07.脅威を断つために
「と、いうわけで今すぐ警備兵を動かす許可をいただきたい。」
南支部。正式名称は自警団及び衛兵詰所。もしくは警備兵詰所南塔。自警団と衛兵を纏めて『警備兵』と呼ぶので、どちらも正しい。どちらにせよ、皆揃って通称の南支部の名で呼ぶのだが。
他の東西北と中央も、ただ南の部分が各位置に置き換わっているだけだ。全部で五つの塔から、この町の治安を監視している。
私が所属するのは南。その南支部の会議室にて、私は上司に直談判をしていた。内容は勿論、魔法文字と町に迫る驚異について。
「待ってくれ。口を挟む暇も無かったからここまで黙って聞いていたが、それは本当なのか?いくら何でも突飛すぎる。証拠はあるのか?」
「あります。疑うのであれば、今すぐにでも例の魔法文字が刻まれた場所までご案内します。」
「いや、しかし…」
「ロベルト隊長。一刻を争うのです。早急なご判断を。」
「……うむ…。」
ロベルト隊長。精悍な顔付きのこの男は、ポルマーレの衛兵を纏め上げる隊長だ。各部隊長の直属の上司となる。他にも自警団を纏めるデリック団長、各支部の職員を纏める所長─南支部の場合はノーマン所長で通称南所長─、警備兵の管理を一手に担うアンドレ人事管理長などがいる。人事管理長というと隊長、団長よりも上に思えるが、組織図としては同列である。デリック団長以外は皆、私の直属の上司にあたる。
「ロベルト隊長」
「わかったわかった。君がタチの悪い冗談を言うとも思えないしな。すぐに手配しよう。」
「ありがとうございます。」
「礼はいい。その話が本当だとしたら、礼を言わなきゃならんのはこちらだからな。それより、準備は手伝ってくれるよな?」
「遺漏なく準備しております。」
「そうか、流石だな。助かる。ではまず、アンドレの元へ向かおう。それで問題ないな?」
「はい。」
「よし。では行こうか、フリィ部隊長。」
ロベルト隊長の後に続いて、中央本部にいる筈の人事管理長の元へ向かう。彼の許可を得、東西南北中央の警備兵を動かすのだ。ポルマーレは広いので、それくらいしないと間に合わない。ただでさえ、あの魔法文字は見えにくい場所に隠されているのだから、余計にだ。
騒動が起きてないか横目で確認しながら町中を進み、中央へと到着する。警備兵詰所中央塔。通称、中央本部。警備に関する様々な手続きは、主にこちらで行う。更に上の人間とのやり取りも、ここの職員が行っているのだ。つまり、事務仕事が主な担当になる。勿論、警備兵詰所の名を掲げるくらいなので、警備兵もそれなりの数が在中しているが。
「ロベルト隊長と、フリィ部隊長?お疲れ様です。何かご用ですか?」
私達二人の姿を確認した受付嬢が、不思議そうに声を掛ける。確かに私が隊長と二人で居るのなんて、それこそ部隊長になった時の手続き依頼だから無理もないのかもしれないが。
「ああ、少しな。アンドレ人事管理長を呼んでくれないか?急用だ。」
「!、畏まりました。少々お待ちください。」
流石、中央はよく教育されている。隊長の急用という言葉を聞いて、すぐに只事ではないと悟ったらしい。不思議そうな表情を一瞬で引き締め、上へと取り次いでくれている。これならばすぐに話が通りそうだ。
「お待たせいたしました。四階、人事管理長室に直接お通しするようにとのことです。」
「助かる。案内は不要だ。」
「畏まりました。」
迅速な対応。素晴らしい。三分も掛からなかった。
私は内心、拍手を送りながら受付嬢に軽く頭を下げる。それから隊長について四階へと向かった。
