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夢想天鬼録  作者: 山本謙星
第壱話 人鬼夜行
9/12

08 悪夢の入り口

ちょっぴりグロ注意です。

 その日の夜、禮泉崇史れいぜんたかふみの姿は駅前の繁華街にあった。


「あの莫迦、受験生だろうが」


 苦言が意図せず口をついて出てしまった。というのも、崇史の妹伊織がまだ帰ってきていないのである。今朝の事件のせいで、伊織の通う中学も巻根第一高と同様に休校措置をとったようなのだが、あろうことか、彼女はそれを利用して友人と遊び歩いていたようなのである。

 間もなく高校受験だというのに、随分と余裕なことだ。


 そういうわけで、崇史は母より「心配だから迎えに行ってやって」と下令され、今に至る。


 駅前広場にある、大樹を模した特徴的な仕掛け時計の足元に立って、ちらちらと時計盤を確認しつつ周囲を見渡した。


「遅い……」


 伊織とは先だってSNS上でやり取りし、この仕掛け時計のところで待ち合わせるように取り決めをした。ただし時間については「もうすぐ終わる」の一点張りでなかなか要領を得なかった。それにしても、崇史はかれこれ三十分はこの場に立ち尽くしている。そろそろ顔を見せてもいい頃だろう。

 崇史は電話をかけるか否か悩みながら、苛々と足踏みを続けていた。

 そのときである。


「あれぇ? 禮泉先輩じゃないですかぁ、奇遇ですねー」


 聞き覚えのある声が呼びかけてきた。見ると、忙しなく行き交う雑踏のなかに、巻一高のセーラー服が見えた。


「君は昨日の」


 その顔には見覚えがあった。病院のバス停で出会った後輩の少女、未散みちるだ。


「こんばんはー」


 相も変わらず、彼女の顔には張り付けたような笑みが浮かんでいる。

 崇史は内心で「幽霊ではなかったのか」と胸を撫でおろした。彼女は確かに実在していたようだ。

 未散はせかせかと崇史の傍らまで近寄ってきた。


「こんなところでどうしたんです? もしかして、人待ちとか?」


 仕掛け時計を見上げて問いかけてきた。この時計はその特徴的な外見から、待ち合わせの定番スポットとなっている。


「ああ、妹を待っていてね」


 すると未散は首をかしげて、


「妹……伊織ちゃんですか?」


「ああ、そうだが。知っているのか?」


「中学時代、同じ塾に通ってたんですよ」


 未散はおもむろに背後の人混みへ振り返った。


「伊織ちゃんなら、さっき見ましたよ。お友達とガッツリ遊び惚けてましたケド」


「本当か? どこで?」


「近くの喫茶店です。何なら案内しましょうか?」


 焦れていた折には魅力的な提案であった。崇史はSNSのチャット画面を確認した。妹からの連絡はない。


「頼もう」


 崇史はチャットに、もしも行き違った場合は時計前で待てと連絡を残して、未散の提案を呑んだ。


「わかりました。この後輩めにお任せあれ」


 未散はいっそう目を細めて、満面の笑みを浮かべた。



          〇



「なあ未散さん」


「呼び捨てでいいですよー」


「では、未散。訊きたいんだが、本当にこんなところで妹は遊んでいたのか?」


 案内された先は、いかにもアングラといった風情の裏通りだった。野良猫にでも荒らされたのだろう、路傍に放置されたゴミ袋が、その破れ目から中身をぶちまけて異臭を放っている。つんとくる悪臭に思わず顔をしかめつつ、ずんずんと突き進む未散の追従していた。


「嘘なんか言いませんよー。例のお店は、私たちみたいな女の子にとって穴場的な存在でして」


「しかしここは、なんというか……」


 あまりにも人通りのない街路。雑踏は遠く、静寂の中、暗闇だけが続く。生まれた時から住んでいたこの巻根市に、こんな場所があったのかと驚くくらいだ。

 ここは駅前の大通りから一本外れた通りで、未散によれば、広く「裏町」と通称されているらしい。道沿いには風俗店と見紛うようなけばけばしいネオンの看板が軒を連ねている。店先には外国人を含む客引きがちらほらと顔を出し、時折こちらに声を投げてくる。

