2
その国の王子は風流な人であるらしい。領内に流れ着いた吟遊詩人の噂を聞いたとたん、何としてもその者に会わなくてはならないのだという気持ちになった。
「その者にどうしても頼みたい仕事があるのだ。見つけたら内密のうちに私のところへ連れてくるように」
兵士はたちまちのうちに旅人を見つけ出したが、これは彼の手柄ではない。旅人は隠れるつもりも逃げるつもりもなく、簡単な仕事だったというだけの話だ。
実は吟遊詩人が内密のうちに城に呼ばれるというのは珍しいことではない。それは自分のための物語を作らせ、新たな物語としてそれを領内に触れ回るように命じるためなのだ。それなりにまとまった報酬が支払われるのだから、これを断る吟遊詩人はいない。
ともかく、まずは王子の寝室に通された旅人は、そこで一人の少女と出会った。
その少女は王子のひざに乗せられ、薄絹越しの肌をいやらしくなでまわされている最中であった。権力者とて男であるならば――いや、人を『飼う』ことのできる権力者だからこそ、女性関係がだらしないなど、よくある話だ。
旅人はそのことに驚いたりはしなかった。ただ悲しく思っただけである。
王子は女をひざに乗せたまま、白い柔肌を手遊びのように蹂躙している。女のほうはそうとうに仕込まれているのか、そんな情のない手つきにさえビクリとカラダを震わせ、ときおりは甘い吐息と共にカラダをくねらせていた。
娘の美しさに見とれる旅人の間抜け面が面白かったらしく、王子はにやりと笑う。
「どうだ、美しい女だろう」
「はあ、そうですね」
「この女はな、実は人魚だ」
「はあ? え、人魚でございますか?」
「くっくっく、そんなに困った顔をするな。世界を旅してきたお前なら、そんな幻獣が実在するわけがないと、よく知っているだろう」
ただの世間知らずの色狂いかと思ったが、なかなかどうして知恵のある王子だ……旅人は身をすくめてかしこまる。
「今回は、わたしに仕事があるのだと聞いて参ったのですが……その『人魚』のことですか?」
「察しのいい男だな。そういう有能は嫌いではない」
「いえ、そうした『物語』を作ることこそが、この仕事ですから」
権力者が民衆を掌握するに大切なのはイメージ、自分がどれほど高潔で尊大な王であるのかを民衆に知らしめることができるか。
現実には女を囲い、酒に溺れただらしない生活を送っていたとしても、そんなことは下々に聞かせなければよいだけのこと、つまり醜聞をどうするか……民衆に聞かせるための美しい話として書き換えてしまえばいいのだ。
そのために権力者は吟遊詩人を欲する。確か前回は未亡人にたぶらかされて放蕩に落ちた王子が正妻の愛の力によって立ち直る話を作らされたのではなかったっけ……。
王子は多くを語るつもりなどないらしい。ただ短く、旅人に尋ねた。
「できるか?」
「はい。できます」
「期限は来月、私は隣国の皇女を娶ることになっている。そのための身辺整理だ」
「わかりました。最高の物語をお作りいたします」
立ち上がりかけた旅人は、ふと顔を上げる。
王子の膝で細身のカラダを揺らす少女は美しく、水に濡れたように艶やかな髪はまさに人魚を思わせる。
「なるほど、王子様はロマンチストでいらっしゃる……人魚ですか」
「いや、城の者にはそう聞かせておいたのだ。何しろこの娘、口がきけぬのだから、どんな嘘をつこうとばれる心配などない」
「口が……」
「ああ、だからお主も何も気にすることはない。民衆がいちばん喜ぶ形で、広く伝播するような、最高にロマンチックな話をつくるがよいぞ」
「……はい」
王子に背を向けぬようにすり足で下がりながら、旅人は自分が暗い気持ちになってゆくのを感じていた。
一足ごとに鉛が脚にまとわりつくような、重たい気分……それは、王子のおもちゃである少女が憐れなほど美しいせいだろうか。
刹那、ふっと少女と視線がぶつかったような気がして、旅人は慌てて視線を下げた。
なぜそうしたのかはわからない。
だが旅人は、いままでに感じたことのない、哀しみに似た感情が自分の中に広がりつつあることを感じていたのだった。