08 アゼリアの傷心
アゼリアは家に帰ると久しぶりに、マハの住む別棟を訪れた。ユーリの心が離れ始めてから、彼女に会うのが憂鬱になった。
すぐにでも相談するつもりだったのに。
まずは人払いをしてから、マハがお茶を淹れてくれる。
「それでね。ユーリ殿下の事なのだけれど」
「リリアに攻略されちゃった?」
マハがあっけらかんとした口調で言う。
「攻略って。とても軽い言い方ね」
アゼリアが気を悪くしたように言う。
「もしかしてユーリの事好きになっちゃってたの?」
「いいえ、それほどでも」
「そう」
といってマハは静かに頷いた。
しばらく二人は黙って紅茶を飲み、焼き菓子をつまんだ。
「それにしても一年か……ユーリ、随分ながくリリアに落ちなかったのね。普通は三ケ月くらいなんだけれど、意外に粘ったわね。バグっているのかしら、あの第二王子。
それで、アゼリアはどうするつもり?」
アゼリアはマハの言葉に力なく笑う。
「修道院へ行くしかないわね」
「割り切れるなら、ユーリと結婚したら? 多分リリアは王妃になりたいと考えているだろうから、ローガンと結婚するわよ」
「それが、そうでもなさそうなのよ。陛下が反対していてね」
するとマハが目を見張る。
「え? 何その話。初耳なんだけれど。
ゲームでそんな設定なかったわよ。
まだ反対しているの? 割とすんなり国王と王妃に認められるはずなんだけれど」
そこで、こつこつこつとドアをノックする音が響いた。
「はい、どなた?」
マハが返事をすると本館の執事の声が聞こえる。
「アゼリアお嬢様はいらっしゃいますか? ユーリ殿下がお越しです」
後手に回った。ユーリに先に婚約を破棄されるようだ。そんなの気持ちが、心が、耐えられない。
「私は、具合が悪くて寝ていると言って」
アゼリアが執事にそう命じた。
次は婚約破棄を言い渡す側になると決めている。
♢♢♢
しかしやはり心はじくじくと痛む。婚約破棄するにはまずコーリング侯爵である父シモンに話しを通さなければならい。
アゼリアは、ユーリに会いたくないばかりに病に臥せっていることにした。
それなのに、彼は毎日コーリング家に見舞いに訪れた。
風邪をうつすと困るからと言って、アゼリアは一切彼に会わなかった。
当然家族は「殿下と何かあったのか?」と心配したが、話す気力がない。
そして、ユーリはアゼリアに手紙を置いていった。
読むのが怖くて、アゼリアはそれを火にくべた。
♢
四日目の朝、重い気持ちを抱え学園に行くことにした。
いつまでも逃げているわけにはいかない。
しかし、今度ばかりは「アゼリア、お前との婚約を破棄する」などと宣言されたくはない。
自分から言わなければ、暗い決心を胸にアゼリアは馬車に乗り学園に向かった。
そして学園で目をしたものに驚愕した。
リリアの右隣にはローガン、左隣にはユーリ、それから騎士団長の息子のケイン、宰相の息子。将来有望な若者が皆リリアの周りに侍っている。
勇気をだして、彼らのそばに近づくも、皆不審げにアゼリアを見る。ユーリまで、アゼリアが誰か分からないような冷たい視線を送ってくる。
アゼリアは逃げ出した。そこには貴族令嬢の矜持などない。
♢♢♢
家に帰るとすぐに父の執務室にいった。
「お父様、ユーリ殿下の御心はもう私にはないようです。だから、婚約を解消させてください。私は修道院へ行きます」
するとシモンが驚いたような顔をする。
「何をいっているんだ。アゼリア、ユーリ殿下から心が離れたのはお前の方だろう?
ユーリ殿下は、お前が仮病をつかっている間も心配して足しげく通ってくだっさたのに。なぜそのようなわがままを言う。
まさか、まだローガン殿下がよいのか?」
父がアゼリアを咎めるように言う。
「違います。ユーリ殿下は学園で別の女生徒と……」
そこまで言うとシモンは察したようで、顔色を変える。
「何? それは確かなことなのか?」
気の強いアゼリアが、泣きそうになって頷く。
「わかった。アゼリア、少し落ち着くのだ。賢いユーリ殿下がそのような愚かな振る舞いをするとは思えないが、お前が言うのならば、調べよう」
父が力強く請け負ってくれた。
そしてその後も、ユーリはコーリング家にやって来たが、アゼリアは頑として彼に会わなった。
話しがあるのならば、学園ですればいい。それなのに彼は学園ではリリアのそばに侍り、アゼリアをいない者のようにあつかう。
アゼリアは学園で必死に虚勢を張っているが、「第一王子にも第二王子にも袖にされた」と貴族の子弟に笑われている。
今日も学園の食堂で、リリアに周りには王族を初めとして名だたる貴族の令息が集っていた。リリアの軽やかな笑い声が食堂に響く。
最近ではリリアに反感をもち、アゼリアにすり寄って来る者もいる。
そんなもの達と食堂でランチを囲むのはみじめだ。
「アゼリア様、リリアが許せません。伯爵家の抗議に行きましょう! 一緒に戦いませんか?」
アゼリアは首を横に振る。そんなみっともない真似は出来ない。アゼリアの行先は修道院だ。もちろん家の為に慰謝料は貰うが。
アゼリアはユーリを少し恨んでいる。
彼と婚約してからの日々は穏やかで楽しいものだった。
優しく紳士的なユーリの態度に夢を見てしまった。彼がとても素敵だったから。
一度も彼が甘く愛を囁いたことなどないのに……勝手に心が動き、知らずにときめいて。
アゼリアは彼と婚約を結んだことを深く後悔していた。
♢♢♢
その日、学園から帰ると最近毎日のようにコーリング家に来ていたユーリが訪ねて来なかった。
来たとしても会うつもりはないが、見捨てられた気分だ。
きっと書面で婚約の破棄を求めてくるのだろう。
会って伝えてこようとしたのは、せめてもの彼の誠意かもしれない。心変わりをしておいて誠意も何もないが……。
♢
「お嬢様、遅い時間に申し訳ございません。マハ様がお会いしたいそうです」
夕食が住み部屋に籠るアゼリアにメイドがそう告げる。確かに訪ねて来るには遅い時間だ。それに彼女のほうから、アゼリアを訪ねて来るのは珍しい。
「そう、じゃあ、通して」
マハにしばらく会っていなかった。彼女に相談してもどうなることでもない。婚約破棄は家同士の事だ。
しかし、状況は知らせておくべきだろう。
「それが、あの、マハ様が……」
メイドが言いよどむ。
「どうしたの?」
「別棟のご自分の部屋に来てほしいと。あのお嬢様を呼び出すのは失礼だと言ったのですが」
確かに、雇われの身でアゼリアを呼び出すとはいい度胸だ。アゼリアは気にしないが、メイドはかなり戸惑っているようだ。
「わかったわ。心配しないで、今行くから」
たまには気分転換もいい。
アゼリアはショールを羽織り、月明かりが煌々とさす夜更けに別棟に向かった。