鏡の神秘
次回、最終話です
ここまでお付き合いくださいまして、感謝申し上げます!
誤字報告、助かります。
ガドランシアは誘われるままに、少年の手を取る。
公式な場所で踊るのは初めてだ。
ぎこちない彼女の腰を、少年は優しく支える。
見ればみるほど、少年は端正な顔立ちをしている。
その瞳の中に、篝火が揺れていた。
ガドランシアの鼓動は早くなり、唇が、ほんの少し開く。
「あなたは、誰? 何処から来たの?」
「僕は、そう……オネイラ。遠い、遠い国から来た……」
「綺麗……」
呟くガドランシアに、オネイラは微笑む。
惹きこまれそうな笑顔。
「あなたこそ、美しい」
頬を染めて踊るガドランシアを見たピクティスは、不快な表情を隠さない。
「なんだ、俺と言う婚約者がいながら! よその男に色目を使って、はしたない」
「君が、ガドランシアのエスコートをしっかりしていれば、他の男性とダンスすることもなかっただろうがな」
ピクティスの両肩を誰かが押さえる。
首だけで振り返ると、体の大きい、ピクティスの父よりずっと年上に見える男がいた。
「離せ! 俺を誰だと……」
「ペディオ家の坊ちゃん、だろ? 年上の者に対する敬意が育っておらんな」
「何を! じじい!」
「ピクティス!」
父の声をピクティスは聞いた。
そしてあろうことか、父はピクティスの頭を、『じじい』に向かって下げさせた。
「失礼しました、プラバトー伯。よく言って聞かせますので、ええ、婚約の件も含め。今夜のところは、これくらいでお許しください」
プラバトー?
ガドランシアの親戚か。
なんで伯爵の父が、子爵に詫びている?
なんで俺に、頭を下げさせるのだ!
憤懣やるかたないピクティスであったが、父に引っ張られ、その場を離れた。
潤んだ瞳でダンスの相手と向き合う、ガドランシアの姿を横目で見ながら。
演奏が終わる。
オネイラはガドランシアの手甲に、キスを一つ贈ると立ち去ろうとする。
「あ、あのっ!」
首を傾けたオネイラに、ガドランシアは尋ねる。
「また、またいつか、会えますか?」
「あなたが悩み苦しむような、そんな時には駆けつけましょう」
オネイラはするりと、篝火の向こう側へ姿を消した。
ガドランシアがダンスを踊っている頃、マルガリーナはシャンテルを探して、篝火の周りをうろうろしていた。
「シャンテル、何処に行ったの?」
「ねえ君、どうかしたの?」
マルガリーナに声をかけたのは、同じ年くらいの少年だった。
人懐っこい茶色の瞳でマルガリーナを見ている。
小動物のような表情に、マルガリーナはなんとなくほっとして答えた。
「一緒に来た女の子と、はぐれてしまったみたいなの」
少年はマルガリーナに言う。
「だったら、門の近くで待っていれば会えるんじゃない?」
「そうかなあ……」
「そろそろ蓮の葉流しも始まるから、行ってみよう」
彼はマルガリーナに、蓮の葉を一枚渡す。
近くで見ると、端正な顔の少年だった。
少年は慣れた手つきで篝火から灯を取り、蓮の葉に乗せる。
「こっちからの方が近いんだ」
少年は人混みを避けて、門の側の川辺まで案内する。
「そっと、浮かべてごらん」
マルガリーナは言われたとおりに、蓮の葉を水面に浮かべる。
「わあっ!」
次々と目の前を灯りが流れていく。
徐々に篝火は小さな炎になり、王宮の敷地内は暗くなる。
水面はいくつもの灯りを映し、まるで満天の星空のようだ。
「初めてなの、夏至祭。綺麗ね、とっても」
「豊穣の女神、プローシャ様に捧げる灯りだからね。……僕はルイコフ。君は?」
「マルガリーナ」
「よろしくね、マルガリーナ」
邪気のないルイコフの笑顔に、マルガリーナの顔が染まる。
すると、少し離れた処から、マルガリーナを呼ぶ声が聞こえた。
振り向いたマルガリーナは、シャンテルが走ってくる姿を認めた。
◇◇◇
それはシャンテルがまだ、養父母の家にいた時。
養母ビオレスは、シャンテルに二つの手鏡を渡した。
「プラバトー邸には、長男と長女、次女がいるの。長男は、王宮にお勤めだから、あまり顔を合わす機会もないと思うのだけど。長女のガドランシアは、ちょっとクセがあってね。下のマルガリーナは人見知りなの。だからね。
あなたが素顔のままで邸に行くと、ちょっと大変だと思うわ」
ビオレスが渡した黒い鏡は、自身の顔の美醜を変えられるという。
「普通は、美しくなるように、鏡にお願いするのだけど」
シャンテルは、プラバトー家に行く前に、黒い鏡にお願いした。
決して目立つことのない、顔形にして欲しいと。
「赤い鏡は、体の大きさや、声の調子を変えることが出来るそうよ。とは言っても、わたくしは使ったことがないの」
夏至祭では、ダンスの相手がいないと落ち込むかもしれないガドランシアのために、シャンテルは男装の麗人になることを祈った。
そして養父の古い衣装を、仕立て直してもらったのだ。
シャンテルは、ダンスも楽器も習得している。
何よりも。
男性の視線を集め続けた、過去生の経験があるからだろうか。
男性から、どんな眼差しで見つめられると女性はうっとりするのかを、十分に分かっていた。
マルガリーナが、自分を探しているは分かっていたので、ガドランシアとのダンス後、すぐにマルガリーナのところに向かうつもりだったが、何やらどこかの小さき騎士が現れたので、しばらく見守っていた。
ただ、シャンテルは背後から彼女を見続ける視線には、この時は気付かなかった。
◇◇◇
王宮内の一室で、第二王子は機嫌が良かった。
「何かいいことがありましたか、ルイコフ様」
侍従が声をかける。
「ああ、ずっと会いたかった人に逢えたんだ」
「なるほど、豊穣の女神様の恩寵でしょうか」
ルイコフは、五歳の時にお茶会で出会った、一人の少女のことが忘れられなかった。
彼の婚約者を見繕うお茶会だったというが、出席していたどこかの馬鹿のせいで、寒々しいお茶会となってしまった。
その馬鹿にからかわれても、ドレスの裾を握って、耐えていた少女。
少女の健気さに、心ひかれた。
篝火の元でその少女を見たけた時、ルイコフは女神に感謝した。
蓮の葉を一緒に流すことが出来て、もだえるくらい嬉しかった。
今度は王妃に頼んで、プラバトー家にお茶会の招待状でも送りたい。
夏至祭の夜は、こうして終わった。
オネイラ この国の言葉で「愛」の意味。
ルイコフ この国の言葉で「狼」の意味。
なお、グラクト王国のでは、「狼」は神の使いとして知られている。