塔の中はそこまで複雑ではない。上へ螺旋状に伸びる階段が中央にあり、その周囲に部屋や空間が存在している。部屋と言っても階段を上ったら直で室内、というわけではなく、階段をぐるりと取り囲むようにして各部屋への扉が設置されているのだ。さながら何かの儀式のようだと常々思う。前後関係もわけがわからなくなるので、ルームプレートは必須だ。出来れば壁に東西南北の文字を刻んでほしいものだ。
さて、そんなことを考えている間に四階である。人事管理長室もまた、ネームプレートがなければ見分けがつかない。こんなに判別がつかないというのに、扉は全て同一の物がはめ込まれているのだ。何でも、敵襲時の判断力の撹乱の為だとか。果たしてそれが上手く働くのかどうかはわからない。何せ私が見た時にはあの状態だったもので。
「アンドレ、私だ。入るぞ。」
ゴンゴン、という力強いノックと共に発される言葉に、扉越しのくぐもった声で「どうぞ」と聞こえる。その言葉でロベルト隊長が扉を引けば、隊長越しに部屋の中が確認できる。
部屋の奥で執務机につく、一人の姿も。
「急用、と言うからにはそれ相応の事態なんだろうな。」
ロベルト、と。線の細い、眼鏡の男が続ける。立派な体躯のロベルト隊長とは1と100程の差がありそうだ。勿論、物理的な体格だけで言ったらその通りなのだろう。少なくとも組み手には絶対に向いていない。
「ああ。詳しい説明は、そこのフリィ部隊長がしてくれる。だろう?」
「はい。」
しかし、ロベルト隊長が軽く小突いたら骨の折れそうなこの男。単純に強さで比べれば、ロベルト隊長と遜色ないというのを私は知っている。
「ポルマーレ衛兵隊所属、第一部隊所属のフリィ部隊長であります。お久しぶりです、人事管理長。」
「久しいな、フリィ部隊長。最後に会ったのは貴女の昇進以来だから、随分と前になるか。貴女の話はよく耳にするから久々に会った気がしない。」
「左様でございますか。」
「相変わらず堅いな。」
「性分なもので。」
「そうか。それなら仕方ないな。」
アンドレ人事管理長はそれ以上無駄話をすることは無く、「で、詳細は貴女からとのことだが。」と続けた。
「僭越ながらお話させていただきます。結論から申し上げますと、ポルマーレに危機が迫っております。」
「危機だと?」
「それも、既にポルマーレ中にその種が蒔かれているのです。芽吹くのも時間の問題かと思われます。その種が芽吹く前に根こそぎ摘み取って枯らしてしまいたい、その為の人員が大量に必要です。」
「一体何なんだ、その危険な種とやらは。」
神経質そうな切れ長の目を更に細めて人事管理長が問う。それに一呼吸おいて、私は告げた。
「魔法文字です。」
「魔法文字、だと?」
アンドレ人事管理長は訝しげに私の表情を伺う。嘘をついていると思っているのだろうか。しかし、その反応に対し、理解はできる。
何故なら、魔法文字など国が管理する魔術学院でしか習わない。
しかも魔法文字の習得はかなり難しいと聞く。それもその筈で、現代に合わせて作られた使い勝手のいい魔術式や魔術文字と違い、魔法文字は古代から使用されている古い文字だ。威力は強いが使い勝手が悪く、読解も難しく、組み立ても複雑で日常使いに向かないどころか、少しの組み立てミスで大事故が起こる。実戦にも向かない。
今では実際に使用する為というよりは、歴史学などの一環として学ぶという傾向が強いと聞く。魔術学者、研究者などは履修を勧められるかとが多い、というレベルだ。
つまり、実際に使う人間など、高齢の魔術士含めもう殆ど存在しないのだ。
「部隊長、本気で言っているのか?魔法文字かどうかの判別がつくということは、貴女も知っているだろう。魔法文字がただの古代文明の産物と成り果てていることに。」
「しかしこの目で見たのです。信じられないと言うのならお連れします。」
アンドレ人事管理長は、じっと私の顔を見つめる。暫しそうした後、片手を眉間にやって小さく溜息を吐いた。
