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12 大嫌い

 何故私は旦那様に口付けをされているのかわからない。驚いた私は後ろに身体を引こうとしたが、彼に首に手を回されて身動きを取れないようにされた。


 ちゅっ、ちゅ……


 何度も何度も吸われ、熱い舌が私の口内に遠慮なく入ってくる。あまりに激しい口付けに息も苦しくて、涙が滲んできた。


「あんな細身の若造がいいのか?」


「何を言ってる……のですか」


「だが、今の君は俺の妻だ。他の男に気を許すな」


 ああ、そうか。彼は怒っているんだ。私に興味がないとは言っても、やはり妻が他の男といるのは許しがたいということだろう。体裁が悪いものね。


 自分にはシュゼット様がいらっしゃるくせに。告白はされたが、私とグレッグの間には何もない。だけどきっと旦那様とシュゼット様の間には……きっとあるだろう。キスもきっとそれ以上も。


 その後も食むような口付けが続き、私は意識が朦朧としてきた。大好きな彼からの口付けなのに、哀しい。


「やめて……んっ……やめてください」


 私が泣きじゃくっているのに気が付き、彼はようやく唇を離した。


「ひっく……ひっ……うう……嫌いです。どうしてこんなこと。旦那様なんて大っ嫌い」


「ヴィヴィ……」


「私とグレッグには何もやましいことはありません!旦那様はずるいわ……こんな時だけ『妻』だなんて言うのだから。私のことなんて好きじゃないくせに」


 私は旦那様を拒否するように、グッと押しのけた。


「浮気してるのは旦那様でしょう?この前も女性の香水の匂いをさせて泥酔して帰ってきて……私とその女性を間違えて……最低です」


 胸の中にしまっていた不安や哀しみを、一度言葉に出すともう止まらなかった。


「ちょっと待て、俺は浮気なんてしていない」


「じゃあ浮気でなくて本気なのですか。それならば……もう私を捨ててくださいませ」


「待て、何か誤解がある。一度冷静に話そう。ヴィヴィに伝えたいこともあるんだ」


 彼は冷静にそう言って、私を落ち着かせるように背中を撫でた。その大人な態度が悔しかった。私だけ泣き喚いて……これでは彼の嫌いな『子どものような女』そのものではないか。


天使(エンジェル)


「え?」


「俺の大事な天使(エンジェル)……それはあなたの恋人のことでしょう?そんなに大事な人がいるのに、お金に困っていた好みでもない私を不憫に思って妻にしたの?そんなの……彼女に申し訳ないし可哀想だわ」


 彼はブワッと頬を染め慌てた素振りを見せた。やっぱり図星ってことだろう。


「お、お、俺がそう言っていたのか?あの時……そんなことを……口走って……」


「お金は何年かかるかわからないですけど、私が働いてお返しますから。あなたは本当に愛する人と一緒になってください。それならば自然と子どももできるでしょうし」


「ちょっと待て!何の話をして……」


「今までありがとうございました。できるだけ早く出て行きますから」


 馬車が止まった瞬間に、私は外に飛び出して行った。旦那様に手を掴まれそうになったが「触らないで!」と言ってそのまま走り抜けた。


 私は一直線に部屋に戻り、ガチャンと鍵をかけた。その異様な光景に使用人達が驚いているのがわかった。ミアが「奥様!?どうされたのですか?旦那様はどちらに?」と扉を叩くが、返事をしなかった。


 私は扉の前に椅子とか棚を移動させた。小さな身体の私のどこにそんな力があったのかと思うが、人間やろうと思えばできるものだ。


「ヴィヴィ!ヴィヴィ!鍵を開けてくれ」


 しばらくすると旦那様が、ドンドンと強く私の部屋の扉を叩いた。


「ヴィヴィ!」


「すみません、一人にさせてください」


 私は鳴り止まない音に、仕方なくそう返事をした。すると廊下がシン、と静かになった。


「……わかった。明日仕事から早く帰るから、二人でゆっくり話そう。すまなかった、おやすみ」


 扉を蹴破られる可能性もあったが、彼は私の気持ちを尊重してくれるようだ。


 私は小さな鞄に最低限の物を詰めた。貧乏な中で生きてきたので、そもそも私は何もなくても平気になっていた。今の生活が贅沢すぎるのだ。結婚前は領民達と一緒に農作業のお手伝いをしたり、料理も簡単なものは自分でも作っていた。我が家は大飢饉の後から、使用人を減らしたので人出が足りなかったからだ。


