ジミー・アンデルセン 夜の終わり
「……ダメだな。完全に撒かれた」
「みたいだな」
街で一番高い時計塔から街を見渡しながら、フィアがそう独りごちる。目に見える景色は見慣れた街並みそのままで、人影一つ見当たらない。あれから暫く逃げた密猟者を2人で追いかけたが、結局一度も姿を捉える事はできなかった。組織立って潜伏しているから見つけられなかっただけだと思っていたが、個々人でも十分な逃走能力があったらしい。密猟者の脅威度を、一段階上げておく必要がありそうだ。
「それらしい人影もなし。それに物音もしないとなると、逃げ道を決め打ちして回り込む方がいいか」
この場合、見失ったからといって焦ると余計にドツボに嵌る。焦ったところでどうにかなる訳でもなし。それなら手あたり次第に行くよりも、一度論理的に考えて逃げ場に当たりをつけた方が効率的にいけたりする。
「なぁ、ジミー。ここに来て集団で行動する理由は何だ?」
「ん?」
どうしたものかと考えていると、不意にフィアが問いかけてきた。
「目的地があるなら、分散させた方がこちらを撒きやすいだろう。闇ブローカーの懐に入り込まれればこっちはお手上げだ。……だが、ここにはそいつらが管理してる場所はない。こんな何もない場所で集まる理由は何だ……?」
魔法省が手を焼いている魔法生物売買の闇ルート。それは魔法省であってもおいそれと踏み込めない伏魔殿となっていた。魔法生物のどれもが嗜好品として扱われ、金に糸目を付けない資産家が主な買い手となっているために巨額の金が動く。その金の匂いに吊られて強力なコネを持った権力者も手を貸すものだから目も当てられない。例え魔法省であっても、言い逃れ出来ない決定的な証拠がなければ捜査に踏み切ることもできないのだ。
その闇ルートの入口は各地に存在するが、ここにないことだけは事前調査でわかっている。隠蔽されればこちらも手が出せないが、そうでないならこっちも堂々と追い込むことはできる。問題はそれをわかっていながら、密猟者たちがここに集まったことだろう。
「纏まって何処かに移動する? ………あ、転移起点!!」
転移起点とは、転移の呪文を付与した物体の総称だ。使えるのは一回限りだが、それでも発動の瞬間に物体に触れていた者すべてを任意の場所に一瞬で移動することができる。あらゆる物が転移起点に成り得るのが強みで、昔は緊急時の脱出手段として使われていたらしいが、今は便利な移動手段として広く使われている。あれがあれば、密猟者たちはここから高飛びすることができる。フィアもそれを聞いて頭に手を当てている。
「しまった。その可能性があったか。……そうなるとマズいぞ」
「あぁ、飛ばれたらそれで終わりだ」
「ジミーは探知呪文は使えるのか?」
「使えるけど、今から虱潰しに探しても密猟者の方が早くに見つけるぞ。それなら、転移起点がありそうな場所を探した方がまだ追いつける」
転移起点はどんな物体でも可能。その長所はこの場合にとてつもなく面倒なものに成り代わる。何だってあり得るのだ。探すだけでも相当な手間になる。
一応、探知呪文と言って呪文が込められた魔道具を見分けられる魔法も存在するが、探知範囲が狭くてここじゃ役に立たない。
「ありそうな場所、か。探知呪文を掻い潜るならずっと同じ場所にあるのはマズい。となると別の場所から持ち運んだ可能性が高いな。昨日今日でここに運び込むとするなら…………あ」
ぶつぶつと、独り言を言いながら思考の海に潜っていたフィアの意識が浮上する。
「祭だ。明日は広場で祭がある」
「そうか、あの荷物の中に紛れ込ませれば……!」
明日は年に一度の精霊祭。会場である街の広場には昨日から大量の荷物が積み込まれているため、その中に転移起点を紛れ込ませるのは容易だろう。しかも今日持ち運ばれたなら、魔法使いの探知呪文にも引っ掛かりにくい。
「決まりだな。広場に向かうぞ」
「あぁ、転移起点で逃げられる前にとっ捕まえなきゃな」
作戦会議を終え、2人同時に時計塔から身を投げて空中へダイブする。内臓に掛かる浮遊感は未だ苦手だが、訓練で地上数十mの木の上から突き落とされた時に比べたら一瞬のことだ。すぐに受身をとって、落下の勢いを推進力に変えて再び屋根の上を疾走する。魔法生物の生態調査のために高い場所に登ることも多いからか、こうした高所落下と受身の訓練は結構頻繁にやらされる。それが巡り巡って密猟者の捕縛任務に活きてくるのだから、人生何が役立つかわからないものだ。
「こういう時、箒が使えないのは不便だな」
「悪かったな。こっちは魔法学校に行けてないから箒が使えないんだ」
「……あぁ、済まない。気を悪くするつもりはなかった」
「いいって、気にするな」
魔法界において、箒は魔法学校初年度の教育課程を修めなければ外での使用は認められていない。覚えるのは簡単らしいが、それ故に事故を起こすのは目に見えているからだ。
