教会の裏で
まるで生まれたての小鹿だ。予想通り俺の足は筋肉痛となり、立とうとするだけでプルプルと震えてしまう。
「セット、大丈夫……じゃねえみたいな」
セットも筋肉痛になったのか、まともに立ち上がれずにいた。やはりセットは精霊であって、虫とは生態が違うようだ。
「な、なんのこれしき……無理してでも頑張らないと、みんなに追いつけませんから」
みんなってのは、実姉のシスティーナさんや幼馴染み達の事だと思う。外の世界に来たら、吹っ切れると思ったんだけども流石にまだ無理か。
「無理したら身体を壊すだけだぞ。俺もまともに動けそうもないから、もう少し休んでいろ」
俺の言葉を聞いて安心したのか、セットは再び眠りについた。
(とりあえず、街の様子でも見ておくか)
昨日は疲れ過ぎて,どんな街だったのか確認出来なかったのだ。
あのロッキという男は、この街で何をさせるつもりなんだろうか?
不幸中の幸いで、腕は筋肉痛になっていない。腕に力を籠めて、上体を持ち上げる。
見てきたのは、巨大な白亜の建物。羽根を模したシンボルがついており、教会の様に見える。
そういや、この世界の宗教について何も知れないんだよな……分かっているのは、一番偉い神様の名前がフェザーってくらいである。
『紋様はフェザー・セレブレイトとも言うのよ。貴方の胸にある羽はフェザー様からのプレゼントなの。だから一枚羽だからって、泣いちゃ駄目よ』
遠い昔まだ幸せだった頃の事だ。一枚羽と馬鹿にされて泣いていた時に、この世界の母さんがそう言って慰めてくれた。
◇
筋肉痛で動けない忍びなんて、なんの役にも立たない。それならやれる事をやるだけだ。
異空間からソーイングセットと前に着ていたボロ着を取り出す。ハサミで細かく切り裂き、それを網状に縫い合わせていく。網の両端に紐を付けたら完成。いわゆる投石紐だ。
これで印字うちの時に、石を包んで使うのだ。素手より数段殺傷能力が上がる。本当は手拭いが良いんだけども、そんな贅沢は言ってられない。
残りの布も適当な大きさにカットして、異空間に突っ込んでおく。
(さてと、飯でも食いにいくか)
筋肉痛も大分落ち着き、魔力を流せば問題なく歩く事が出来る。
「セット、俺は飯を食いに行くけどお前はどうする?」
声を掛けると、セットの身体が少しだけ動いた。まだ寝ていたから置いていっても良かったが、知り合いが一人もいない世界で一人にするってのは酷だ。
「ふぅわー……ぼ、僕も行きます」
あくびをしているセットを摘まみあげて、頭の上に乗せる。異空間から革袋を取り出し、そこに何枚かの硬貨を移し替えれば完成。
「お前はなんか食いたい物あるか?」
俺の腹は白米と味噌汁を欲しているのだが、それはないものねだりだ。それならセットが食べたい物にした方が良い……次のガチャでインスタント味噌汁実装されないかな。
「薬草かなんかが良いです。外界の薬草は効能が凄いって話ですので」
この世界の薬草は不思議だ。煎じた物を傷口に塗っておけば、治癒するのだ。木こり時代は抵抗なく使っていたけど、今になると感染症が怖い。
(普段から水を持ち歩いておく。怪我をしたら水浄化魔法で雑菌を取り除いた後に薬草を塗りこむ)
こっちの世界には水道なんてない。飲用や生活用水には、井戸水や川の水を主に使っている。何に汚染されているか分からないので、怖いのだ。綺麗な水をきらさない様にしておこう。
「それじゃ、薬屋によっていくか」
普通の冒険者なら回復職を仲間にするのが、一般的だ。でも、俺は一枚羽のFランク、好き好んで仲間になってくれる人なんていないだろう。
◇
凄い。薬草って、こんなに種類があるんだ。薬屋には、様々な種類の薬草が売っていた。
「す、凄い!ヒールマグワ―トの葉がある。幻のシルバーセージにドラゴンドクダミの葉までありますよ」
そしてセットのテンションも凄い。珍しい薬草に囲まれてご満悦だ……ってか、ネーミングが怪しくないか?銀色のセージって絶対体に悪いだろ。
(値段も凄いな……栽培とか出来たら、一儲け出来るんじゃないか?)
