プロローグ シャンテルとマルガリーナ
本作品は、仙道アリマサ氏主催「仙道企画その3」参加作品です。
プロローグ
首を絞められたはずだった。
やりたいことはすべてやった人生。だから未練はなかった。
絞めた相手は、かつての夫。
そして長らく一緒に寄り添ってきた、男の息子。
屋敷に火が回った時に、ふと男は手を緩めた。
傍らで息絶えた侍女に、私の衣を着せる。
「逃げろ」
そう聞こえた。
炎はそこまでチロチロと、悪行を咎める人々の、口元の如く床を這う。
逃げられるわけがない。
だが。
彼の最後の漢気を、私は受け入れた。
そして、薄衣一枚の姿で、炎の中に身を投じた。
時に西暦756年7月15日。
大陸の四大美女と言われた、楊玉環の最期である。
◇◇シャンテル
シャンテルは産みの親を知らないが、育ての親はいる。
親というより祖父母のようだ。
ただし血のつながりはない。
養父はスミューダ・プラバトーという、このグラクト王国のれっきとした伯爵である。
彼は嫡男に爵位を一つ渡し、王都から馬車で一日程かかる領地で生活している。
シャンテルは生後間もない頃に、育ての親たちの領地内に捨てられていたという。
プラバトー家の侍女が見つけ、慌ててスミューダを頼った。
白い肌に黒い瞳を持つ赤ん坊を、スミューダと夫人は引き取ることにした。
シャンテルの名は夫人が与えた。娘が生まれたら、つけようと思っていた名前だった。
伯爵夫妻によって、シャンテルは学問や芸術、貴族としての所作と嗜みを身に付けた。
伯爵夫妻の邸には、ごく少人数の使用人しかいなかった。
夫人も家事労働をいとわずに、侍女たちと邸をきりもりしている。
自然にシャンテルも加わった。
スミューダは毎日領地内をまわり、農作物の出来や家畜の健康を細かく調べ、指示を出している。
シャンテルはスミューダと一緒に畑に入ったり、仔牛や山羊と触れ合ったりしながら、領地経営のイロハを学んでいた。
シャンテルは夫妻の教えを素直に受け、すくすく成長した。
真っすぐな黒髪と大きな黒い瞳を持つシャンテルは、五歳を過ぎる頃には、人目をひく美少女に育った。頼もしい養父と優しい養母に慈しまれる日々は、ずっと続くとシャンテルは思っていたのだ。
ある日、夫人がシャンテルを呼ぶ。
「あなたは、これから王都に行くのよ」
「お、う、と?」
シャンテルは首を傾げる。シャンテルの瞳は、さらに大きく輝く。
「王都には息子の家族がいるの。そこで学校に行って、もっともっとお勉強なさい」
夫人は、シャンテルに小さな手鏡を二つ手渡す。
赤い縁の鏡と、黒い縁の鏡である。
「シャンテル、あなたは可愛いわ。とても、とても可愛い。八歳の今より、これからもっともっと美しくなるの。決して親の贔屓目ではなく、ね。だから、息子の家に行ったら……」
シャンテルは二つの手鏡を握りしめ、夫人の話に大きく頷いた。
「鏡の使い方は、これでわかったわね」
夫人の話が終わると、夫人はおもむろにシャンテルを抱きしめた。
「本当は、あなたがお嫁に行くまで、一緒にいたかったわ」
「わたくしも……」
ずっと一緒にいたかったです、お母様。シャンテルはそう言いたかった。
シャンテルの瞳に、小さな涙が浮かんだ。
夫妻と血が繋がっていないのは、シャンテルも理解していた。
でも、できるだけ長く、一緒にいたいと願っていた。
せめて、今世では……
今世?
自分の頭に浮かんだ言葉の意味を、シャンテルはまだ知らなかった。
それから数日後、プラバトー家の紋章をつけた馬車に乗り、シャンテルは王都へと向かった。馬車の中で彼女は、養母から貰った黒い手鏡に自分の顔を映した。
「えっ!? これは一体……誰?」
鏡の中には、シャンテルよりもだいぶ年上の、女性の姿があった。
黒髪を結わえ、切れ長の黒い瞳がシャンテルを見つめている。
瞬間。
シャンテルの脳裏には鮮やかな映像が流れた。
それは、グラクト王国ではない異国の景色だった。
咲き誇る大輪の花に囲まれ、指先でつまんだ白い果実を頬張る女性。
女性はたくさんの侍女たちに、湯あみの後、衣服を着せてもらう。
女性が歩くと、廊下の両脇に居並ぶ者たちは、次々と平伏していく。
『あなたは、傅かれた。
長い間、たくさんの人たちに』
流れる楽曲。舞う女性。
一段高いところから、豪華な椅子に座って女性を見つめる男性。
女性よりもずっと年上の表情をしている、身分が高そうな人。
『だから今度はあなたが傅き、導くのだ。花開く前の、乙女たちを』
パチンッ!