古来より魔法使いの乗り物と言えば箒が第一に挙げられるが、その認識は間違いではない。置き場所を取らず、重量もそこそこで持ち運びに不便はない。人間界の自転車よりも便利な乗り物は魔法界で瞬く間に広まったらしい。一時期は箒に対抗して空飛ぶ絨毯が販売されたらしいが、単価が高く富裕層ぐらいにしか売れなかったため結局箒が生き残ったらしい。
人間界でも魔女・魔法使いの乗り物といえば箒であるが、それは貴族の使用人としてひっそりと暮らしていた魔法使いが、魔女狩りの追手から逃げるために咄嗟にその場にあった箒で飛んで逃げた話が元ネタとなっている。それが童話の中に取り入れられ、今の一般常識に結び付けられている。
「ッ、いたぞ」
「あぁ。ビンゴだ」
屋根伝いに走っている最中、前方に見覚えのある集団が見えた。こちらの予想通り、広場に散らばって何かを探している様だ。やはり脱出方法は転移起点か。なら、それを見つける前に捕えるだけだ。
「【威よ】」
「【縛りよ】」
敵が気付いていない内に、こちらから仕掛ける。俺は攻勢呪文を、フェイは捕縛呪文をそれぞれ放って一人ずつ無力化する。が、削れた戦力はそこまで。俺たちに勘付いた敵が転身して一斉に法器を構えた。
「屋根の上だ! 手が空いてる奴は迎え撃て!」
「【火よ】」
「【雷よ】
「【吹き飛ばせ】」
迎撃に放たれた魔法を、屋根を走りながら回避する。一ヶ所に纏まっていては数の差でゴリ押される。フェイに目配せをすると、同じことを思ったのかすぐに距離をとって挟撃できる位置に移動する。流石に一年先輩なだけあって瞬時に察してくれる。これで火力が分散してくれればよかったが、向こうも中々厄介な手合いで、転移起点の捜索係のすぐ近くに常に護衛が張り付いていた。敵ながら実に嫌な《イイ》仕事をしてくれる。こちらが最優先で無力化したい対象をわかった上で厳重に守っている。その腕があるなら何処だろうと鳴り物入りで迎え入れられるだろうに、どうして犯罪者側に行ったんだ……。
「捌き切るのも手間が掛かるな………そこッ、【威よ】!」
呪文の応酬の中。一瞬できた隙を突いてフィアに意識を向けていた敵を背後から襲う。発火呪文を使っていた敵だ。可燃物が多いこの場だと火事になりかねない。後処理のための修復呪文は一応修めているが、燃え尽きた物までは直せない。後顧の憂いは早めに断つべし、だ。
「見つけたぞ! 全員こっちに来い!」
「げっ……!」
「ジミー! そこから狙えないか!」
「やってる、が! 守りが固くて狙えない!」
密猟者の反抗は一層過激になる一方だ。まぁ逃げ道ができれば当然と言えば当然だが、攻め手に欠けるこっちとしてはあまり嬉しくない奮闘だ。素直にお縄についてくれれば、その分だけ睡眠時間が確保できるというのに……!
攻勢の手を強めている間にも、密猟者たちはきっちり守りつつジリジリと転移起点の下に後退していく。発見者が掲げているのは、両手で抱える大きさのゴブレット。祭りでは古物商の掘り出し物が売りに出されることもあるが、今回はその中に紛れ込ませたらしい。
「ホンッとに良い腕してんなぁ! 守りがガッチガチじゃねぇか!?」
敵の連携の上手さの所為か、悪態の中に賞賛が混じる。攻勢呪文と防御呪文をそれぞれ分担して発動しているため、要塞のような堅牢な守りにこっちの動きを阻害する牽制。攻めにくいことこの上ない。
「くっそ……!」
そうして攻めあぐねていると、ついに密猟者たちがゴブレットの周りに集結した。
「全員寄ったな! それじゃあ飛ぶ……あ゛ッ!?」
もう無理と諦めかけていたその時。密猟者の掲げていたゴブレットがふわりと宙に浮く。予想外の事態にこっちはポカンとして、一方の密猟者は声を荒げている。しかしそんな密猟者たちを差し置いて、ゴブレットは吸い寄せられるようにある方向へ飛んでいった。
「まったく、最近のアルバイトは優秀過ぎて困るな」
ゴブレットの吸い寄せられた先。そこに立っていたのは白髪交じりの髪をオールバックにした偉丈夫だった。スーツの上からロングコートを纏い、右袖からは義手が顔を覗かせ、顔中にある古傷が堅気ではない雰囲気を漂わせている。
「ボス!?」
「支部長!?」
「おう、よくやったなお前ら。アルバイトにしちゃ大したもんだ」
呵々と笑い、頼もしい言葉を返してくれるこの堅気に見えない人こそ、俺たちの直属の上司だ。
魔法省環境保全局魔法生物保護課ルーマニア支部
支部長 アーノルド・ドラグネイツ
ルーマニア支部最強の戦力が、応援に駆けつけてくれた。
だが、それが全てではなかった。
「……さぁ、後輩がここまで頑張ったんだ。お前ら! 大人の意地を見せて見ろ!!」
『『『おう!』』』
支部長の号令に合わせて、次々と正規職員が広場に現れる。士気は十分。今か今かと、感情に煽られて呪文が発動しかかっている者もいる。どうやら支部長が掻き集めれるだけの戦力を掻き集めてくれたらしい。四方八方から密猟者たちを射程に捉え、それぞれが逃げ出さないように法器を構えている。
逃げ道を封じ、数の差も覆した。戦いの趨勢は、既に決していた