「………頭が痛くなるな。ここで報告だけ聞いていても仕方ない。私が直接行こう。その方が早い。」
「は、承知いたしました。」
アンドレ人事管理長は執務机に手をついて腰を上げると、後ろの上着掛けにある布をサッと手に取る。それから素早く羽織り、胸の前で留め具をとめた。
濃紺のケープに、金の留め具。ケープには金糸で細やかな刺繍が施されており、留め具には紋章が刻印されている。留め具と同様の紋章が襟の部分にワンポイント的に刺繍されているのが、よく見える。
国が認めた魔術士。その証であるケープ。
魔術学院を卒業し、且つ一定水準を満たさなければ身に付けることを許されないそれは、羽織るだけで周囲にひと目で『国が認めた魔術士』なのを知らせることができる。
そのケープを慣れた手付きで身に付けるアンドレ人事管理長は、言わずもがな魔術士だ。その中でもかなり腕の立つ方に分類される人。子供でもわかるように簡単に言い表すなら、『すごく頭が良くて、すごく強い魔術士』だ。
「ほお。お前がそれを着てるところを見るのは久々だ。外にも出ず、ずっと書類に埋もれているしな。」
「喧しい。私だって最初の内は着たまま仕事をしていた。だが、それだと魔術には集中出来ても書類仕事には集中出来ないことに気が付いたから止めたんだ。」
「たまには息抜きに修練場に来てもいいんだぞ?」
「少しでも離れたら馬鹿みたいに積み上がる書類を前に抜け出せると思うか?息抜きで体を動かせるならとっくにそうしてる。……第一、私は魔術士なのだから、根っからの理系なんだ。それなのに書類仕事など、まさに文系の独壇場のような仕事を毎日毎日……向いていないことをさせるのが一番非効率的だと何故理解しないのか。」
ぶつくさと文句を言いつつも、私の「行きましょう」の一言は聞こえていたようで、二人ともついてくる。しかし、アンドレ人事管理長の愚痴は留まるところを知らないようで。
「なら、異動願いを出せばいいじゃないか。」
「馬鹿言え。後任も決まらないまま、私がここを退いたら終わるぞ。人事管理長と言いながら、人事以外の書類も全て回ってくるんだ。」
「なら、後任を探すところからだな?」
「これだけの仕事を回せる人間が現時点でこの組織内にいたら、とっくに叩き込んで半分は任せてる。それをしていない時点でお察しだろ。」
「上に掛け合ったらどうだ?」
「とっくの昔から数え切れないほどしている。それでも何の音沙汰も無い。ウチの最高責任者も腐れ野郎だが、さらにその上の治安維持管理責任者も腐れ野郎ってことだろう。」
「おいおい、気持ちはわかるが聞かれたらどうする。」
「私がそんなヘマをするわけないだろう。最初から私達の周囲に防音の魔術壁を張っている。」
ロベルト隊長は「そうだったのか?」と少々驚いたように言った。
魔術壁とは、その名の通り魔術で周囲に張る壁のことだ。魔術壁と一言に言ってもその種類は様々で、よく『○○の魔術壁』という言い方をする。
魔術は術式を組んだ後に自分の魔力を込めて発動させるものなので、使用する際に周囲に魔力の流れが発生する。
ロベルト隊長は魔力がほぼ無いに等しいと聞いたので、魔力の流れを感知出来なかったのだろう。私は気付いていた為、外に出ても愚痴を止めないアンドレ人事管理長を止めることは無かった。無いとは思うが、防音無しであの様な内容を話していたら流石に止めていた。
「はァ………。ひとつ、ふたつ上がいつまで経っても腐れ野郎から変わらないのだから、あの話も信ぴょう性を増してしまうというもんだな。」
「あの話?ってのは何だ?」
「お前も知らないわけじゃないだろう。今の領主の話だ。正確には領主代理のドラ息子の話だが。」
「ばっ、おま、さすがに」
