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ひなげしの鉢

作者: てまり


 

 「――おはよう」


 「あっ、おはよう」


 目を開くと、僕のとなりには短髪で元気な笑顔の少女がいた。


 少女は、肌と身に着けたワンピースの境目が分からないほどにシミもしわもない雪のような白さに、薄く脆い陶器のそれを感じさせる。簡素な身なりの少女には、部屋の壁から延びた2本の無骨な太さのケーブルが手首から肉に潜り込んでいる。まるで飼い犬を鎖につなぐかのように重苦しい物に見えた。

 

 周囲を見渡しても、そこは天井に不必要に明るい光源が1つだけ。

 窓1つない白い立方体の中で、二床のベッドだけが明るく照らされる。

 これが僕一人であれば、ともすれば誘拐や監禁といった犯罪を思うものだが、隣に座る少女のおかげで僕は自然と落ち着いた。


 その少女は今、僕の動きづらい不自由な腕をさすっている。

 

 「はやく元気になればキミもこの病室から出れるのにね」

 

 「いきなりここを出ても何もすることがないよ」

 

 僕はなんでここにいるのか分かってないが、なんとなくここにいる必要性を感じていた。

 僕の返答に少女は、眉を大げさに寄せてからほほ笑んだ。


 「わたしもだ!!」


 屈託ない笑顔を見せた少女に、僕は視界が激しく揺すぶられるように感じた。

 なぜだかそれほどに、少女の笑顔が僕には受け入れられなかった。

 本質的に僕とは異質、別物なんだろう、と。

 たぶん、おそらく、僕にはこんな風に笑えないだろう。その必要もない。

 羨ましいとも思わない、そう達観できるくらいの距離を少女に覚えた。


 声を詰まらせた僕は、少女から視線を逸らすようにベッドの上に投げ出されたひどく反応のにぶい体を見下ろした。

 少女に労わられているこの体も、いっそ存在しなければよかった。そうすれば不便を不便とも感じないだろうし、見ず知らずの他人に一方的に慰められることもないのにと悔しくなる。

 

 「わたしこの病室から出たことないんだ。ここから出るころには幸せとか言われたんだけど……見たこともないのに勝手に言われてもねぇ」


 「あっでもねでもね、今日からはキミと一緒だからさ。おしゃべりとか楽しいね」


 「ベッドから動くと危ないらしいよ、少しくらいいいのにねぇ」


 僕のことなど構わずにしゃべり続ける彼女の会話は、言葉のキャッチボールというより投球練習のように一方的だ。そんな少女は僕の手と自分の手を重ねて、


 「そう言われたならその通りにしたら?」


少女を冷たくあしらうと、つまらなそうに頬を膨らまし、彼女は正面のベッドに潜り込んで丸まってしまった。


 僕はその様子をしばらく眺めていたが、彼女のベッドから寝息が聞こえたころには僕もすっかり寝入ってしまっていた。




 「――おはよう」


 「おはよう」


 目が覚めると、少女は自分の布団の上から僕に笑顔を向けている。

 

 「何が楽しいのさ」

 

彼女の笑みに、まだ慣れていない僕は棘のある言葉を投げかけた。。


「キミがよく眠ってたからつい……ね、ごめん」


「そんなの普通のことだろ」


「まぁ……ね、でもさ、寝るのってなんか怖くならない? 起きれなかったらどうしよう……とか? 」


「昨日布団にもぐってすぐに寝てただろ」


 「昨日……あっ、そうだね。うん。たしかにたしかに」


 ばつが悪そうにする少女は、少し時間をかけて答えを返した。どうにもむず痒くなるやり取りからも、少女のぎこちなさからも会話に不慣れなことがよくわかる。


 そも、日々密室で何をするでもなく植物のように過ごしているのに、目覚める時間を気にするのも無意味じゃないのだろうか。特に予定が有るわけでもないだろうに。


 「――寝てても起きてても大して変わらないじゃないか」


 「……たしかに、たしかに」


 目にかかる前髪に息を吹きかけて退屈と戦っている少女は、僕の反論のせいか顔を上気させて布団に潜っていった。


 昨日今日の付き合いで他人の気持ちなんて分かるとは思ってないが、きっと寂しかったのだろう。僕は久々の話し相手だから、少女は顔を赤らめるほどに会話の失敗もあるのだろう。少しは大人からの施しとして、僕が回復するまでの時間くらい少女につきあってやろうと思った。




