94.また襲撃襲撃で憂鬱だった
嶺南、大穴の底。東の断崖近く。
「側面攻撃だと!」
斥候猫の警告に直ぐ身体が反応出来なかったのが悔やまれる。
攻城弩砲の石弾でも飛来して副伯夫人を襲ったかに見えたが、彼女のコルバンに弾き返されたのは灰色の獣・・か鳥か、すぐ復た二本足で立ち上がって威嚇の牙を剥いたのは猟犬ほども大きな蜥蜴であった。
コルバンの嘴が直撃したのか左目の上あたり頭蓋が砕けているが、大犬の三倍も有ろうかと見える頭部は怒気に満ちて唸り声を上げている。
再び夫人に飛び掛かろうとする狼蜥蜴の喉首を、擦り上げるレッドの下段の剣が半ば刎ねた。蜥蜴、倒れて悶掻くが絶命しない。
後方ではギルベール師とブリンが背中を預け合って死闘を繰り広げている。
アルノー・サグヌススヌが謂う所の『最も注意』すべき敵『狼のような蜥蜴』はふさふさとした体毛に覆われて到底も蜥蜴には見えない。鋭い牙の密生した巨大な顎と蹴爪で発揮する獰猛さは脅威そのものだ。
・・危い。
◇ ◇
アグリッパ、馬車の中。ホラティウス司祭は先に帰った。
「あの旦那、お忙しいのに勤勉だよねぇ」
「私などを気遣って下さって・・」
「ああ。些少も冷たくないでやんす。これからご案内する隠れ家、彼の方の私費。これ漏らしたの内緒ね」」
「ありがたい限りでございます」
「最初の刺客がちょっと抜けてたから、次は怖いのが来やすよ。こっちも腕利きが交代で護衛するし、外出したい時ゃ私が付くから、前もって言って下さいゃしね」
「よろしくお願いいたします」
「貴方に口封じを掛けようとした連中、たぶんアタナシオ司祭を籠絡しようとして息子を堕落させたんすよ。気持ち悪い長期計画っすね」
・・馘首ん為った元司祭さんが公金にも手ぇ付けてた話ゃ彼にゃ内緒だったな。
馬車、隠れ家へと向かう。
◇ ◇
穴の底。
狼蜥蜴は十頭を超える。絶体絶命!
・・と思った時、また異変が起こる。
別口の灰色の獣が次々と蜥蜴らに襲い掛かり始めた。
双方とも素早すぎて状況把握が仲々追い付かなかったが、毛のある蜥蜴の喉元に喰らい付いて地面を転げ回るに至って、後から来た獣たちが本物の狼であると漸く認識できた。
狼蜥蜴一頭に狼三頭で襲い掛かり、圧倒し始める。
ラリサ嬢と獣人二人で何とか手傷を負わせた蜥蜴が、狼に引き倒されて断末魔の声を上げている。
レッドが仕留め損なった一頭はアンヌマリーの鉄鍋で頭部を連打連打され、痙攣している。
しかし最後の一頭、仔牛ほども有る蜥蜴は狼たちも攻め飽倦た。
が、その喉首に、木の幹のような太い腕が巻き付いた。
獣の吠え声よりも野太いヒトの雄叫びが耳を劈裂く。
「白い粉屋?」
動転したのかアリシアが意味不明だ。
蜥蜴の蹴爪が半裸の大男の肌を引っ掻き血が流れるが、構わず締め上げる。
やがて妙な角度に捻じ曲がった首から大蜥蜴の体は垂れ下がり、男の腕に力無く吊り下がった。
「'ジーグフリート'・・ナイリソの森にいるはずにゃ・・」
「俺はコピパリ族の戦士ピクナキサ・・」
大男、背を向ける。
「あなたは、若しや・・レオンツィオ・ダルタヴィラ殿!」
呼び止める副伯夫人。
刺青を入れた顔だけ振り返る巨漢。
「俺は戦士ピクナキサ・・」
「あの・・御子息の後見人は私の従妹で、私は主治医です。顔がそっくりなんですけど、若しや間違ってお助けくださったのでは?」
「・・カモイ」
男、森に去る。
「いや、間違えてたみたいですね」
狼が喋った。
「そ・・その声はザミュエルさん!」
「ご無沙汰。ウォルフスタールのザミュエルです」
「あなた、狼に化けられるんですか!」
「いえ、わたし狼ですけど」
「え・・喋ってますよ」
「前からお話ししてますけど」
「はぁ」
「レベッカさんが皆様の身を案じてらっしゃるんで、モデスティ様のお言い付けで鴉が様子を見にきたら、何か危ないみたいなんで、わたしも皆とひとっ走り加勢に参りました」
「本当に助かりました」