「だから問題無いと言っているだろう。」
「だからと言って……」
「不審な動きをするな。そちらの方が如何にもといった様子で怪しく見えるぞ。」
キョロキョロと周囲の様子を伺いながらアンドレ人事管理長を見るロベルト隊長。フリィには位置的にその様子は見えていなかったが、アンドレ人事管理長の言葉で何となく想像がついた。
現在のポルマーレの領主の話。それはフリィの耳にも届いていた。信ぴょう性はどうであれ、上に近いほどよく聞く話である。
現領主は病に伏せっており、公務につくのは難しい状態。その息子が領主代理として動いているが、噂ではかなりの道楽息子で、周囲のまともな人間が苦労しているらしい。
しかもその息子にまともな進言をする人間に対し解雇通知を出しては、自分に都合のいい人間をその位置に置くのだとか。
アンドレ人事管理長の言葉を借りるならば、つまりは腐れ野郎である。
しかし実際にその様子を見たことは無い為、どうにかただの噂話で留まっているのだ。ドラ息子だからこそ顔を出さないのかもしれないが、そもそも領主の息子が頻繁に町に顔を出す暇があるかと聞かれたら口を閉じざるを得ない。
「しかしなぁ……。もしお前の言う通り、上が本当にその状態ならば、この町はどうなってしまうんだろうな。」
「さぁな。貴族でもない、ただの魔術士にはそんなことわからんよ。」
「お前がただの魔術士なら、他の魔術士は魔術士を名乗ることも許されんだろう。」
「お前は私を買い被りすぎだ。ただ人より少し魔力が多く、術式を組むのが趣味で得意ってだけだ。」
「いや、充分じゃないか??」
そんな風に愚痴からただの雑談に移って少し経ったところで、例の魔法文字を見付けた場所に到着した。
焦げも煤も何も無いその場所は、可愛らしいこじんまりとした店が建っている。窓越しに見える店内には雑貨が並んでおり、その多数が記憶で床に転がっていた物と一致した。ここで間違いなさそうだ。
それに何よりも───
チリンチリン
───ドアベルの軽い音が響き、扉がこちら側に向かって開く。
人の姿が確認できないままに開いたドアを不思議そうに見つめる上司二人の前、私は視線を下げた。
「……??……!!……もしかして、お客さん?」
ぴょこりとドアの影から姿を表した幼子は、私を見、上司を見、不思議そうな顔をした後にハッとしてそんなことを聞いてくる。
「いいえ、ごめんなさい。お客さんではないの。お母さんは居るかしら?少しお話があって。」
「お母さん?いる…ます!ちょっとまってて!」
パタパタと跳ねるように店内へ戻っていく幼子は、間違いなく私の知っている女児だ。日常の中にいるだけあって、あの時より余程元気に見える。こちらが本来の姿なのだろう。
「フリィ部隊長。本当にここで合っているのか?」
「はい。………あぁ、正しくはこの店の裏ですよ。店内でもないし、ここの店員が犯人ってわけでもありません。恐らくですが。」
「…そうか。」
先程の幼子と、魔法文字による脅威という物騒な単語が結びつかなかったのだろう。変な顔をしたロベルト隊長がそんなことを聞いてきたが、あくまでこの人らは被害者だ。…と、思っている。
チリンチリン
「まぁまぁ、衛兵さんじゃありませんか。私に何か?」
ドアが開くと共に姿を表した女性は、目を丸くしてそう問う。綺麗に髪を結って清潔な服を身に付けている為一瞬別人に見えたが、しっかり確認すれば間違いなく部屋で倒れていた女性と同じ顔だった。
チラリと隣の上司を確認すれば、無言で頷かれる。ここは私に任せるということだろう。言い換えれば「お前が取り仕切れ」ということだ。
「突然の訪問、失礼しました。お察しの通り私は衛兵隊所属、第一部隊長のフリィと申します。こちらは衛兵隊長のロベルト隊長、中央のアンドレ人事管理長です。」
