東屋
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彼女との距離がさらに縮む。そうすると彼女の甘い髪の毛の匂いがする。ギーと木の軋んだ音がした途端、牛蛙が一斉に声を潜めたが、一匹、又、二匹と鳴き始め、やがて大合唱となる。暫くすると前方に淡い灯りが見え出す。
「あの灯りが見えるところは水上の東屋なんですよ。」
「東屋があるんですか?」
東屋に着くと四本柱のとても簡素な作りとわかる。正面の二本の柱を過ぎて中に二人が入ると突然牛蛙の鳴き声が止んだ。驚いて彼女を見ると今まで闇に閉ざされて見えなかった素顔がはっきり見て取れる。なかなかの美人だ。オフィースガールという感じで茶褐色のブラウスにタイトな黒のスカートを履いている。
「牛蛙の鳴き声が一斉に止みましたが、どうしたのですか?」
「客人を東屋にお招きした時は鳴かないのです。」
信太はわかったようなわからないようなといった感じだ。
この東屋の真ん中には大きな食卓が一つ、椅子が二つある。卓上には既に果物や酒瓶、ちょっとしたツマミがあって、ワイングラスも用意されている。
「どうぞ、こちらの椅子にお掛け下さいな。」
「ええ。」
窓も壁もないので涼風が吹き抜けて気持ちがよい。
「それにしても蚊がいないですね。」
「牛蛙は何でも食べます。」
「そうですか。」
「お酒はお飲みになられますか?」
「ええ、ワインが好きなのですが。」
「それではご用意致します。」
「いや、そんなにまでしていただかなくても結構です。料亭を見に来ただけですから。」
「せっかく来られたのですから、どうぞ。」
彼女はいとも簡単にコルクを抜いてグラスに注ぐ。
「ところで、料亭に来るお客さんは今夜、来られるのですか?」
「ええ、皆さん遅くお見えになります。」
「そうですか。」
「失礼ですが、お名前は?」
「信太と言います。みんながそのように呼んでいますから。」
「それじゃ、私はケイコで。」
「ケイコさん?どんな漢字を書くのですか?」
「蛙の虫偏を人偏に置き換えて下さい。」
「ああ、わかりました。それで、この燻製のつまみですが、見たところイカと違うようですね。何ですか?」
「これは牛蛙の燻製です。」
「牛蛙ですか。フランスを旅行した時に燻製ではないですが、かたつむりを食べました。最初、食べられないと思っていたのですが、フランス人が美味しそうに食べるので、釣られました。それが本当に美味しいんですよ。」と信太は言って破顔する。
「私も試しに食べてみたいわ。旅はかなりなされたのですか?」
「はい、一年半、海外を旅行しました。それで数日前に帰国しましてスイスで会った友達の下宿先に寝泊りしているわけです。」
「それで、ショウブ荘においでなのですね。」
「はい。」
ほろ酔い気分で旅の話をあれこれしているうちに急に時間が気になる。
「もう遅い時間ですね。今日はこれで失礼します。」
「まだ料亭をご覧になっていませんが、次の機会にでも?」
「はい、そうさせていただきます。」
水上の東屋