 僕の決定から3日ほども過ぎたころだ。


その日目を覚ますと、室内を常に照らしていた照明は、僕らを梱包するかのように張られたビニールのテントによって更に煩わしいものになっていた。


 これでもかと光を注がれるこの部屋が、僕には水を注ぎ続けられる水槽のようで体が一段と重くなるのを感じた。


 そんな僕に比べて、少女は口元に酸素マスクをつけてスヤスヤと幸せそうに眠っている。

 ずいぶんといい気なものだが、自由に取り回しの利かないこの体で、彼女の安眠妨害も満足にできそうもない。口惜しいが僕は枕で視界を遮った。




 「――おはよう」


 翌朝は僕の方から挨拶をしてみた。


 今朝は彼女の方が先に起きていた。


 今日の彼女の暇つぶしは胸元まで伸びる髪の毛を、手慰みにいじることのようだ。


 相変わらずのマスクに笑顔だが、彼女の四肢に繋がれたケーブルは行動を制限しない程度に増えている。


 照明によってまるで白飛びしたかのように輪郭のぼける彼女の肌は、時折背面のビニールに溶け込んで、彼女の笑顔さえも安っぽいビニール製品に見えてしまう。


 そんな風にベッドでケーブルに繋がれた女性を、壊れたパペットに見立ててしまうのは、僕に限ったことじゃないだろう。


 だから、そんな彼女が不幸に見えるといったことじゃない。押し並べて言えば僕の方こそ、よっぽどなのだからだ。頭の善し悪しだとか貧富だとかの数字で比べられない幸不幸を、同じ病室で日々を笑顔で過ごせる人と比べられたら何も言い返せたものじゃない。


 何も言えたものじゃないのだが、彼女の話し相手を務めると決めたのも忘れちゃいない。


 「なんか今日のキミって人形みたいだね」


  彼女は目をしばたたかせてから、また笑顔で嬉しそうに頷き、緩慢な動きで中指をマスクに掛けてずらし空気を噛みしめるように息を吸い込んだ。


 「ステキな話ね、ならキミがわたしの背中のぜんまいを巻きなおしてくれるの? 」


 「そっちじゃないかな。どちらかと言うなら糸繰り人形のほう」


 「たしかにたしかに、こんなにヒモまみれならそっちだね。でもそれなら、もっとすごい空とか飛べるやつのがよかったなぁ」


 「ドラえもんみたいな?」


 「それはいやだなぁ、せめてドラミちゃんにしてよ――っ」


  彼女は咽ながら笑っている。こんなに言葉を交わしたのが久々なのだろう。会話の不慣れさがよく分かる。


 「でも猫型じゃないけど、体のパーツをあと2回くらい取りかえるらしいから、わたしも似たようなものかな」


 たったの2回、何をするのかはよくわからない。パーツをどうこうということより、2回くらいという彼女の言葉は、この窒息しそうに退屈な日々への一つの目標を与えられているようで、それを持ってない僕は彼女を羨ましいと思った。


 だから僕の返事は少し遅れていたと思うし、彼女の顔にはじめて笑みが無いことにも気づかなかった。


 「その2回が終わったら、そのあとは?」


 「……ここから出れるんだって」


 「いいなぁ」


 「羨ましいでしょ」とイタズラっぽく笑う彼女には、僕の気持ちがきっとわからない。


こんな狭くて眩しい部屋で、なんの刺激もなく、いつまでここにいればいいのか分からないなんてことがどれだけ辛いかなど分からない。今までずっと同じ立場だと思っていた彼女に、僕は裏切られたんだと思ってしまい、それが情けなくて顔を枕に埋めて目と耳を塞いだ。