「あらあら、そんな方達がどうしてここに……?」
「何も貴女に非があって参ったわけではありません。」
困惑しつつも不安げな奥さんに、それだけは先に伝えておく。誰でもいきなり警備兵が来たら驚くだろう。
アンドレ人事管理長の魔術壁は、ここの全員を取り囲むようにして張られている。先程女児と話した時に一瞬消してくれたのだが、母親が出てきた時点でもう一度張ってくれたようだ。流石、有能である。
「少々事情がありまして、貴女の店の裏を調査させていただきたいのです。」
「お店の裏…ですか?」
「はい。………実を言うと、そこに危険物が隠されている可能性があるのです。それを安全に取り除く為、私共はこちらにやって来ました。少々物々しい雰囲気にはなってしまうのですが、調査の許可をいただけますでしょうか?」
「き、危険物っ!?」
奥さんはそう声を上げた後に、ハッとした顔になって両手で口元を覆う。安易に聞かれてはいけない内容だと判断したらしい。流石、あの女児を育てた親なだけあって頭の回転が早く聡い。
「ご安心を。実はアンドレ人事管理長が防音の魔術壁を張ってくださっていますので。」
「あ………そ、そうですか。そう言えばその服、魔術士の方の………。」
ホッとしたような奥さんの言葉に、アンドレ人事管理長は軽く頭を下げ会釈する。言葉にせずとも伝わるというのは楽で良いものだ。
「あ、えっと、調査の許可……でしたね。それは全然構いませんが……ウチの店や、家族は大丈夫なんでしょうか?」
「危険物を放置したままだとまずいでしょうね。ですが間に警備兵を挟めば、危険だということは恐らくないでしょう。それでも、調査中は避難していただくことになりますが。」
「調査はどれくらい掛かるのでしょう?あまり長い間商売が出来ないと、赤字になってしまいますので……。」
不安げな表情でその様なことを聞いてくるあたり、やはり商人だなと思う。ただ店番をする店員ではなく、経営にも携わっている人なのだろう。
出来れば私から何か伝えられたら良かったのだが、魔法文字に関しては専門外だ。ここは履修済みのお方に聞くのが早い。
「アンドレ人事管理長、どうでしょうか。」
「ふむ……そうですね。今すぐに完全な排除というのは難しいでしょうが、隔離だけならば一日も要らないでしょう。しかし完全に取り除くのであれば、最低二日は欲しいところですね。」
「───とのことですが。」
「……………最低二日ということは、もっと伸びるかもしれないってことですよね。」
「そうですね。しかし、何事も命には替えられない。そうは思いませんか。確かに、貴女方商人にとっては金は命に等しいかもしれませんが、一度失うと戻ってこないのは命の方ですよ。」
私が言うと、説得力に欠けるかもしれないが。
「………わかりました。確かに、貴女の言う通りです。ところでウチは店と家が繋がっているのですけど、避難はどちらにすれば?」
「そこはご安心ください。塔の避難所がありますので。」
アンドレ人事管理長がそう説明する。目の奥がどことなく死んでいるのは、また仕事が増えるのが確定したからだろうか。少々申し訳ない。
「それでは、一旦確認ということで、店の裏を拝見しても?」
「ええ、構いません。」
「では念の為、ここで構いませんので、外に出ていてもらってもよろしいですか。」
「わかりました。───レイン!おいで!」
「なーに?お母さん。」
母親の呼び掛けに応じ、中からちょこりと顔を出したのは母親の子である女児だ。先程はつけていなかったエプロンを付けている。
「衛兵さん達がやることがあるから、お外に出てなさいって。だからお店の手伝いは一旦終わりよ。」
「そうなの?」
