タンジェ - モロッコ
1(1)
フェリーは定刻通り、タリファを出航しタンジェに向かう。甲板には百人ぐらいの人がいるだろうか、殆どの乗船客が大西洋を眺め入っている。信太もその中にいて、遠くを眺めると白い波が幾重にも砕けて見える。船べりに目を落すと海面すれすれに大きな魚が泳いでいるのに気付く。イルカが群れをなしているわけではないし、おかしいなと信太は思ったが、隣にモロッコ人の家族連れがいるので、一家の主と思われる人に彼は声を掛ける。
「あれはなんでしょうね?」
「どれ?」
「ほら、あそこです。」と指で示す。
「ほお、大きいね。鮫が一頭、迷い込んだかな?」
「それにしても背びれが鮫のではないような。」
「そうだね。」
「頭のところだけが何だか人間の髪の毛のように見えますね。」
「そう言えば深海魚にオールフィッシュというのがいるんだけど、頭の上に赤くて長い髪のようなものがあるんだよ。」
「オールフィッシュ?」と信太がおうむ返しに言う。
オールフィッシュというのは、和名でリュウグウノツカイ(竜宮の使い)のことである。深海魚で海面に姿を現すことは珍しい。
「でもその髪の毛、黒色に見えます。」と信太。
「深海はまだ謎だらけだから変種みたいなものがいても不思議ではないね。」
いろいろと二人で話しているうちに、その未知の生物は船底の下に潜り込んだようで、また姿を見せるかと思ったが、二度と現われなかった。
「君は旅行者かい?」とこの一家の主は信太に尋ねる。
「はい、そうです。」
「どこまで行く予定?」
「今のところは予定はありませんが、モロッコを縦断します。」
「僕たちはモロッコの首都、ラバトに住んでるんだけども、よかったら一緒に来る?車で来ているんだよ。」
「ご迷惑でなければ。」
このようにスイスイことが運んで車に同乗することになる。フェリーはタンジェの波止場に着き、家族と連れ立って信太は車が駐車してある船内へと向かう。車は大きなものだが、子供三人と大人三人なので、人員超過ではないかと彼は案じるが、主はとんとお構いなしのふうだ。前後の車に挟まれてトロトロと進み船内からやがて、船外へ。少し走ると税関だ。役人は車中の人を一人ひとり丹念に眺める。
彼はパスポートの提示を求められると思いきや、それはなく税関を通り抜ける。信太は「こういったことってあり?」と思うが、この主は富裕層階級なのか、上流階級なのか、関吏は何も尋ねることはなかった。
ジブラルタル海峡に面した港町、タンジェ