最初に彼女と感じた違和感を大事にしていたら、きっとここまで自が卑下されることもなかっただろう。嘲られることもなかっただろう。久々に暗くなった視界に落ち着きを求めることもなかったろう。






 倦怠感にのしかかられたままの僕が目を覚ますと、病室はまるで僕の気持ちを汲み取ったかのように暗く静かだった。


 あのビニール製の息苦しい水槽が、今はまるで広大な敷地を僕が独りじめしているようにさえ思う。


 だが、そこにいつもあった笑顔が今は見えない。正直談笑できる気持ちにない僕にとっては、それで良かったのだと言い聞かせようと考えた。


 なのに、彼女に話しかける勇気もない臆病者が思ったのは、それでも彼女が笑っていてくれるのではないかということだった。そんなことが気になって臆病者の僕は、自然に話すきっかけを暗闇に探した。


 できるならあちらからが望ましい。彼女もきっとそうしたいだろう。


 であれば、挨拶でなく物音を立てたら彼女の声が聞けるのではないかと考えた。


 そうと決まれば、さっそく寝返りをうってみることを思いついた。続いて布団をめくっての衣擦れの音、足を組みかえるなんてこと。


 しかし僕の惨めな計画のことごとくが、黒く澄んだ泥の重さに体が動かず失敗した。


 なら次である。こちらは現実的な次の解決策だ。明るくなって彼女が目覚めるのを黙って待つという単純なもの。


 そうと決めてからの僕は暗闇の中で黙って時間を数えた。時折遠くにベッドのきしむ音が聞こえるたびに、僕は声を押し殺してしまい自分を慰めた。


 そんなことを何度したか忘れてしまい、きしむ音にも慣れたころに少しの疑問が芽生えた。


 「どこか痛むの?」


途端にきしみ音をかき消すように強い光が僕らを飲み込んだ。


 「――起こしちゃった?」


 奔流の中そう聞こえた。


そう、聞こえた気がした。


頭からかぶった光が落ち着くほどに、僕の眼前を埋める大小さまざまな箱に意識を奪われた。


 彼女とは違う材質でできたそれらの多くが、まるで外付けのハードディスクや外部電源のように無骨に無遠慮に彼女の体の至るところに繋がれている。


 もしかしたら、それはすごく当たり前なことなのかも知れないのに、その姿はまるで彼女の中の大事なものが、色とりどりの箱の中に流れ込んでインテリアに変わろうとしているようだ。


 「……大丈夫?」

 

 彼女にかける言葉にためらった。気を使ったような煮え切らない言葉しか見つからなかった。

 

 それはなぜだか、そこにある彼女がすでに違うものに変わっているかもと思えたから。

 もしそうであれば、臆病な僕では、また彼女が笑いかけてくれるのを待つしかないから。

 

 そんな僕の気持ちを、彼女には全て見透かされているようだった。


 「大丈夫だよ……いつも通り、ありがとね」


 嘘である。


 それくらいは分かる。


 僕が知っている彼女のいつも通りは、意味もなく僕の方を向き、情けなく眉尻を垂らし口角を上げて小首をかしげる姿だ。いつもいつも、動画を繰り返すように見続けてきた。


 だけども今の彼女は、青黒い噛み跡をいくつも重ねた手で顔を覆っている。


 その斑点の一つは今まさに赤く滲んでいる。


 その様が、床まで落ちた髪の影で、何かに耐えながら、すぐにばれる嘘で繕う彼女のことが、僕には分からない。


 彼女を一目見たときに覚えた違和感が、日を追うごと自分と近しいと思うほどに薄れていき、今の今までそんなことさえも忘れて自分と同じものだと彼女のことを誤解し始めていた。


