ヘルシンキ中央駅正面入口
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列車がソ連の国境を越えて間もなくするとフィンランド人の税関吏が乗り込んで来た。歳も若く透き通った青い瞳。信太はその目を見た途端、モスクワでのつらい一夜が掻き消されるように思われた。この税関吏はパスポートを見て微笑みを浮かべて彼に返す。リュックサックを調べることさえ思いつかないようだ。
列車はヘルシンキの駅に着こうとしている。同じ列車に乗っていた本田はすぐにスウェーデンへと向かうと言うのでお互いに別れの挨拶をする。以後、信太は一人旅の正念場を迎える。
ヘルシンキは日本の東京や大阪と比べ物に成らない程の小さな町である。信太は欧州のユースホステルの住所を記した一冊のガイドブックを携えている。それを見て優に歩いて行ける場所であると確認すると徒歩で向かった。目的のユースホステルに着くと受付カウンターへ。しかし、受付嬢が喋る英語がどうも分からない。今まではお決まりのコースでこれと言って英語で話す機会がなかったが、ここでは事情が異なる。
まごつく信太に受付嬢が宿泊カードに記入を促し、なんの誤りもないことを見て取ると笑顔を作って部屋までへの行き方を教えてくれる。
翌日、ユースホステルは昼間閉っているので、宿泊できる夕方まで外をぶらぶらするしかない。ヘルシンキに着いた時の駅に戻って構内を見て歩くとセルフサービスの食堂がある。お腹が空いていたので、見た目にこれならいけると思うものを選んで食べたのだが、「じゃがいもピュレ」が格別に美味しかった。満足した態で構内から正面口を出る。見上げると真ん前のビルの二階に大きなカフェ&レストランがあるのに気付く。くつろぐつもりで足を運ぶと、テーブルを囲んで数人のアジア人が一塊になって話をしている。見たところ日本人のようなので、丁度信太の前を通り過ぎようとした一人に声を掛けてみた。
「日本の方ですか?」
「そうですよ。」
「もう、こちらに長いんですか?」
「いいえ、一ヶ月前に来ました。」
飲んで喋っている日本人を見ながら、
「このフィンランドには一年程前に来たことがあるんですよ。」
「そうですか。」
「いつ、フィンランドへ?」
「昨日、着きました。」
「今、どこにお泊り?」
「ユースホステルですが、一日中、おれないんですよね。」
この見知らぬ人はもう少し長く当地に逗留したいのだが、今の数人との同居生活は性に合わないらしく、二人でアパートを借りる相棒を探していた。彼の名前はニックネームで「トウ」と言い、その場で意気投合してアパート住まいを一緒にすることを決める。
「明日、又、この時間にここで会って、アパートを探しましょう。」とトウは提案する。
「オッケー」と信太。
こうして、翌日からトウとアパート探しが始まった。二人で住むので割り勘であるが、手ごろなアパートが直ぐに見つかる。大家さんは年老いた寡婦である。手際よく、「電気のスイッチはここだ」、「台所用品はここにある」といった具合に教えてくれる。一室しかないから簡単な説明で十分である。最後に、「家賃は、今、一か月分支払うことと毎月、同じ日に支払うこと」と言う。その場で、二人で支払うと今まで険しそうにしていた老婆の顔に笑みが浮かび、大事そうに札束を抱えて、そそくさとドアの向こうに姿を消した。
トウは、大家さんが見えなくなるなり、
「何だか、がめつそうな老婆やね。」
「そうなんだ」と信太は相槌を打って、「しかし、しっかりしている婆さんやね。」
「この国は男性が戦争に取られて、残るは老人と婦女子だけであったんだよ。女性は生計を立てるためにレストランを経営したりしたので強くなったらしい。」とトウは説明する。
信太はこの国の歴史を全く知らないので、頷くだけである。
ヘルシンキ中央駅正面入口 ー ランプを手にしている4体の像