「それで、どの葉っぱが良いんだ?」
かさばる物じゃないし、異空間に突っ込んでおけば、しおれる事もない。何枚か買っておけば安心出来る。
「……セージとバジルお願いします。高い薬草は自分で稼いでから買いますので」
若者に遠慮されると、おじさんは太っ腹な所を見せたくなる。
「ヒールマグワ―トって、どんな効能があるんですか?」
セット君の目がきらめきだす。兄貴風をふかせるのが、こんなに気持ちいいとは。
「名前の通り、治癒効果が抜群な薬草です。特に止血に効きますよ。刻んで傷口に塗るんです」
そう言って店主が出してきたのは、何の変哲もないヨモギの葉。素人目にはまったく区別がつきません。
(た、高い。宿代と変わらねえじゃねえか)
しかし、セットの期待を裏切れず二枚購入。俺の飯で調節しておこう……そういや、前世で後輩におごってしばらくカップ麺生活をした事があったよな。
転生しても見栄っ張りは変わらずと。
◇
腹を満たして向かうは、例の教会。
「セット、これから教会に行くけど作法とか間違っていたら、指摘してくれるか?」
擬態したセットに教えてもらえば、怪しまれない筈。
「主もフェザー・クリエイトの信者だったんですか?」
フェザー・クリエイト、またはフェザー教とも言うらしい。ここトロンの国教で、主神フェザーが崇拝の対象だそうだ。
博愛、清貧、平等を尊び、強欲は悪だと言う教えらしい。
そしてここインスパークは、フェザー教の重要拠点との事。
「まさか?俺は神様なんて信じていないっての。つまり、無宗教だぞ。怪しまれない為に、勉強しに行くんだよ」
宗教絡みの依頼は結構あった。神官に変装する事もあるだろうし、教会に潜入する事もあるだろう。怪しまれない為には、きちんと知っておく必要があるのだ。
「む、無宗教!?神様を信じていないんですか?」
セットは信じられない物を見る様な目で俺を見ている。日本に来たら腰を抜かすぞ。
別にリアリストで不可思議な物の存在を否定するとかじゃない。仕事柄、科学では説明がつかない経験をした事もある……目の前に喋るナナフシもいるし。
「俺は自分の目で見た物しか信じない性質なんだよ。でも、人の信仰は否定しないけどな」
平和説く為の宗教なのに、戦争の原因になったりする。同じ宗教同じ宗旨じゃない限り、宗教絡みの話題はタブーだと思う。
「それでしたら、フェザータリスマンを持っていないと怪しまれますよ。フェザー教の信者にとって、信仰の証ですので」
つまり持っていれば信者と言い張れるし、巡礼者に成りすます事も出来ると。
古道具屋で一番安いフェザータリスマンを購入。一番安いと言っても、そこそこの値段だった。
使われている素材は青銅で、造りも簡素だ。ぼったくりと言いたいが、教会のおひざ元で神様関連の物を安売りしたら問題になるのだろう。
◇
金掛かってんな、それが教会の第一印象だった。
シンボルマークらしい羽根は金で作られているし、そこら中に細かな装飾が施されている。
(しかし、随分と若い女が多いな。これじゃ、まるでアイドルのコンサートだ)
前世の俺だったら、確実に不審者扱いされていたと思う。
でも今の俺は十代の少年だ。しかも容姿はお世辞にも垢抜けていない。それを利用して少女達と目を合わせない様にしながら移動。女の子に照れている田舎の少年っていう設定だ。
教会内には木製のベンチがいくつも置かれていた。少女達は我先にと前列に駆け寄っていく。案内板でどこになにがあるかをチェック。最後尾にある出口に一番近いベンチに腰を掛ける。
「ほう、男の子がスノウ様の説法を聞きに来るとは珍しいの」
話し掛けてきたのは、信心深そうな爺さん。
「そうなんですか?先日、この街に来たばかりなので……そんなに珍しいんですか?フェザー様に感謝するのは、当たり前の事だと思うのですが」
セットの“えっ?”っていう呟くが聞こえたけど、スルーしておく。
「スノウ様はお綺麗な顔をされていての。若い娘に大層人気があるんじゃ。それが面白くないのか若い奴等は、あからさまにスノウ様の説法を避けておる」
スノウ様は男なのかと思ったら、十代の少女との事。男性神官にも物怖じせず、少女達の憧れになってるそうだ。
宝塚の男性役や女子高の先輩みたいなものか。下手な男性より体術が強く、堂々としているそうだ。そりゃ、同年代の男は勝負を避けるよな。