 できればお金持ちの家の侍女として働きたい。料理や洗濯、子どもの家庭教師くらいならできると思う。とりあえず働き口を探さないといけないが……見つかるだろうか。すぐにファンタニエ家に帰ったら見つかってしまうので、しばらくは身を隠すつもりだ。


 両親には別れることの謝罪と、離婚したら働くこと……そしてしばらくしたら帰るので探さないでくれと手紙を用意した。これは街に出てから出そう。


 いつの間にか夜が明けて……朝が来た。ここで迎える朝も今日で最後だろう。旦那様が出て行く音が聞こえる。今朝はやけに早い。


 カーテンを少しだけ開けると、彼が馬に乗って駆けていく姿が小さく見えた。最後に後姿だけでも見ることができて良かった。


 そして私は旦那様にも今までのお礼と離婚したいと手紙に書いた。それを置くために、初めて勝手に彼の部屋に入った。私の部屋と寝室、そして彼の部屋は全て続き部屋になっている。鍵がかかっているだろうと思ったが、予想に反して開いていた。


 机に手紙と、以前作ったのに渡せていなかった刺繍入りのハンカチ……そして結婚指輪を外して置いた。


 部屋を出て行こうとする時、棚の中に可愛い犬のぬいぐるみが置いてあるのを見えてしまった。それは旦那様の部屋にはあからさまに異質で、似合わないものだった。


「これってまさか……」


 私は口元を片手で隠した。このぬいぐるみは絶対に子ども用だ。もしかして旦那様、外に子どもがいらっしゃるの?その子へのプレゼント以外考えられない。


 ああ、だから。だから私に『後継をつくる必要はない』と言われたんだ。納得してしまう。私と結婚したから、子どもを作るほど愛した女性と結ばれなかったのか。


「ごめんなさい……ごめ……旦那様……」


 私はもっと早くにここを去らないといけなかった。いや、そもそもお金のために結婚などしてはいけなかったのだ。私のせいで不幸な人が増えてしまった。


 部屋に戻って声を押し殺して泣いた。やはり出て行くことが最善だわ。ミアが何度も部屋の扉をノックして私を心配しに来てくれるが「一人でいたい」と拒否をした。


 そして私は誰にも内緒で出て行くことにした。私の部屋の前には大きな木が生えている。私は鞄を肩からかけてワンピースの裾をグッと膝の位置で結び、木に飛び移った。


 幼い頃の私はかなりお転婆で、木登りもお手の物だった。お母様に怒られて、渋々木登りはやめることになったが運動神経はかなり良い方だ。


 久しぶりにしたが、問題なく降りることができた。そして正面の門には人がいるので、裏からそっと出て行く。


 道の途中で辻馬車を拾い、とりあえず街まで出ることにした。結婚してからはずっと侍女や護衛がつく生活をしていたので、一人きりは久しぶりだ。少し緊張するけれど……きっと大丈夫。


 街に降りて、まずは質屋さんへ向かう。とりあえずのお金が必要だからだ。旦那様からもらった宝石やアクセサリーは全部置いてきた。お金も馬車に乗るための僅かな分だけいただき、他は手をつけていない。


「すみません、このイヤリングを売りたいのですが」


 私は自分の家から持っていたイヤリングを差し出した。これは成人のお祝いにお父様が買ってくださったもの。生活が困窮しても、これだけは売らなかった。だけど……今はそんなことを言ってられないし、金目の物がこれしかない。


「お嬢さん、本当に売っていいのかい?これはとてと良いものだ。大事なものじゃないのか?」


 そう言われて私は手が震えた。お父様の顔を思い出したから。


「やっぱり……やめます。ごめんなさい」


 私は頭を下げてとぼとぼと街を歩いた。お金がないんじゃ宿にも泊まれない。どうしよう。


 とりあえず孤児院へ行って、子ども達に会いに来たという理由をつけてしばらく匿ってもらおう。その間にどう夜を明かすかを考えたらいいわね!


 よし、そうしようと狭い路地に入ったその時だった。私はいきなり背後から手を拘束され、口を塞がれた。


「喋ったら殺す。抵抗せずについて来い」


 私は驚きと恐怖でガタガタと身体が震え出した。何これ?何この人?そしてそのまま大きな麻袋のようなものに入れられ、荷物のように担がれ連れて行かれた。




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