水泡が割れる音が響く。
シャンテルは、鏡に映った女性に見覚えがあった。
そう。
鏡の中で花のように微笑む女性は、シャンテルに、とても似ていた。
◇◇マルガリーナ
陰鬱な冬が過ぎ、野原には花がほころび始める。
グラクト王国は春を迎えた。
明日は王立高等学園の入学式である。
王立学園は、十二歳以上の貴族の子弟が通う学校である。
王都のプラバトー家に引き取られたシャンテルも、学園に入学する。
プラバトー家の次女である、マルガリーナと一緒だ。
二人とも真新しい制服を嬉しそうに眺めている。
「楽しみですね、リーナ様」
シャンテルに声をかけられたマルガリーナは目を細める。
「ええ、シャンティーと一緒だもの」
微笑むマルガリーナは、出会った頃とは比べ物にならないくらい、麗しい乙女の姿をしている。
その笑顔を見たシャンテルは、涙が滲みそうになる。
ここに至るまでの道のりを、思い出したからである。
それは、三年前のこと。
スミューダ・プラバトーの嫡男ドワーキは、父より譲り受けた子爵位を持つ。いずれ伯爵を受け継ぐので、高位貴族と同じ扱いを受けている。
ドワーキには嫡男と二人の息女がいる。
嫡男のドリスは学園を優秀な成績で卒業し、三年前より文官として王宮に仕えている。
長女のガドランシアはシャンテルやマルガリーナより二歳年上で、十歳の頃、侯爵家の嫡男と婚約している。ガドランシアは、学園内でも有名な美貌の持ち主である。
末っ子息女のマルガリーナは、兄や姉と比べると、とりたてて目立つものを持っていない。
兄や姉は、ドワーキによく似た金髪と碧色の目を持ち、学業も貴族としての嗜みも器用にこなしている。
翻ってマルガリーナの容姿は、ネズミ色の髪にこげ茶色の瞳。瞼が腫れぼったいため、目の大きさも姉の半分くらいだ。
母と姉は、白い陶器のような肌をしているのだが、マルガリーナは慢性的な発疹症状を抱えているため、顔には赤黒いブツブツが出たり消えたりしている。
「お前、気持ち悪い!」
マルガリーナが七歳の頃のことだ。寒い季節だった。
姉と一緒に貴族子弟のお茶会に招かれたのだが、マルガリーナの肌を見た、どこかの令息が吐き捨てた。
マルガリーナの肌に、冷たい風が突き刺さった。
以来、マルガリーナは、人が集まる場所は苦手になった。
なるべく肌が隠れるような髪型をするようになる。
家族以外の人と会話することは、ほとんどない。
貴族の令嬢は、学園に入学する前に、然るべき相手と婚約することが多いのだが、マルガリーナはまだである。まれに先方から打診されても、マルガリーナは、拒否していた。
シャンテルはドワーキ邸に引き取られた時に、夫人から諭された。
いくらスミューダ伯の養女になっていても、本来の身分は平民である。
「あなたはマルガリーナの侍女として、生活をするように」
「かしこまりました」
あの日、鏡の向こうから聞こえた声。
『あなたが傅き、導くのだ。花開く前の、乙女たちを……』
シャンテルは侍女として、マルガリーナと寝起きを共にするようになる。
侍女とはいえ、彼女の身の周りの世話を少しするだけで、姉妹のように暮らすことを許されていた。
人見知りの激しいマルガリーナであるが、シャンテルには少しずつ打ち解けるようになる。
「ねえ、シャンティー」
「なんでしょう、リーナ様」
「これ、見て」
愛称で呼び合うようになった頃、マルガリーナがシャンテルに絵本を見せた。
それは、幾多の困難を乗り越えて愛を全うする、王子と姫の物語。
「わたくしね、こういうお話に憧れるの」
ぽっと頬を染めて微笑むマルガリーナは、まるで野に咲く花のようである。
「リーナ様もいずれ、どこかのご子息とそうなりましょう?」
マルガリーナは首を横に振る。
「わたくしは、無理。お姉さまみたいに美しくないわ。お兄様ほど頭の出来もよろしくないし……」
そう言いながら、マルガリーナは自分の手で首のあたりを掻いた。
今も顔や首をはじめ、体には赤いブツブツとした発疹が現れている。
重そうな瞼も、それが理由だ。
「リーナ様」
シャンテルは、マルガリーナの掻く手を止めた。
かわいそうに……
シャンテルは水に浸した布で、マルガリーナの首をそっと拭く。
マルガリーナの顔の造形は、決して悪くはない。
されど、赤い発疹が浮かぶ肌は、気味悪がられ、忌避される。
貴族を診る医者たちも、何度か薬を処方したが、あまり効き目はなかった。
症状がひどい時のマルガリーナは、夜眠れぬほどだ。
血が滲むまで掻こうとするマルガリーナの手を、シャンテルはそっと押さえる。
「ごめんなさい、シャンティー。あなたまで、起こしてしまって」
涙ぐみながらマルガリーナは詫びる。
その泣き顔は、シャンテルの胸を打った。
なんとかして差し上げたい!
ふと、シャンテルの頭に浮かぶ、大きな白い花。どっしりとした桂の木。
そうだ!
これなら、なんとかなるかもしれない!
お読みくださいまして、ありがとうございます!
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