「なんのなんの。モデスティ様の上のお嬢様のお弟子さんに、下のお嬢様のひとり息子さんのお友達、それに実のお孫さんより可愛がってらっしゃるレベッカさんのお仲間ですよ。眷属のわたしが一肌脱がない道理はありません」
「レベッカちゃん、可愛がられてるんだ。よかったなぁ」
「洞窟にいくんでしょ? 蜥蜴の連中が来ないように番してますよ。レッドさんも手傷のお手当て、なさって下さい」
丁重に礼をして副伯夫人のところへ行く。振り返るとカーニスが『棟梁様』とか言ってザミュエルさんに最敬礼している。いろんな世界があるようだ。
「いやぁ、カーラン卿に貰った鎖帷子で命拾いしちまったぜぃ」
「拙僧も下に多少着込んで居て良う御座った。あの蹴爪、思わぬ方向から来るので難儀致しましたぞ」
いちばん激戦区を闘った二人が軽傷でよかった。
「僕も短剣もらっといて良かったよ。レッドのちんちんより大きいやつ」
「お前・・いつ見た」
◇ ◇
「これ、また有りました!」
第五の刻印は樹木の幹でなく、岩に彫りつけて有った。
「何だこれ・・『侵入者様、入り口』って」アルノー・サグヌススヌのセンス・・よく分からない。
「ちょっとテンション変じゃない?」
「戦闘とかの直後に、ちょっとテンションが変になる事は往々有る事で御座る」
「そうだな、今のアリ坊も結構変だ」
大岩の裂け目から流れ出す水が小川の水源のようだが、そこは屈めば人の通れる洞窟である。
「入ってみましょう!」
副伯夫人テンションが高い。
「夜目の利くおれが先導するにゃん」
「強盗提灯ありますけど」
「それ点けると、おれの目が利かないのにゃ」
「じゃ、これ足元灯に使いましょう」
アンヌマリー、キッチンセットから紙縒りを取り出す。
「おおお! 太くて長い!」
「アリ坊、お前テンションが変だぞ」
中が結構広い。
中央に卓状の平石が有る。
「ここ! 壁に文字が!」
フィン少年、点火した紙縒りを翳して読む。
「・・『侵入者様、休憩所』だって」
折角だから休憩する。水質維持用に薄く葡萄酒を混ぜた鉱泉水など飲む。
「お! これエリツェプル名物の微発泡鉱泉水にゃん!」
高級品らしい。
「今回みたいな戦闘は短剣使いは分が悪いにゃん」
「そうですわね。普段リーチの差を素早さで埋めてますから敏捷さで負ける相手は苦手中の苦手です」
・・あなたはパワー・ファイターの素質あると思うけどな。
「そうだわラリサちゃん、あなたもコルバン使って見ない?」と副伯夫人、彼女の柄物を見せる。
「・・まぁ急な転向は勧めませんけれど。マリオのばかも急に短剣に持ち替えての準決勝敗退だったし」
「実際に対峙した経験から言いまして、マリオさん相当お強いと思うのですが」
「天才とか言われて直ぐ慢心するから駄目なのよ。あいつ、従騎士なりたての頃に城ひとつ賭けて名だたる古豪に勝っちゃって天狗になって、それで次は歳下の女に惨敗してるんだから」
浮沈の多い人である。
「あれ? どっかで聞いたような話・・」
レッドとヒンツの声が揃う。
「ええ、ヨーリックの話」
「・・世間狭ぇ!」
まぁ騎士人口自体そう多くないから仕方ない。
「あれ? ヨーリックの父っつぁん決闘に負けて人生全壊だったのに、マリオさん大丈夫だったんですか?」
「相手、親戚の女の子だもの。お尻叩きで勘弁してくれたわ」
・・お尻を撫でたらしい。
この世界には応報刑という思想がある。『盗みの罰には盗みを働いた手の切断』という具合だ。
女の子に決闘で負けて尻叩きの刑ということは、やっぱり撫でた報復だろう。
エステル様けっこう歯に衣着せぬ性分らしく、ラリサ嬢の『マリオさんイメージアップ』作戦、前途多難なようだ。
「あ! 先輩! ここに!」
また文字を発見したようだ。
フィン少年、読む。
「・・『侵入者様、お出口』だって?」
その通路を抜けると洞窟の入り口近くに出た。
なに考えてんだアルノー・サグヌススヌ。
続きは明晩UPします。