 もしも本当に、妹がこんな場所に日常的に出入りしているのだとしたら、兄としては心の底から心配だ。殺人事件が取り沙汰される昨今の治安状況を顧みればなおさら。


「あの莫迦、見つけたら説教だな」


「くふふ、お手柔らかにしてあげてくださいよ」


 言いながら、未散はさらに通りの奥深くへと進んでいく。ネオンさえも遠ざかり、人通りのない場所へ向かって、入り組んだ裏路地を右に左にと折れながら進んでいった。

 さしもの崇史も不安になってきた。未散は本当に自分を妹の場所まで導く気があるのか、と。

 それを問いただそうとしたその時、まるで図ったかのようなタイミングで、未散が告げた。


「そろそろです」


 薄暗い十字路に差し掛かったときだった。完全な路地裏で、ここには店の明かりさえもない。


「店らしきものは見えないが……」


 疑問を呈そうとしたそのとき、崇史のズボンのポケットの中で、スマートフォンが振動した。


「失礼、電話が」


 画面を見ると公衆電話からの着信だと表示されていて、少なからず面食らってしまった。今時公衆電話とは、珍しい。


「もしもし、禮泉です」


 訝りながら通話ボタンを押すと、聞き慣れた少女の声がした。


「あっ、繋がった。お兄ちゃーん、もしもし、伊織だけどー」


 電話口に出たのは、今まさに探している妹、その人だった。


「伊織? お前どこにいるんだ。探しているんだぞ!」


「ごめんごめん、途中でスマホの充電が切れちゃってさー。連絡つかなくなっちゃって、だから公衆電話からかけたの。今駅にいるんだけど」


 ということは、やはりすれ違いになってしまったということか。どっと押し寄せてくる徒労感に崇史は肩を落とした。


「そうか、だったらすぐ戻る。友達も一緒か」


「うん、一緒だよー」


「いいか、そのまま友人と一緒にいろよ。今この街は危ないんだ」


「わかってるって。心配性なんだから―」


 その軽々しい言い方が、少しばかりかちんときた。だから崇史は、敢えて声を低めて訊ねた。


「未散、お前たちはどこで遊んでいたんだ? まさかこの時期に、人通りの少ない場所とか、アングラなお店とかに入り浸ったりしていなかっただろうな?」


 すると電話口の向こうの声はわずかに沈黙して、後に驚いたような声で答えた。


「まさか! 今日もずっと友達の家で遊んでたんだから」


「え?」


 崇史は当惑して訊ねた。


「裏町に出入りしていたんじゃないのか?」


「は? 裏町?」


 返ってきたのは、呆れたような困惑の声だ。


「どこ、それ?」


「どこって…………」


 崇史は思わず顔を上げて、「これはどういうことか」と一緒に来た未散を問いただそうとした。

 しかし、出来なかった。

 彼は電話を耳元にあてがったまま、呆然として立ち尽くす。


 未散の姿が消えていた。


「お兄ちゃん? ちょっとー、聞いてるー?」


「あ、ああ」


 慌てて周囲の薄闇を見渡しながら、妹の声に答えた。


「知らないならいいんだ。僕もすぐに戻るから」


「うん、わかった。じゃああたしは待ち合わせ場所にいるから。早く戻ってきてよねー」


 通話を切って、改めて未散の姿を探す。

 いない。ここまで確かに、一緒に歩いてきたはずなのに。

 崇史の周囲には、文明の灯の届かない濃密な暗闇だけが、内部に不穏な気配を孕ませて、満ち満ちている。


「未散? どこにいった?」


 問いかける。返事はない。声は暗闇に吸い込まれ、消える。

 まるで最初から、そこには誰もいなかったかのように。

 ゾっと鳥肌が立った。真夏の夜にも関わらず、怖気が崇史の全身を震わせた。


――幽霊っていると思うか?


 昨夜、妹とした何気ない雑談が否応なく思い出された。そして昨日の昼、バスに乗った直後、未散の姿が忽然と消えたあの瞬間の映像が、頭の中で繰り返し再生される。


――僕はいったい、今、何に巻き込まれているんだ?


 焦りが、彼の全身に冷たい汗を湧き出させた。


「未散? 返事をしろ!」


 そのときであった。

 ゴリゴリと、硬質な音が崇史の耳に届いた。岩と岩をこすり合わせるような、硬い石柱を砕くような音だ。音の発信源は、どうやら十字路の曲がり角の向こう側らしい。同時にそちらから人の気配を感じた。


「……未散か?」


 その問いかけは、むしろ願望であったのやもしれぬ。彼女であってほしい、という願いだ。崇史はごくりと唾を呑み込んで、音の方向に一歩踏み出した。どうしようもなく、嫌な予感が背中にまとわりついてくる。

 何を莫迦な、とその予感を振り払う。勇気を奮って、崇史は少しずつ曲がり角の死角に近づいて行った。


 そしてそのとき、気が付いた。


 むっと鼻を衝く、鉄の臭いに。


 周囲の闇よりも濃密なその臭いは、音のほうから漂っていると思われた。崇史の本能が警鐘を鳴らす。危険だ、と。根拠はない。それは肚の底から、泉のように湧き上がってくる感情だった。


