あの日の飲み会②ランドルフ視点
「ランドルフ、奥様とどうなのよ?仲良くしているの?」
シュゼットが私の肩に腕を置いて、ニヤニヤしながらそんなことを言う。
「……別に普通だ」
「普通って何よ?ちゃんと大事にしてあげなさいよ!!ランドルフは口下手で無愛想なんだから、奥さん不安になるでしょう?」
新婚初夜に泣かせたなんて言ったら、シュゼットからお説教があるのは間違いない。
「……俺は彼女とそういう関係じゃない。ただの保護者役だ」
そう、俺はあくまで保護者役。彼女の泣き顔を見た日からそう決めていた。本当は可愛くて仕方がないが、彼女にぴったりの男が見つかれば送り出すつもりでいる。
見た目はそこそこでも……金と地位があって誠実で、真面目に彼女だけを愛してくれる若い男がいれば別れるつもりだ。俺が認められる男がもしいればの話だが。
ヴィヴィアンヌがいない家を想像すると、胸がズキズキと痛むが……これは少し寂しいだけだ。嫁に行く娘を持った父親の気持ちと同じようなものだと自分に言い聞かせた。
「嘘つけ!仕事馬鹿なお前が最近すぐ帰るじゃねぇか。奥さんのことが好きなんだろ?」
そう言われて、俺はそっと目を逸らした。図星だからだ。
確かに最近の俺はおかしい。早く帰りたいがために、面倒な事務作業もかなり集中して仕事を終わらせている。そうするとヴィヴィアンヌと一緒にディナーを食べられるからだ。彼女と食べる食事は……何故かいつもより美味しく感じる。
「あら、素敵じゃない」
「やっと本気の恋をしたんだな」
俺は右にシュゼット、左にクロードに囲まれ「まあ、飲め」と酒を注がれ続ける。俺は恥ずかしさもあって無言で酒を飲み続けた。しかし、これがこいつらの策略だったのだ。
俺は酒に強い。ほとんど酔ったことはない。だが、こいつらは二人で協力してわからぬように徐々に度数の強い酒を俺に飲ませていった。そのことに気が付いたのは、だいぶ飲んだ後だった。
――なんか頭がふわふわする。
「奥様のお名前はなんて仰るの?」
「ヴィヴィ……ヴィヴィアンヌ」
「ヴィヴィアンヌ様ね!ねぇ、あなたは彼女から何て呼ばれているの?」
「……旦那様」
ひゅー、旦那様!とこいつら二人は勝手に盛り上がっている。全く……騒がしい夫婦だな。でも本当は俺は彼女に名前で呼ばれたいんだ。
「ランドルフ、ヴィヴィアンヌちゃんのこと好きなんだろう?」
好きだ、好きに決まってる。だって可愛いすぎるから。他の男になんて渡したくはない。彼女は俺の物だとみんなに言いふらしたいくらいなのに。
「好きだ。でもだめなんだ」
「何がだめだ?」
「あの子はまだ若い。俺が……男がどんな気持ちでいるかなんて……まるでわかってない。無邪気に近付いて来て……純粋すぎて……俺に似合わない……」
ああ、俺は何を言っているのだろうか。こんな事言うべきじゃないのに。完全に酔っている。でも俺は本当は彼女を好きだとみんなの前で言いたい。
「笑顔が可愛い」
「ずっと傍にいて欲しい……他を見ないように閉じ込めたい」
「でも自由に楽しく暮らして欲しい」
「笑顔が見たい……キスしたい」
俺は自分の気持ちを吐露しながら、机に顔を伏せた。格好つけて何が手放すだ。俺は本当は手放したくない。
クロードがフッと笑ったような気がして、俺は顔を上げた。きっと揶揄うつもりだろうと思い、ジトッと睨みつけた。
「良かったな。そんなに好きな相手と結婚できて」
予想に反して、クロードは真面目な顔でそんなことを言い俺の肩をポンポンと叩いた。
「本当よ!あなたまともな恋愛なんてできないと思ってたわ。ヴィヴィアンヌ様とご縁があって良かったわね」
俺にすり寄って来た女達も、自分より仕事ばかり優先する男などすぐに嫌になる。そして俺も誰にも本気になれなかったので、去る者を追うこともなく『冷たい』なんて言われることも多かった。
公爵家の嫡男として、結婚し子を成すことの重要性は理解していたがどうしても受け入れられなかった。今まで見合い話を何度断ったことだろうか。俺はずっと相手に会うことすら拒否をしていた。
「彼女がいるだけで……幸せなんだ」
「帰って顔を見たい」
「……俺の天使」
それからの記憶はあまりない。クロードに馬車に乗せられて家に帰ったのは覚えている。頭はフラフラしていたが、身体は動いたから。
朦朧としたままなんとか帰ってきたらヴィヴィアンヌが出迎えてくれて、とても嬉しかった。
――ああ、すごく可愛い。
俺はへラリと笑い、彼女の柔らかい頬を両手で包んだ。つるんとしていて、ふにふにで気持ちがいい。
「……ただいま」
ああ、これは夢なのか。こんな遅い時間に彼女が出迎えてくれるはずがないものな。
どうせ都合の良い夢ならば、もっとヴィヴィアンヌに触れたい。愛したい。
