赤の広場 ー 衛兵交代式
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信太のモスクワの宿泊先は「赤の広場」の近くである。彼は日本人グループと数人の外国人ツーリストと赤の広場にある官邸の門番の交替劇を興味津々に見ている。
「何、これ?機械仕掛けの人形のようだね。」と傍らにいた日本人に信太は話し掛ける。
「これと同じようなものが各国にあるらしいよ。」
「ふーん」と応えて門番の一挙一動を見守る。
信太には操作されているものと映じたのは無理からぬものがあろう。共産国は上からの命令は絶対服従という観念が信太にはあった。それに自由主義国と共産主義国は疑心悪鬼を生じる間柄である。不信を抱くのも無理からぬことだ。音楽ではチャイコフスキーの「白鳥の湖」を聴くのが大好きだし、トロイカ(ロシア民謡)を愛唱し、文学ではレオン・トルストイやフョードル・ドストエフスキーの作品の愛読者なのだが、ただ単に共産主義国に対する不信、恐怖、冷たさが信太の心を支配していたのだ。
信太は宿泊ホテルに戻ってくる。モスクワは首都ということで安心感を抱いていたが、それもすぐに吹き飛んでしまう。当ホテルは古くて厳めしいものであったが、彼の部屋は一人部屋にしては大き過ぎるぐらいで長ぼそい形をしている。それも家具らしい家具はなく、あるのは部屋の片隅にポツネンと面積を占めているベッドのみ。KGBが幅を利かせていたので、さては人を監視するために空間を大きくとって見張っているのかなと、ふと、そういった想念が頭を掠めた。夜も更ける頃、ベッドに入って天井を仰ぐと日本のより五倍は高い。このだだっ広い部屋に独りいると思うと言うに言われぬ寂しさがひしと胸を襲ったが、それも一瞬のことで疲労感が軍配を上げたのか、深い眠りに落ちていった。
翌朝、モスクワへ同時に足を踏み入れた数人の日本人は「これからドイツへ」「パリへ行く」などと言って散り散りばらばらに旅立ってゆく。信太はというと列車でフィンランドの首都ヘルシンキに向かう。この列車には日本人の本田という男性が一緒であった。これで横浜発の日本人は二人のみとなった。
フィンランドまでは数時間の列車の旅である。レニングラード(1991年以降、サンクトペテルブルクと呼称)に近づくに連れて信太は窓外に壮大で美しい街並みを目の当たりにする。フィンランドとソ連の国境近くに来た時、ソ連の税関吏が列車に乗り込んで来たのに気づいた。税管吏は信太を見るなり、リュックサックに目をつけ、いかめしい態度でその中身を一つまた一つと取り調べる。
「これは何か。」
「チューイングガム。」と信太。
税関吏は「さもや」と思って尋ねたのか、チューイングガムと知って尋ねたのか、ニコっと笑ってリュックサックにチューインガムを押し戻すが、それが最後で取り調べは終わった。信太はほっと息をつき窓外の単調な景色に再び見入る。その後、チューインガムを幾ら探してもリュックサックの中にない。日本では子供でも買えるチューインガムがソ連では希少価値なのだ。リュックサックに戻されたように見えたが、実のところ、ポッポナイナイされていた。とにかく、今となっては遅過ぎる。後の祭りと言ってよい。
赤の広場 ー 衛兵交代式