 そうであれば幸せだという随分と都合のいい仮定のまま、自分だけの尺度で考えていた。他人さえも勝手に同じ尺度に押し込んでいた。


 僕と彼女は、水と光のようにまったくの別物なのに、だ。水と油とか光と闇の様に比べたり並べられるようなものじゃなくて、優劣もなく、ただただ当たり前に別にあるものなんだと、彼女の肘までつたう赤い血の筋が茶褐色に変わるさまが、次第に彼女の顔にこぼれる水滴が、僕にそう教えてくれる。


 別のものだからこそ、混ざり合うこともぶつかることもない。別のものだからこそ、ここにいれたんだと、彼女の側に置かれることができたんだと思う。


 振り返れば、ヒトの形をしていた僕に自分というものはなかった。人の理想に似せた形を求められて生まれたはずなのに、作業機械の代わりとして過ごしてきた。それが当たり前なことと、考えることさえなかった。求められたことを求められるままにという日々。

 

 そんな中では、いずれ誰にも求められない日々がやってくるのは自然な流れだった。きっと誰にでも訪れる当たり前。自分があるものなら自暴自棄にでもなり自身の見直しを計れる。しかし僕らのようなものはどうだったかという話になる。


 普通はリサイクル、稀に好事家へのコレクションか路傍で水がめになる程度のものだろう。


 そうした中で、ここに来て初めてキミと呼ばれた。


声をかけるというのは相手の返報性を求める行動だ。


 少女が声をかけた時に初めて必要とされた「僕」が生まれた。


 その中で彼女と話すという仕事が得られた。


 だから僕は、もう動かないこの体で寄り添うことはしてあげられないが、ボロボロになった「僕」の生みの親に精一杯話しかけた。


 何度も何度も彼女が答えるまで、考えに考えて、泣かせて、笑わせて、怒らせた。


 次第に彼女の腕から斑点は消えていった。そのころには彼女は色とりどりの箱に結ばれていたリボンで髪を結ぶことが増えていた。また笑顔ばかりの日々になった。




 彼女がベッドを支えに立ち上がることが増えて何日か過ぎたころだった。


 「もうすぐさ……私もここを出ていくんだけどさ。キミも一緒に行こうよ」


 壁から延びる点滴のチューブに目を向けながら、言いずらそうに彼女は漏らした。


 いつか来ると分かっていた質問だ。彼女がここしばらく避けていた話題。


 そして僕がずっと考えて決めていた答えを返した。


 彼女はしばらく考えた後、いつもの笑顔で「たしかに」と二度つぶやいた。




 それからしばらくして、僕にとっても彼女にとっても最後の病院の日がやってきた。


荷物をまとめた彼女を何人もの人が迎えにやってきた。


 何年もの闘病に耐えた彼女を称賛する声があちこちから聞こえた。


その様子は、彼女のために用意された機械の身としては誇らしい限りだ。


会話のたどたどしい彼女に代わって、僕のお母さんはすごいんだと話したくなってしまう立派な後ろ姿だ。


 そんな機械の身の僕が彼女にもっとも必要とされたのだ。これからもついていくに決まっている。他でもない彼女もそれを望んでいる。


 ――そう、だから僕は「僕」のためにここで彼女を見送る。


 僕が機械ならついていくに決まっている。だから、僕は「僕」のためにお別れをするのだ。


 所有者が居なくなればどうなるかなんてのは僕も彼女も分かっている。それを望まない彼女の提案も分かっていた。


 それでもこれが、「僕」が「僕」を証明する最初で最後の方法だった。


 少し早い親離れみたいなもんだろう。

 

 全てを説明したときの彼女は困っていた。


 そんな彼女に向けて眉尻を情けなく下げて口角を上げて、僕は小首を傾げていたらしい。


 それを見た彼女は微笑んで僕の説得と表情を一度ずつ肯定してくれたのだ。


 僕はそれを思い出して嬉しくなって、そっと目を閉じた。


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