そしてそのまま強引に何度も濃厚なキスをして抱き締めた。気持ちがいい……感触までリアルだな。
ちゅっ、ちゅ……くちゅっ……
熱くて甘くて蕩けそうだ。こんな濃厚なキスをずっとヴィヴィアンヌとしたかった。
「可愛い……俺の……大事な天使」
いつか本物の彼女に伝えてみたい。俺は君が大事だって。愛してるって。戸惑うだろうか?いや、恥ずかしそうに頬を染めるかもしれない。
本当の夫婦になりたい。ヴィヴィアンヌの全てを知りたいし、俺の全てを知ってほしい。
――そんな日は来ないだろうけれど。
彼女が金に困っていなかったら、こんな結婚あり得なかったのだから。こんな良い子……俺の元から解放してやらねば可哀想だ。
♢♢♢
眩しさを感じて目を開けたが、頭がスッキリしない。俺は確か昨夜打ち上げに行き……そうだ。クロードに無理矢理家に連れて行かれて強い酒をしこたま飲まされたんだった。
「チッ、あいつらめ」
きっと俺からヴィヴィアンヌの話を聞き出したいがために、度数の強い酒ばかり飲ませたのだろう。
酒と香水の匂いが纏わり付いて不快な身体を、熱いシャワーで流した。
とてもいい夢を見た。辿々しく口付けを受けるヴィヴィアンヌは、とびきり可愛かった。思い出すと身体が熱くなりそうで、邪念を払うように勢いよく頭を振った。
「……俺はガキかよ」
三十歳にもなろう男が、夢の中に出てきた想い人にドキドキするなんて恥ずかしすぎる。十代の子どもじゃないのだから。
支度を整えて、リビングに下りた。まだヴィヴィアンヌは来ていないようで、俺はあからさまに落胆した。昨日はほとんど会えなかったから、今朝は一分でも長く顔を見たい。しかし、そんなことを言えるはずもない。
「テッド、昨日は迷惑をかけたな。すまなかった」
「とんでもございません。旦那様があれ程酔われるのは珍しいですね」
「クロードのせいだ。二次会だと家に連れて行かれて、シュゼットと共に強い酒ばかり飲まされた」
「……左様でございましたか」
この家の使用人はクロードやシュゼットのことをよく知っている。なんせもう十年以上の付き合いだから。
仕事の時間があるので仕方なくモーニングを食べ始めたが、まだ彼女は来ない。一体どうしたというのだろうか?俺は彼女に好きな時間に起きればいいと言っていたが……いつも俺に合わせて起きてくれるのが嬉しかった。
「ヴィヴィアンヌはどうした?もしかして体調が悪いのか?」
もしかして彼女に何かあったのではと不安になり、そう尋ねた。
「少しご気分が優れないそうなので、大事をとって寝ているように言いました。昨夜は遅くまで旦那様を待たれていたので寝不足のようです」
ミアは淡々とそう報告して来たが、何故か怒っているような気がするのは勘違いなのだろうか?
「大丈夫なのか?医者を呼べ」
「寝たら治るかと」
「……そうか。しかし、何かあればすぐに医者を呼ぶように。俺は仕事前に彼女の部屋に見舞いに行く」
「旦那様!奥様はやっとお休みになられたところなので、絶対に邪魔されないでくださいませ!!」
「わ、わかった。ミア……何か怒っているのか?」
彼女のあまりの剣幕に、俺は少し怯んでしまった。
「怒っていません。奥様が心配なので私は様子をみてきますね!失礼します」
やはり怒っている気がする。俺は何かしたのだろうか?テッドをチラリと見たが、苦笑いをしたまま何も教えてくれなかった。
彼女とモーニングを一緒に食べられないのも、お見送りがないのも結婚して以来初めてだ。ぽっかりと穴が空いたように寂しくて、虚しい。ついこの間まで一人でいても何も思わなかったのに。
俺はいつの間にか、彼女と過ごすのが当たり前になっていたんだと気が付いた。そして、この当たり前だと思っていたことは彼女の努力によって作られているのだと。
俺は仕事に合わせて好きな時間に起きて、好きな時間に帰ってくるだけ。彼女はそれに合わせて、朝早くても起きて……夜遅くても寝ずに待ってくれている。
贅沢なことだ。当たり前は当たり前じゃない。改めて彼女の優しさと思いやりに感謝した。今日は早く帰ろう。そしてヴィヴィアンヌの顔を見たい。
――手放さなきゃいけないことはわかっているけれど、手放したくない。
俺はこの時想像もしていなかった。ヴィヴィアンヌが俺が浮気していると勘違いしていたなんて。それに酔って彼女に甘い言葉を囁いていたことも記憶からさっぱり抜けていたし、蕩けるようなキスをしたのは夢だと思っていた。
なぜミアが怒っていたのか、なぜヴィヴィアンヌが下りて来てくれなかったのか……それを知るのはもっとずっと後のことだった。
……というわけで、好きなのに言えないもだもだ時期のランドルフでした。本当はこの時からヴィヴィアンヌのことが大好きです。
彼がヴィヴィアンヌに誤解されていると気が付いて青ざめるのは【本編12】です。