――危険だ、危険だ、危険だ。


 けれど、これもひとつの愚かさの形なのだろうか。崇史の理性は、その本能の警鐘をねじ伏せてしまった。ここまで一緒に来た責任があるのだから、未散を探してきちんと連れて帰らなければならない、と。


「…………ミ、チル?」


 そうして歩み寄った先、街路の曲がり角に見た光景は、崇史の理性を一瞬にして溶解させた。


「……………………」


 ビルとビルの狭間に、月光が糸のように垂れていた。その糸が、都市の谷の底にわだかまる暗黒を払い、秘された儀式を露にした。


 そう、それは儀式だ。


 冒涜的で、赤黒く血濡れ、死臭を放つ儀式。


 いや、あるいは遊興かもしれぬ。子供じみた、残虐な遊興。


 いずれにせよ、崇史はこれを目にするべきではなかった。世には知らぬほうがよいことというものが、厳然とあるのだから。


「………………ひっ」


 月影の中に浮かび上がっているのは、小柄な人影であった。こちらに背中を向けていて、細かな外見はあまりはっきりと見ることができない。どうやら灰色の襤褸をまとっているらしい、ということだけわかる。黒々とした背中だ。シルエットの形からすると、男性であろうか。

 その人物は、彼よりも一回り大きな男性を、背中から抱きしめているようだった。一見すれば同性愛者の睦みあいにも見えたが、しかし事態はそんな安穏としたものではないようだった。

 崇史は、背中から抱きしめられている男性と目が合った。大きく見開かれた目だった。顔は恐怖の表情のまま固まっている。歪んだ表情筋のつくるしわが、彫刻刀で彫り込まれたかのように深々と刻まれている。そしてその瞳は、夜闇よりも暗く、虚ろだった。


 そう、まるで詠子のように。


――死んでいるかのように。


 だがここで、崇史ははたと気づいた。


――おかしいぞ。


 それははじめ、小さな違和感だった。月に照らされた二人の男性。この情景は、どこかおかしい。何かが、変だ。あり得ない。

 自分が何にこれほどの違和感を覚えているのか、一瞬わからなかった。けれど崇史は気づいてしまった。何も気づかず、何も知ろうとせず、この場を立ち去ればよかったものを。


――そうだ、ありえないんだ。


――だって僕は、あの男性を背中側から見ているんだぞ?


――なのにどうして、なんだって「目を合わせる」なんてことができるというんだ!?


 ゴリ、ゴリ、ゴリ…………。


 石臼を挽くような音が響く。抱きしめられた男性の首が回っていく。ゴリ、ゴリ、と硬質な音を響かせて。絶対にありえない角度まで、ぐるりと回っていく。

 見ると二人の足元には、黒々と水たまりのようなものができていた。たまった液体は、どうやら男性の首から迸り、溢れ出たものであるらしかった。その液体の正体がなんであるか、周囲に漂う猛烈な鉄臭に鑑みれば、自明のことであった。

 崇史は一歩後ずさった。恐怖が腹の底から押し寄せて、全身を凍えさせる。


 そう、彼は理解してしまったのだ。

 自分が今、いったい何を目撃しているのかを。


 ゴリ、ゴリ、ゴリ…………。

  

 男性の首が三百六十度、完全に回りきった。直後、襤褸を纏った人影が右腕を振り上げ、男性の後頚部に向かって突き出した。ズブリ、と彼の腕が男性の背中に吸い込まれる。彼はしばらく右手をまさぐるように動かしたのち、中のものを掴んで一気に引き出した。

 信じられぬほど大量の血液が、男の体から溢れ出した。人間の体は六割が水分だというが、これを見ては納得するしかない。

 それと同時に、波濤のように押し寄せてくる血の臭い。錆びた鉄によく似た、むせかえるような臭いだ。


「く、首を……」


 絶句するより他なかった。今、襤褸の人影の右手には、バスケットボールほどの大きさの球体が握られていた。その球体の正体は、つい先刻まであの男性の首の上に乗っていた、人間の頭部そのものなのだから。

 頭部を失った男は、ぐらりとよろめき、支えるものもないままに、前のめりにどうと倒れた。彼の背中はざっくりと裂かれている。見ると人影が握っている男の首には、灰白色の細長い物体が、おまけのようにくっついているのだった。


 崇史の思考は、今や完全に麻痺してしまった。自分が今どれほど危険な状況に陥っているのか、その危機感をひしひしと感じているというのに、彼の体は凍り付いたように動かないのだ。

 そしてそのとき、ついに前方の人影が動きを見せた。


「く、くっ……くくくっ」


 嘲りの笑みを不気味な音楽のように響かせながら、彼の頭がゆっくりと崇史の方を向いた。


「好奇心は猫を殺す。素直に引き返せばよかったのになぁ、おい」

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