そんな会話をする母娘を横目に、私達は店の裏へと移動する。店の裏には木箱が多数積まれていて、その殆どが空箱のようだった。恐らく商品を搬入した時の物で、次の搬入の際に木箱を返却するのだろう。
魔法文字があったのは確かあの辺だ。今は積み上がった木箱で見えなくなっている、あそこの壁。その場所を指差し告げる。
「あの辺りです。先に木箱をどかします。アンドレ人事管理長、発火したら危険なので、この辺り一帯に水の魔術壁を張っていただいてもよろしいでしょうか。」
「いや、それは駄目だ。どんな魔力に反応するかわからない。張るなら貴女に直接付与しよう。こちらに来てくれ。」
言われた通りに近付くと、アンドレ人事管理長はどこからか取り出した片手に収まる杖を持ち、空中にその先を走らせる。私は読めないが、薄く光を帯びた魔術文字と思わしき線が、杖先を走らせると同時に虚空に現れる。特殊な魔道具である杖で、魔術文字を組み合わせた魔術式を書き、そこに各属性の魔力を込めて魔術を発動させる。それが魔術士による魔術だ。
遠い昔には己の魔力だけで発動する魔法が存在し、魔術士の代わりに魔法使いがいた。魔法の補助として魔法文字が存在していたとされている。が、今は魔法使いは存在しない。正しくは、己の魔力を魔術式を介さずに魔法として使える人間が存在しないのだ。遠い昔の魔法使いがどうやって魔法を使っていたのか、その記録が殆ど残っていない。研究者達は長年、この魔法の謎について研究していると聞く。
そんな魔術が発動し、私の体を魔力が包み込んでいく。少々肌寒くなったのと、呼吸の度に湿度を感じることから、私自身を水の魔術壁で包んだのだと理解した。この様な芸当、中々お目にかかれるものではない。
「流石ですね。感謝します。」
「おいアンドレ、俺にも頼む。手伝うぞ、部隊長。」
アンドレ人事管理長がロベルト隊長に同様の魔術を掛けると、ロベルト隊長は「ありがとな」の一言の後、片手で次々に木箱を退かしていく。いくら空箱といっても、木製でしっかりとした作りの箱はそれなりに重いはずなのだが。そんなものは微塵も感じさせずにひょいひょいと動かしている。少々羨ましい。
ロベルト隊長の手伝いもあり、あっという間に木箱が退けられた場所を確認する。すると、そこには鮮やかな青で書かれた魔法文字があった。煤汚れのない点だけが記憶と違う。間違いなくこれだ。
「ありました。アレです。」
指と視線で示し、報告する。その姿を隠していた木箱を退ければ、これだけ目立つ青だ。きっと他にもすぐ見付かるだろう。しかし、中々目立たぬ場所にあるのを考えると、町中ひっくり返す勢いで捜索しなければいけなさそうだ。
「これは……!」
魔法文字を確認したアンドレ人事管理長は、驚きに目を見張っている。これで信じて貰えただろう。
「………なぁ、さっきからどこを見てるんだ?」
「…?そこですが。」
「うん?俺は目が良い方だと思うんだが、注意が向けれてないだけなのか?参ったな、気付かない内にその辺りが衰えているのかもしれん。」
ロベルト隊長は目を細めたり、視線を色々な箇所に移したりしている。………何かおかしい。あんなに目立つものが、隊長に見えぬわけがない。普通ならば。
「───魔道具か。」
ポツリ。アンドレ人事管理長が一言そう呟く。
「魔道具、とは。」
「魔力を持たない者には見えない、特殊なインクがあると聞いたことがある。まぁ、実際に完全に魔力が無い人間は存在しないので、一定以上の魔力を保持する人間にしか見えない、と言った方が正しいか。」
「そんな魔道具が存在するのですか。」
「ああ。その証拠に、ほら。意識を集中してみろ、フリィ部隊長。微かに魔力を感じる。」
「───!、確かに感じます。」