「皆様、ようこそお出で下さいました。皆様の信仰心は必ずフェザー様に伝わると思います」
現れたのは、モデル顔負けの美女。恐ろしいまでに整った容姿である。意思の強そうな顏は分厚い氷壁を連想させ、一切の穢れを感じさせない。
着ている服はシルクで、細やかな刺繍が施されている。装飾品や手に持っている杖、身に着けている全ての物が一級品だ。
中でも目を惹くのはペンダントの先に付けられたフェザータリスマン。爺さんの話ではミスリル製で、目玉が飛び出るようなお値段らしい。
スノウの紋様はAランクの六枚羽根、貧農の生まれだが自分の才覚だけで今の地位を手に入れたそうだ。
説法の内容は紋様に関するものだった。なんでも昔人間は戦う力を持たず、魔族に苦しめられていた時代があったそうだ。それを悲しんだフェザーが自分の翼から羽根を抜いて、人間に授けた。その羽根を体に取り込んだ人間は不思議な力を使える様になったそうだ……フェザー様、よく翼がなくならないよな。
◇
説法が終わると同時に教会から離脱。爺さんの話によると、この後アムールによる個別お悩み相談があり、滅茶苦茶混雑するらしい。教会への献金額で順番や時間が変わるそうだ……いくら清貧を尊んでも、組織運営の金は欠かせないって事だ。
「スノウ様に会わせて!ママを助けてもらうの」
もう少し教会を調べようとして、裏手に回ったら小さい女の子の叫び声が聞こえてきた。
気配と足音を消して歩を進める。幸いな事に裏手は林になっており、身を隠せる所は十分にある。近付いていくと、五歳位の女の子が神官にすがり付いていた。
人形の様に可愛らしい顔立ちをした女の子だ。美少女というにはまだ幼い過ぎるが、大人になったら大勢の男が彼女に夢中になると思う。
「しつこい餓鬼だな。スノウ様はお忙しいと何回言えば分かるんだ」
人目がないからなのか、神官の態度は横暴としか言いようがない。首に掛けてある黄金のフェザータリスマンが泣いてるぞ。
「シャリルのお兄ちゃんが言ってたの。俺が帰って来なかったら、誰かにこの手紙を見せなさいって……だから、スノウ様にシャリルお兄ちゃんのお手紙みてもらうの」
会った事ないけど、シャリルさんそれフラグです。手紙と聞いた途端、余裕を見せていた神官の額から冷汗が滴り落ちた。
「……手紙?あの野郎!良い事教えてやるよ。シャリルって餓鬼は、もうこの世にはいない。さあ、手紙を渡しな」
あらま、これまた分かりやすいド外道さんだこと。
「やだ!離して……ママッ!痛いよー」
神官は女の子を力任せに抑えつけた。痛さと怖さの所為で、少女は泣き始めた。
「あ、主、あの子を助けてもらえませんか?」
ここは敵の本拠地だ。スルーするのが得策である。でも、子供を見捨てたら寝覚めが悪い。何より、こういう厄介事が忍び仕事に繋がるのだ。
「ちょっと、待ってろ」
異空間から投石紐と石を取り出す。片方の紐を手首に結び、もう片方の紐を手で握る。布の先端に石を包み、頭上で回す。狙うのは、神官の手。
遠心力を得て加速した石は、神官の肩に直撃。神官は、たまらず少女を手放した。
「セット、女の子を林の裏に連れて行け。余裕があれば家の場所も頼むぞ」
少女が林の裏に逃げたのを確認する。ここからはちょっとばっかり教育に悪い展開になるから見せたくなかったのだ。
「誰だ!教会の敷地内でなめた真似をしやがって」
敷地内で子供をいじめるの、ありなのかよ?……ここは教会の敷地内だ。神官の死体が転がっていたら大騒ぎになってしまう。
「素直に母親の居場所を吐けば見逃してやる……言わないんなら、体中の関節を壊すぞ」
犯人を探してキョロキョロしている神官の背後から近づき、腕の関節を極める。そのまま、遠慮なく関節を締め上げていく。不思議なもんで忍びモードになると、自然に声が野太くなる。
神官が痛みに気を取られている隙に、黄金のフェザータリスマンを奪取。命を取らない代わりに、恥を掻いてもらおう。
「町はずれにある小屋だよ……行っても無駄だぜ。教会のアサシンが来ているんだぜ……へっ?どこに行った?」
関節技を解くと同時に離脱。ついでに手裏剣投げの要領で、女子トイレ目掛けて黄金のフェザータリスマンを投げる。
そしてセットと女の子を抱え上げて、教会の塀をとび越える。




