仕損ったら直接手を出すぞって圧だ。だから傭兵で警邏隊をバックアップさせた。それだけだ」
「それだけか」
「餅が食いたきゃ客は餅屋に行く。喧嘩は喧嘩屋に任せろ」
「そう言わないで仕事くれよぉ」
「お縄にした後どっと行くから大人しく待ってろ。 それと・・」
「それと?」
「教会様がなんか緘口令敷いてるから、猫に殺されないように為ろ」
「猫に殺される?」
「言うだろう。『好奇心猫に殺される』って」
「? 言わんだろ」
◇ ◇
嶺南、地下道。
「なぁ・・兄貴」とヒンツ。
「ここって『地下洞窟』じゃないよなあ」
「可訝な事言いねぇ。地下でない洞窟なんて無ぇだろ」
「でも、これ・・人が作った階段だろ?」
「洞窟に階段作ってなに悪い」
「そらそうだけどさ・・扉もあるぜ」
「洞窟に扉作ってなに悪い」
「そらそうだけどさ・・」
「開きますよ!」
「フィンくん、そこ何か彫ってあるよ」
アンヌマリー火の点いた縄の先端をふるふる回すと明るくなる。
「ええっと・・『家主さま、過失にて錠前を壊して終いました。お目に掛かる機会有りましたら弁償します』と・・署名アルノー・サグヌススヌ、印」
「あれ? ここだけ個人の署名なのか」
「いや・・アルノーさんよ、ピッキングしたこと謝っとけよ」
「そこ! ストップにゃ!」
「落石のトラップっぽいですね」
「これ・・?」
「あ、姐さん触らないで。それ、血です」
「喰らったのか先遣隊さんよ」
「負傷者が出て撤退したので御座りますかな」
「それで、向こう岸で筏を降りたら血の匂いを嗅いで蜥蜴が集まって来たとか・・ですわ」
怖い想像をする副伯夫人。正解っぽくて一段と怖い。
「レッド・・」
「お、おい。握るな」
・・いや、もしかするとアリ坊、落城の時のトラウマで恐怖を感じると斯ういう挙動が出るのかも知らん。とすると無碍に跳ね除けるのは大人の取るべき態度じゃ無いのかも・・。
些かご都合主義である。
「もっと怖いこと言ってもいいかにゃ?」
◇ ◇
アグリッパ、探索者ギルド。
「・・んでアドラーの旦那、うちらのお嬢は早けりゃ明日、遅くても一両日中にゃ王都から戻らいますんで間違い無いですが、最終的にゃあ全体どなた様とお会いになりたいんで?」
「実は高原州ブラーク城に嶺南より大身の御武家様が見え御逗留中の由、国盗りの旗頭殿と承知仕る・・ってのが、うちの大将カンタルヴァンの伯爵の言。早い話が調略に見えた南部の大物さんに恭順したいんで宜しく取り次いで頂戴という話なんですよ」
「もしかして嶺南侯家筆頭家老が継嗣クラウス卿がお忍びで見えてる話っすか?」
「げっ! そこまで大物だったの?」
「そりゃま、お一人様軍団の総大将って処だからねぇ」
「明日明後日には黒猫姫と会えるか・・」
「なにそれ、お嬢の昔の綽名? 上手い事言うぅ!」
「似合ってんだろ?」
「けど、クラウスの大将、今この町に来てやんすよ」
「えっ!」
◇ ◇
嶺南、地下。
「な・・なに? 怖い話って!」
ラリサとアンヌマリーの声が揃う。
「落石のトラップ、復元してあるのにゃ」
「ぞわっ」
「それって、罠ぁ仕掛けた奴が発動を知ってて仕掛け直してるってぇ事かい?」
「ここまで見回りに来てるにゃ」
「・・って事ぁ、撤退したんじゃなくて捕虜んなってるかも、って?」
「筏が戻ってるってことは、撤退はしてるのにゃ」
「或いは、此処で一人やふたり、潰れて落命しておるかも知れぬ訳で御座る」
「ぞわわっ」
続きは明晩UPします。




