国鉄C61形蒸気機関車20号機
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時は過ぎ信太はもう二十歳。やっと成人だ。大学生である。渡航を決行する前に信頼する先輩に海外旅行を相談することにする。
「お話をしたいことがあるんですが、」と信太は話を切り出した。
「海外渡航を考えております。」
「それで、行って帰って来てどうするんだ。」とこの先輩は無愛想に尋ねる。
彼は答えようもなく、
「今は行くしかないんです。その後のことは先ず渡航を成功に終わらせてから考えます。」
「うむ、、、日本で、君は何もないのに、又、大学も中途半端で、それで海外で成功させようなんて無茶な話だ。」と一笑に付されてしまう。
きっと信太の将来を案じてのことだと思うが、日本の風土、社会を生き抜いて来て「出た釘は打たれる」をそのまま体現している先輩だ。突拍子もない海外旅行を即座に「是」としないことは頷ける。しかし、この時の信太にどのように理解できよう。
「ともかくもう決意したのだから成功を心から祈っている。」とはなむけの言葉。この身の上相談はものの数分も経たないうちに終わる。
海外渡航もまじかに迫った一ヶ月前、やっと、父に旅立つことを信太は話す。
「いいことだ。行って来い。」と父。
「出発の前に宮崎の実家に行こう。」と付言する。その口調から父も行ったことがない様子だ。急遽、時間を見つけて九州にある宮崎に向う。前日、深夜に発って一日がかりの列車の旅で、着いたのは夕刻、数十軒しかない小さな村だった。信太が驚いたのは村人のすべてが信太と同じ姓なのである。
父は行く前に祖父の末弟の子供の一人に連絡を取っていたのだが、その農家を探し当てる。
「ごめん下さい」と表玄関で父が声を張り上げると、中から、三十歳ぐらいの男性と女性が出てきて「よく来られました」と丁寧に迎えてくれる。父はこの男性と初めての面識なのだが、父方の親戚であることは物腰や表情が父に似ていることで分かる。
「どうぞどうぞ、お入り下さい。遠いところからお疲れでしょう。」
「これが倅の信太です。」と紹介する。
「初めまして。」と信太。
「この村にやってきた理由はお父さんの電話連絡でよく聞いて知ってるよ。」と信太に言って「それにしても、うちの息子と顔かたちがそっくりでびっくりした。」
「お幾つですか?」と父が尋ねる。
「六歳です。今、外で友達と遊んでいますが、そのうち帰って来ますよ。何歳ですか?」と信太のほうを振り向いて尋ねる。
「二十歳になったばかりです。」
「おじいさんは若いうちに亡くなったから、お父さん以外は見たことがないんだよね。」と信太を見ながら喋りかける。
「いえいえ、それがほとんど憶えてないんですよ。」と父が応える。
「伯父さんは転勤で遠いところをあちらこちらと行ってたし、遺品と思われるものは戦争で焼失したのか全くないですが、ただ亡くなる直前に帰郷したこともあり病の床に伏していた時に書き残したと思われる日記が出て来ました。」
国鉄C61形蒸気機関車20号機 ― 1971年から1973年まで宮崎機関区で走行