言われて集中してやっと気付くくらい微力ではあるが、確かに魔力を感じる。まさかそんな仕掛けがあったとは。
「そうなると厄介だな。一定以上というのがロベルト程少ない人間だけ見えないのか、それとも私ほどの魔力がないと見えないのか。後者だと非常に困る。」
「一度、一般的な魔力を有する衛兵を連れてきた方がよろしいかもしれませんね。」
「そうだな。その結果から、また考えよう。」
私もそれなりに魔力はある方なので、いざとなったらポルマーレを駆け回ることになりそうだ。
「なあ。何やら二人で話が進んでいるが、つまり俺が見えないのは普通で、俺は別に衰えてないってことでいいんだな?」
「そういうことになるな。」
「ああー、何だ良かった。久々に焦ったじゃないか。」
「本当に衰え始めている可能性もあるのだから、気を抜くなよ。」
「な、何でそんな怖いことを言うんだ?」
コロコロと表情の変わるロベルト隊長に、アンドレ人事管理長は鼻で笑う。ここまでで思ったが、アンドレ人事管理長はロベルト隊長に気安いだけでなく、何やら扱いが雑だと思われる。
「とにかくこれは暫定対策として隔離しておこう。魔法文字の解読及び本対策はその後だ。」
そう言うと、アンドレ人事管理長は細やかに魔術式を書く。こちらからしてみれば文字というより図形で、描くと表現する方がしっくりとくるのだが。
それらがひとつの魔術となって魔法文字の近辺を覆っていくのを、魔力の流れで感じる。恐らく反魔系統の魔術だろう。途中で明らかに式ではなく陣になっていたことから、範囲魔術に適した『魔術陣』を発動したのだと思われる。
「よし、これで良いだろう。見た目ではわからないから、わかり易いように簡易看板でも立てておくか。」
「立ち入り禁止にした方が早くないか?」
「それだとポルマーレ中が立ち入り禁止になる可能性もあるだろう。」
アンドレ人事管理長の言う通りだ。ポルマーレの殆どの場所が立ち入り禁止になるかもしれない。ここはわかり易いように紐でも張って、そこに貼り紙をしておけばいいと思う。入場制限の時に使う鎖と同じだ、
「何にせよ、部隊長の言うことは本当だったらしい。疑って悪かった。」
「いえ、気にしておりませんので。」
アンドレ人事管理長の謝罪に、片手を上げて断る。今はそれよりも、早く対処してほしい。
「では、一度本部に戻ろう。ああいや、適当な衛兵を捕まえて検証するのが先か。」
「そうですね。きっとこの時間なら巡回している者がいるでしょうし、誰か連れてきます。少々お待ちいただけますか。」
「わかった。頼んだぞ。」
軽く会釈をした後、裏から通りに出る。パッと見だと衛兵は居ない。
誰か居ないかと首を回したところで、横から声が掛かった。
「あの、調査はどうでしたか?」
「………ああ、申し訳ありません。大変お待たせいたしました。」
見れば、不安そうにこちらを見る母娘だった。正確には母親だけだが。娘の方は、母親の腕の中できょとんとしている。
「………実を申し上げますと、やはり危険物は存在していました。」
今は防音の魔術壁も張られていない為、母親の耳元に口を近付け、小声でそう告げる。そうすれば母親は驚きに目を見開いた。事前に伝えていても、本当にあったとなると驚くのだろう。
「まぁ、そんな……。」
「今は調査を進める為に他の衛兵を探しているのですが、見掛けませんでしたか?」
「あ…ええと、それならさっき───」
困惑顔のまま母親が何かを伝えようとしたところで、更に別の人物から声が掛かった。
「あれ?隊長じゃないですか?」
賑わう町中でも耳に届く、よく通る声。
くるりと後ろを振り向けば、片手に小さな紙袋、もう片手には焼き串を三本持った不真面目とも取れる様子の部下。
隣に別の第一部隊員を連れた、ソルが立っていた。